他所は他所、うちはうち

年が明け2024年になって間もなく飛び込んでくる暗いニュース。浮足立った正月番組が順に報道特番へ切り替わっていくと、結局のところ正月もただの365分の1でしかないのだと現実として思い知らされることとなった。閲覧数に応じて収益が得られるようになったTwitterは直後から目も当てられないような有様で、そこには正義はもとより悪さえも何もなかった。そもそも何も起こっていなくても、いつからかSNSには日々無数の正義屋が登場し、標的を見つけては己の信条に従い吊るし上げ、数の圧力でじわじわと息の根を止めていくような光景が広がっている。人に迷惑をかけるような行動を1つ起こせば、スマートフォンで撮影されて簡単に拡散されていく現代、家から1歩出ればそこは戦場だ。背後からいつ刺されてもおかしくない。

個人的には例え何をしていたとしても、適当なスタンプなどで加工して顔を隠していたとしても、他人を撮影して自らの庭に貼り付けて良いとはどうしても思えない。そんな投稿を目にするたび、そんな投稿を拡散している知人を目にするたびに気持ちは落ち込むものの、そういった性質を持つからこそSNSとして成り立っているのだとも考えられる。その結果、日に日にSNSが今の自分には合わないものになっている事を実感していく。友達が持っていて欲しかったゲームを買ってもらえなかった子供の頃によく言われた「他所は他所、うちはうち」あれは大人になってからの方が大切になるのかもしれない。

2024年は、TwitterやthreadなどのSNSを積極的に書かないことに決めた。いつまで続くかわからないが、月に数回の更新を目標にこうしてnoteに何か書きまとめることにする。(noteが適切か否かも考えものではあると思う)
圧倒的に嫌なものを目にする機会が多いTwitterは、それでもあらゆる情報が集約されている現状も無視できず、正直辞めるのは容易でない。まずは荒れ果てたプラットフォーム上に「書き残さない」「片手間で発信しない」ことを目標に、良かったものや残したい出来事は、長くはなくともきちんとまとめて記録として発信をする。そんな癖を身につける1年にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?