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『人を支えることを考える練習』ワークショップ②の記録

日時:2025年2月18日(火)19時〜22時
参加:6名
見学:1名
記録:伊藤

体操回しとグッドアンドニューから開始、19時時点では、見学者1名と私含め4名が参加、他の方は19時半ぐらいに2名、21時15分頃に1名参加された。

0.会場準備
1.体操回し、グッドアンドニュー
2.ブラインドスクエア
3.セブンアップ
4.一人ずつ一歩踏み出す
5.椅子取りゲーム
6.詩の試演
7.片付け
8.資料配布

0-5,7,8は飛ばして、6について。今回の詩の試演では、国語の教科書に掲載されている詩を扱った。まどみちおの詩だが、村瀬学の論述が参考になるので、引用する。

私たちは、そこに存在しているだけでは、そこに居場所があるとは認めてはもらえない。何度も言うように、「存在」と「存在承認」は違っているのである。「存在」は決して、「そこにいる」だけで「大事に」守られているわけではない。「法的な承認」が得られないと、「そこにいる」ことが不当になり、強制立ち退き、強制排除、をされてしまうのである。そのことを踏まえて、この「ぼくがここに」を読まなくてはいけない時代にきている。

村瀬学「「リンゴ」の詩異論 ー日本と台湾の間で」(『現代詩手帖 2017.10月号 11月号』所収)

「リンゴ」という詩は、3期のあした帰ったで扱った記憶がある。

詩の試演では、3つのグループがそれぞれに発表した。Aグループは、詩に対して批判的な上演、Bグループは書かれた意味内容を一文ずつ体現しようとした上演、Cグループは立ったままの状態で読む箇所と読まない箇所がある上演だった。AとBは、今回のワークショップ参加者が、Cは今回の見学者と私のグループだった。AとBは一定時間の話し合ったりするクリエーションの時間を経ての試演、Cグループは、見学者の方に詩を板書してもらい、その後私が演出プランを提案、見学の人にお願いして舞台に立ってもらった。Cの場合、演出と出演、お願いする側とお願いされる側がはっきりと分かれていた。見学者自身の演出プランもあったかもしれず、しかし時間の関係で、私が半ば強引にお願いして成立した試演だったかと思う。AとBは共作、Cは共作とは言えない、のか。そんな話し合いがなされても良いかもしれない。参考になる日記を見つけたので貼っておく。

https://hirokotomiie.hatenablog.com/entry/2024/10/30/102036

記録と題しながら、ワークショップ中に起きたことを書いている部分と、その中で考えたことを書いている部分がある。書くことで考えられている部分がある。

次回ワークショップ③
2月25日(火)19時~22時@高槻市

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