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稽古の記録2025年1月④´~だるい体で稽古場へ~

1月最後の稽古に参加したうちのひとりからの、記録というよりは主観的な感想文である。

以前、とある青少年センターでコンテンポラリーダンスを4か月習っていたことがある。そこの先生に、ぼくは「だるい体」だと肯定的な文脈で言われたのだが、たしかにぼくはだいたいのときが、だるい。毎日だるいけど、時々テンション上がって元気みたいな感じで生きている。働きたくないのも、ふつうにしててもだるいのに、さらにだるいことしたくないな、会社ってしゃっきとした感じでないといけないんでしょ、という気持ちによっていたりする。

そんなだるい体の私だが、この日の稽古のときはさらにだるかった。というのも、朝10時から夕方17時まで、休憩をはさみつつだが、住んでいるシェアスペース「とよなかリレーションハウス」の大掃除をみんなでしていたのだ。掃除ってめちゃ疲れる。ふだんより疲れた体で稽古場に行った。

この日ははじめから、創作するやつである。みんな、体が元気に動いていてうらやましい。ほんとはもっと動かしたいなと思うが、動いてくれない。前の人の動きを見て自分の動きを考えるのだが、なかなか思い浮かばないし、思い浮かんだのもこれでいいのか悩み決まらない。それは体がだるかったこととは関係なく、ふだんでも決まらなかったと思う。まぁいいと思い、あせる気持ちもあるが時間をゆっくり使う。

動きに意味をつけたくなるが、意味がないほうがダンスっぽいなとか、意味にいつもとらわれたくないなとか思う。前の人の動きから意味がうかんでしまったものは尊重しつつ、基本的にあまり考えないようにした。ただ、動きを覚えるにあたっては、なんらかの名づけはしたほうが覚えやすい。名前はつけるが意味はないみたいな感じで覚えた。それでも、覚えるのに時間がかかった。体がだるいので、練習回数も多くはしたくなく、基本的にぶらぶら休憩して、ほかの人の動きを見ていた。

ほかの人や、もうひとつのチームのほうがよくできていると思ったが、映像を見ると自分たちのチームもよかった。映像では個ではなく全体性として感じられた。

打ち上げ?で、前の人の動きを受けて動くのではなく、自分のなかで動きを決めていた人もいたと聞いて、うーん、自分はそうはせんかったなぁと思った。

文責:期期艾艾(ききがいがい)

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