ドーナツ、穴と夏休み
ドーナツが浮かぶ。
いや正確にはドーナツの穴の部分、カッコよく言えばドーナツホールが気になって仕方ない。
ドーナツは穴があるからドーナツたらしめるのだし、「ドーナツの穴 哲学」「ドーナツ 名言」など検索すればざくざく出てくるし、いつの世も語りぐさになるものと思っている。
なぜ、気になるのだろう。
凶悪な夏休みのせいだと思う。
穴に逃げ込みたいのか。
私自身が食べ尽くされて穴だらけなのか、分からない。
ごはんを作りながら、ずっと昔に、夫婦喧嘩の最中に言われたことを思い出した。
「時間の重みが違う」
言葉は、剥がれないおふだみたいに私に貼り付いてる。
剥がそうとしていた時期もあったが、やめた。
剥がしても跡が残る。その方が気になるから。
発言に腹立ちながらも、私もまたどこかでそう思っていることを考える。
そう考えてしまう自分にも腹が立つ。
ドーナツは穴があるから美味しい。
ここだけの話、穴がないドーナツは、ドーナツと思っていない。
あんドーナツは、別の美味しい食べものだ。
心の真ん中にも穴が欲しいと思う。
ドーナツホールみたいなもの。
外から流れて入ってくる気持ちも言葉も、自由に自在に穴に吸い込まれてくれるといい。
またある時に、出たり入ったりすればいい。
消えてなくなるのではなく、穴の中にあるもの。
穴の中に入っていると、自覚しているもの。
つらつらと考え事をしながら夜ごはんを作る。
夜ごはんを作っている時は、思考が捗る時間帯。
身体はくたびれている分、頭は冴えてくるのだ。
作りながら、ひとりで怒ったり、笑ったり、泣いたり、歌ったりする。
一夜干しの鯖を焼き、茄子をごま油で揚げ焼きにする。
揚げ茄子は生姜のすりおろしとポン酢と混ぜ、胡麻をちらす。
頼りない細さのアスパラを束ねて薄肉で巻いて、焼く。
魚だけで寂しそうな皿に茹でたブロッコリーを仲間に入れて「ごはんだよ」と声をかけると、
「お芋が入ったごはんだ」
「肉もある」
などと言いながら家族が集まる。
これだけあるのになと思いながらも、明太子の小皿をのそりとテーブルに出すと、わあと歓声。
いただきますと味噌汁をひとくち飲んで、壁のドーナツを見上げる。