言葉で伝えること
接客業をしていて、お客さんとの会話を考える。
私はパン屋でパートをしているのだが、時として「味」や「食感」について質問を受けることがある。
例えば、「このピリ辛チキンバーガーのピリ辛はどのくらい辛いの?」だとか「このパンは硬いの?やわらかいの?」のような質問だ。
お客さんは購入にあたり、それを知りたい。
出来る限り正確に伝えたいし、一回の説明で分かる(イメージが明確につかめる)ように話したい。
いつも思うのが、私と相手とは違うのだということ。
私が「それほど辛くないです」というのも、「やわらかいと思います」というのも、私の感覚でだということ。
もう少し言葉を添えて、その言葉に私と相手との共通理解があるものを、と思う。
そのことを人から教わった。とても大切なことだ。
自分の感覚を軸に話していくことに慣れてしまっている私は、特に接客をしている時(なるべく接客以外でも)気をつけたいと思いながら働いている。
例えば「カレーの中辛くらいの辛さ」だとか「食パンくらいのやわらかさ」だとか。
問われた場で迅速にかつ自然に口から出てくるようにするには、場数を踏む必要がある。
「それってうちの子には辛いかなぁ?」とか「私が噛み切れると思う?」という次の質問が続くこともある。
もう少し言葉を伝えてみようと試みる。
甘いものがお好きであれば、もしかしたら辛いかもとか、焼いていないふわふわの食パンよりは噛みごたえがありそうです、あと明日になると少し硬さが出てくると思いますとか。
分かりやすく相手に届く言葉は何だろうと、常に考える。
言葉は重ねれば重ねるほどいいのか。
それとも重ねるほど分かりづらくなっていくのか。
時と場合によるのか。
話し手の能力、個性に委ねられているのか。
話し言葉と書き言葉の違いがあると思うので、ここでは「話す時に使う言葉」に限定したい。
自分がお客の立場であった時の、あるお店の方との会話を思い出す。
父が亡くなった後、私は滅多に行かないジュエリーショップに立ち寄った。
欲しかったのは黒真珠のネックレス。
普段使いのものではなく、特別なもの。
父のことを思い出せる、身につけるものが欲しかった。
店員さんに見せてもらったネックレスは、思っていたよりも遥かに高額であった。
「すみません、これよりも値段が安いものはありますか?」
店員さんはにこやかな表情で頷くと、別のネックレスを出してくれながら、こう言った。
「こちらが当店のボトム(botton)になります」
ボトム。
彼の発音には品のある清潔感と店の商品への揺るぎない自信があって、聴き惚れてしまった。
そうか、「安い」は私にとっての感覚だから、彼は「いちばん下、底(bottom)」という表現をしたのか。あえて日本語ではない言語を使って。
「こちらが、当店でのいちばんお求め易い価格のものになります」
「お安いのは、こちらですね」
だったとしても、人によっては不快にとられなかったかもしれない。
ただもしかしたら、「安い」という言葉を"売る側"が使うことに、不快と感じるお客さんもいるだろう。
安いかどうかを決めるのは、購入する側であるから。
かつて私が店員をしていた時(今の職場ではないところ)に、現場で見聞きしたエピソードがある。
お客さんに対して、
「これはお買い得ですよ、今だけのセール価格です。これが安くなっていることは滅多にないから。こんなに安いんですよ、びっくりでしょ」
のように商品を勧めた店員がいた。
それに対してお客さんが、
「安いかどうかは私が決めます。あなたではない」
とピシャリ、言い放った。
それを離れたところから見ていて、全く持ってその通りだと感心し、売る側が安易に「安い」を使うべからずと心に刻んだ。
もちろん、ケースバイケース。
威勢よく聞こえてくる「安いよー安いよー」の声に呼び込まれる時もあるし、「激安」「超お買い得」「買わなきゃ損」のような購買欲に訴えるキャッチフレーズは商いにとって重要だと思う。
言葉の捉え方、感じ方、持つイメージは、相手とは違うと思いながら暮らしている。
だからと言って、全く異なるものではなく、ある程度の重なる部分がある。
だからこそ、分かる分かると共感したり、瞬時に理解してもらえることも多い。
誰かに問われて説明を求められる時、出来るだけ分かりやすい言葉を使いたいと思う。
家族(特に息子達)には
「長い。ウザい。いったい何が言いたいの?」
と不評なこともあるので、真摯に受け止め日々研鑽に励もうと思う。
bottomの黒真珠は購入しなかった。
とても素敵だったのだけれど。