ばななさんと同じ
自分と夫と誕生日が同じな次男の出産の話。
次男は4キロ越えの大きな赤ちゃんだった。出産日2日前のエコーでは、3600グラムくらいかな、と主治医から聞いていたので、生まれてきたときは分娩室にいた全員でその大きさに驚いた。
大きかったからか最後の最後に出てくるのが難しかったようで、赤ちゃんの心拍が少し弱まってきてしまい、助産師さんが「ごめん、乗っかって押しますね!」と私のおなかの上にひらりと馬乗りになってくれ、最後の一押しを手伝ってくれて無事生まれた。
出産後に気づいたのは、長男の時とは違い、足が自分で動かせなくなっていたことだった。陣痛やいきみによる筋肉痛や会陰の傷の痛さとは違う、もっと、こう、股関節のあたり、恥骨にガラスが刺さっているかのごとく痛いのだ。そして自分で足を動かすことが出来ず、よっこらしょと足を手で持って動かさなくてはいけないし(立つことは出来た)最初はつかまるものや松葉づえがないと歩けなかった。歩こうと足を動かそうとすると、痛みと共にギギギギギ…というきしむような嫌な感触がした。
あまりに痛いので、院内にある整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ、「恥骨離開」と診断された。3センチ開いちゃってますね、と先生に言われた。治りますか?と聞いたら1ヶ月くらいすれば自然に治ると言われ、よかった、4月の長男の入園式には行けると安心した。
自然に治ると言われ安堵したものの、とにかく痛い。寝ても痛いし、半身起こしていても痛い。寝返りなんて痛くてうてない。看護師さんに骨盤ベルトでしっかりと絞めることを勧められ、それをしていると少しはましになる。
産科の病棟なので、赤ちゃんに会いにくる方々がたくさんいた。私が廊下を壁沿いにヨロヨロと移動していると、「あのお母さんは縫った傷が痛いんだね。かわいそうに」と小声で話しているご家族がいたりするのだけど、違うんです、骨です、傷の方は痛くないです、と心の中で叫んでいた。
「恥骨離開」、私はこの症状を字だけでは知っていた。好きな作家の一人、吉本ばななさんの著書の中で。
ばななさんが出産の時、この恥骨離開になってしまったエピソードを書いていたのを読んでいたのだ。妊娠中、ばななさんの妊娠、出産のところを読みながら、私も2月出産、男の子、好きな作家さんと同じでなんだか嬉しいな、と思っていた。そして恥骨が離れるってどんな感じだろう、想像できないけど、すごく痛いんだろうなぁ、とも。
すごく痛かった。猛烈に痛かった。私は「1ヶ月くらいで治る」と聞いていたので希望が持てたけれど、それでもつらかった。ばななさんもきっと、この痛みと不自由さの中で無我夢中で赤ちゃんを育てたのだろう。
治ってから何年経っても、あの時の足が動かないつらさは忘れられない。長男次男が生まれる前に亡くなった父は、晩年足が不自由だった。父はどんな気持ちでいたのだろうと時々考えてしまう。