台湾のことをタイで考える
僕がタイに住んでいた頃、一緒に住んでいたのは台湾人で、花や木が好きだった。
部屋の中央に置かれたダイニングテーブルには、いつも活けられた蘭があった。それは彼の生き方を具現化するかのように、いつも凛として咲いていた。
そうなのだ。凛としていなければならない。
外国人がタイで生きるということは、常に凛としているということなのだ。
僕は一度彼にひどいことを言った。ちょっとしたけんかになったとき、「君はタイ人になった」と言い放ったのだ。
彼は瞬時に傷ついたような顔をした。僕はすぐに後悔した。
タイで生きることは、少なからずタイの価値観を受け入れることだと思っている。
ただそれは受け入れるだけで、タイ人になることとは違う。母国の心を捨てることとは違う。
誰にも見えないところ、胸の奥のほうでちゃんと、母国の国旗が翻っている。
確かにタイの心と母国の心が入り乱れるとき、心が不安定になる。
しかし、蘭のように凛としていれば、崩れずに生きていけると、台湾人の彼を見て今はわかる。
あのときの話をしにタイに行きたいな。そしてもう一度あやまりたい。いつもみたいに活けた蘭を挟んで斜めに向かい合い、タイの甘い紅茶を飲みながら。
僕はタイについて考えるとき、いつの間にか台湾のことも考えるようになっている。
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