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嫌い嫌いも好きのうち、はホント。

私にはどうしても嫌いで嫌いで頭が一杯になる存在がいます。

何がそんなに嫌いなんだろうかと、いろいろ思案してみたのですが、どうやらあまり認めたくない感情が湧きました。

自分と似ている。
いや、自分の理想形をそつなくこなす。自分には無いもの足りないものを兼ね備えた上で、自分と考え方が似ている。

いわゆる同族嫌悪にプラス、自分が羨むものがある人なのです。

まず同族嫌悪が湧く理由は、きっと私自身があまり自分のことを認め受け入れ愛してあげることが出来ないからだと思っています。

なので、私のことをあたかも尊敬し素晴らしい人だというふうに思って近づいてくる人に対しては、不信感を抱くかもしれないです。とても悲しいことです。私に見向きもしないような、私よりも魅力溢れる人に好感を持ちます。だから私の恋愛の形は歪になり易いです。

自分が羨むもの。それは他者と和解し群がり盛り上がることの喜びを知っていて、実際に楽しむことができる人です。私はその状況に身を置きたいのに、勝手に遠ざけてしまっています。他者との距離感の線引きがとても厳しいようです。
深く狭い関係に安住しています。その方が安心出来るのです。しかし交友関係は広がりにくいため、私の中の騒ぎたがっている人がストレスを感じています。

なので、私に似ているのに、うまく自分の欲望を発散し、相手に尽くすだけの力があり、うまく立ち回ることができ,愛し愛され楽しく充実しているように映る、その人の姿にかなりの嫉妬を覚えます。

私はそんな自分が嫌いではありますが、その気持ちを認めてあげたいのです。その執念に狂った感情から逃れ、早く終息させてあげたい思いが強いために、何か策を講じたいのです。

その手段として、一つは、その人がいる場面でその人といい雰囲気で過ごし、その人の印象を良く保つこと。だそうです。心理学を学んでいた友達から聞きました。
たしかに、私はその人のことが嫌いだと思ってからは、その人のいる場所で上手く行動出来た試しがありませんでした。
ですが、その人に自分から接近するのはかなり難易度が高く、向こうにも不審に思われて余計に溝が深くなるのも避けたいので、この手段は使えないなと思いました。

二つ目の手段は、好きなだけ心の中で「お前なんて嫌いだ嫌い嫌い嫌い!!!」と叫んでみることです。その人は目に入っただけで良くも悪くも他者も認めるほど存在感があり、見るだけうるさい人、なので、本当にアア嫌いだ頭を一杯占領しないでくれ、という思いに苛まれるので、そんな時は否定の感情を思いっきり吐き出して、嫌いを肯定します。今日も夜道を散歩しながら嫌い嫌い嫌い!!!と頭の中で叫び倒すと、かなりスッキリしました。
コレは単発的な即効薬です。
しかし、解決には繋がらないと思いました。

三つ目に思いついた手段は、完全にその人を、その存在をその情報を、感じない見ない聞かない触れない、というものですが、私とその存在との生活圏やネットワークが近しいものすぎて、これは全く駄目な使えない手段だなと、即時取消しました。

四つ目、今のところ最後に行き着いたのが、「私は憧れを拒絶しているし、仲良く出来ないことが悲しいのだね、でもそれは仕方ないし、人類みんなと手を取り合うのは無理だよ。その人が羨ましくて好きなんだよね、ほんとうは。」ってことでした。
嫌い嫌いも、結局は好きなんじゃないか。私にとっての、その人は何も私に危害を加えるような迷惑をする人じゃないので、やはり私はその人に一目、悔しくも一目置いてしまっているのだなということです。

私も出来るだけ、無理のない範囲で、気持ちに素直に行動できるように努めたいです。

その人のように、感情に嘘なさげに、みんなと楽しくやりたいわけです。

簡単に、嫌いだ!!と言ってしまいたい時は言えば気は落ち着くのかもしれないけど、その嫌いの気持ちに隠された深層心理を紐解くことも、生きていく上での障害を取り除く一歩になるのかなと思いました。

〈キミに憧れて嫉妬までしてしまう人間の私〉

でも、嫌いだからなあ!!(好きだからなあ!)

認められる柔らかさと余裕を持ちたい今日この頃。

#カタルシス #嫌いな人との向き合い方
#心の余裕 #嫌い嫌いも好きのうち

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