ばかやろー

我が家の兄弟の兄のほうは、耳鼻咽喉科との縁が切れない。来院しない月はない、と言ってもいいくらい、耳か鼻か喉のことでたいへんお世話になっている病院が近所にある。

初めて受診したのは1歳前だ。座ったまま頭を左右にぶんぶん振るので心配になり検索すると「中耳炎の時にそういうことをする」というのを見つけ、あわてて連れて行った。結果、異状なし。「頭振って遊んでるんでしょ」と先生に言われた。これが長男の耳鼻科デビュー。

次は幼稚園年少のとき。園庭のビオトープに落ちて、下唇をざっくりと切った。血は止まって落ち着いてはいるので、かかりつけ小児科の夕方診療が始まったら連れて行こうと家で様子を見ていたら、「耳が痛い…」とぽそっとつぶやいた。耳も打ってしまったのかと思い、どんな風に痛い?どっちのお耳?と聞き返すが「もう痛くない」と言う。見たところ外傷はないのだが気になって、小児科に行く前に耳鼻科に寄ることにした。

急性中耳炎だった。抗生剤を出してもらい、また数日後に受診することになった。小児科では「もうしっかり血は止まっているし、耳鼻科で抗生剤が出ているからそれを飲んでね。口の傷が膿まないようにね」で終わった。

ここからが中耳炎との戦い。急性中耳炎と滲出性中耳炎になるわ、なるわ。幼稚園の三年間は、”耳に何も異常がないとき”の方が少なかったと思う。この耳鼻科では患者の耳の中をテレビ画面で映像で見せてくれるのだが、素人の私がこの映像を一目見れば症状がわかるようになるくらい通院した。

つらかったのは、薬を飲むことが大の苦手だった長男に、何日か分も抗生剤を飲ませなくてはならないこと。どんなものに混ぜてもばれるし、絶対飲まない。乳幼児用の服薬ゼリーも全くダメ。粉状のものに水を加え練ったものを口の中の頬の内側に塗ったり、液状にしてスポイトで流し入れたり。いずれにせよ、互いに組み合い、泣き叫ばれ、押さえつけての地獄絵図になった。

もっとつらかったのは、受診のとき。嫌で嫌で暴れ狂う。私は次男をおんぶしたまま、長男を羽交い絞めにして診察台に座る。看護師さんや他スタッフさんが3人くらいで、長男の手足を抑え込んで始まる診察。そして「何するんだよぉー!ばかやろー!やめろー!〇〇(←先生のお名前。呼び捨て)」と叫ぶ声。「そんなこと言わないの、ダメでしょ」「先生、申し訳ありません」と平謝りの私だったが、先生は可笑しさをこらえてか小刻みに震えながら診察してくれた。

あまりの態度の悪さに私は先生にこう告げたことがある。「先生、ここでの暴言やあの態度、申し訳なくて私が耐えられません。そして薬も、ちゃんと飲めているのかどうか…受診をいったん止めてもいいですか?」

「お母さん、何も気にしないでください。ここに連れてくること、それが出来ればあとは私たちがちゃんと診ますから。治っていない状態で放置することが一番心配です」先生やスタッフさんらのやさしさに甘えながら、耳鼻科通いの日は続いていった。

年少の終わり近くになり、騒がずに受診できるようになった。そしてあれほど大変だった薬も、嫌がらず飲んでくれるようになった。あれだけ騒いで困らせた過去も、本人はすっかり忘れてしまっている。

暴言を浴びせかけていた彼だが、診察が終わると必ず大きな声で「ありがとうございましたっ!!」と言い、一礼してから診察室を出ていっていた。鼻水や涙でぐしゃぐしゃの顔で。

それはずっと変わらない習慣で、先生たちはいつもにこやかに「お大事に」と返してくれる。昔も今も。






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