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「抗う」人と「受け入れる」人、どちらが正しいのかな?

最近40歳を超えてきて、いよいよ老眼がきつくなってまいりました。

昨年は、厳しい四十肩に悩まされ、それが落ち着いてきたころから、白髪が増え、そして、老眼が入ってきたなと最近思うようになりました。

私は、週に3~4日は朝からジムに通い、筋トレとウォーキングを済ませ仕事に向かいます。一般的な40代男性よりかは、運動には気を使っているつもりです。

そのような私でも、最近激しく思うようになりました。

年齢には、抗えない。

ここで、抗うとはどういう意味かと気になりました。

調べてみると「争う。抵抗する」とあります。

私は何に対して抵抗をしているのだろうと考えます。

色々と自分の体について考えていると、これからの人生や経営の考え方にも通じるなと考えましたので、ご紹介したいと思います。


「対治」と「同治」

昔、本で知った言葉です。

「生きるヒント」という五木寛之さんのエッセイで、私がとても大切にしている本であり、考え方です。

その本の中で、「同治」と「対治」という仏教の言葉が紹介されています。

「対治」とは、例えば熱が出た時に、体を冷まして熱を下げようとする方法であり、「同治」とは、熱が出た時に、温かくしてたくさん汗をかかせて熱を冷まそうとする方法です。

元気がない友人に「どうした?元気出せよ!お前なら大丈夫だよ!」と声をかけるのが「対治」の考え方。「悲しいよね。わかるよ」と背中をさするのを「同治」という考え方でもあります。

「抗う」という言葉に戻ってみると、抗うとはこの対治の考え方です。

「もっと若く」「若く見られたい」という考えは、「老い」というものを一つの悪とみなして、それに抗う考え方ですね。

ですが、本来人間にとって、年を取るというものは悪いことなのでしょうか。

「人は泣きながら生まれてくる」というリア王という戯曲に出てくるセリフがありますが、これは、人間というものはどのような生き方をしようとも、最後は必ず「死」というゴールに向かうしかない、という一つの真理を示すセリフのようです。

この意味からしても、やはり、老いという現実は、人間が生きていく上での、誰もが受け入れるべき一つの真理なのだろう、と最近強く感じるようになりました。

老眼も、四十肩も、白髪も、体力の衰えも、全て自分の愛おしい体の変化だと割り切って、受け入れる。

さきほど、ご紹介した「同治」と「対治」というお話。どちらが効果的なのかというと、ある統計によれば「同治」の方が効果的だとされます。

「同治」の観点で、老いということを受け入れていく方が、人生にとっては幸せなことなのかもしれません。


多様性の時代における対治

特に、このような同治と対治という観点でものを語ると、そこには一つの対局が存在することに気づきます。

どういうことかと言うと、敵対するものがあるから、受け入れる側と攻撃する側という視点が成り立つということです。

例えば、先ほどの熱が出た例で話せば、熱、例えば風邪をひくという事柄について、これを悪とみなす。

風邪が悪だからこそ、その悪をやっつけようと薬を飲んだりして、抗うわけです。

これは、全ての事柄が、正と悪と明確に分かれている世界では、とてもわかりやすい。

ですが、この世の事象のすべてが、正と悪が明確に分かれていないということは誰にもわかることで、特に最近では「多様性」という言葉で表現されるように、世の中の正と悪の境界線は、極めてあいまいなものとなっています。

このような世界において、それを受け入れずに「対治」して抗おう、という概念自体が、もはや難しいのかもしれません。

この多様性の世界の中では、同治の考え方の方が適合しやすそうです。


経営における同治

経営者の方なら、理解できることでしょうが、経営というものは本当に予定通りにはいかないものです。

そもそも、経営という行為自体が、自分の成し遂げたい世界に向かって、抗いながら前に進むということでしょうから、経営と抗うということは、切っても切り離せない。

むかし、私の恩師というような方に、私が経営の愚痴をこぼしていたときに言われた言葉が忘れられません。

「逆風を感じるということは、自分が前に進んでいるということだと思います。私はそうやって、風を受け入れています」

思い返してみれば、ここでも、「受け入れる」というワードか登場しましたのですね。

こんなことを考えながら、最後に、経営と同治という観点から整理していきたいと思います。

この同治と対治という考え方は、経営理論にも通ずると考えていまして、私の2025年の経営方針は、経営にこの同治の考え方を取り入れてみることです。

会社の規模が大きくなればなるほど、それはいい意味でも悪い意味でも、毎日様々な予定外が生じてくるものです。

経営には事業計画が重要です。

私も、弊社の事業計画も年末にいつも策定することになっています。

この時に毎年思うのは、一年前に策定した当初予算など、ほぼ無価値化しているということです。

私たち経営者の経営という仕事は、大げさでなく、大海原に飛び込んだ一隻の舟を操るがごとく不透明な仕事だと思っています。

一年前に「こうなるだろう」と予測を立ててみますが、一年後にはもはや別の会社のようになっていることもしばしばです。

ここで、一つとても重要な話をしておきますが、私は事業計画は無意味だとは全く思っていません。重要なことは、「予測」は無価値だけど、「構想」は重要だということです。予測というものは「こうなるだろうな」というものであって、これは上述の通り、当たらないし当たらなくてもいいと思っています。一方、構想は「こうなるべきだ」「こうなりたい」という経営者の魂であって、これはブレてはいけないものです。そのうえで、事業計画は、予測ではなく、構想して描くべきだということですが、今日のテーマとはずれてしまうので、ここまでにしておきます。

売上計画も、人員計画も、全く予測通りにはいきません。

勘の悪い経営者さんですと、事業計画通りにいかないことを過度に嫌い、計画とズレた要因を一生懸命に探し始めます。

ただ、その要因のほとんどは、もともとの計画が甘かっただけで、ズレたことが問題ではないのです。

「予定外のスタッフの退職が出てしまった!」などと慌てているのでは、事業は成立しません。

特にスタッフについては、どんなに立派な組織を作りあげたとしても、ほんの些細な、または組織とは全く関係のない要因で、スタッフは退職します。
これを可変性と呼びますが、これも別の話なので、ここまでにしておきます。気になる方は下記のブログへ。

ここで、同治の考え方が重要となります。

経営をしていく中で、策定した事業計画と違う要因が発生した際に、それを悪と叩いて除外しようとするのはキリがない。

そうではなく、その時その時に発生する、新しい事象を、これも自分の愛おしい会社の一部だと受け入れて、その新しい事業を踏まえたうえで、どう進んでいくかを再考していくということが大切と思います。

よく言われる話ですが、何を成し遂げたいかではなく、誰と成し遂げたいかということの方が、経営では重要と言われたりもします。

今いる人材や資源をもとに、どのような世界を創っていきたいかを考えた方が、成功はしやすいと言われています。

その意味でも、この同治と言う考え方は、経営者の方にはぜひ、頭の片隅に入れておいてもらえるといいのではないかなと。

そんなことを考えながら、今日もまたジムに通い、全力で抗おうとする自分もまた、受け入れてあげようと思うところです。

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