生涯、障害だらけ。
雨、雨、雨。
雨が降るのは個人的には好き。でも、極端な雨や災害級の雨はどうかやめてくれと願う日々。自然には勝てないし、自然災害に比べれば人間の悩みなんてちっぽけなものだなと、どしゃ雨降る窓を見ながらぼんやり思う。
それでも。人間の悩みは当人にとっては大きい悩みであり、今日もその悩みと向き合いながら生きている。
一定基準を満たしていないといけない、みたいな風潮が嫌いだ。
全部基準を満たしてる人の方が生きやすいだと?そんな世界なんてクソ食らえ!!!(お口が悪いぞ???)
出来るにこしたことはない、でもそれが皆出来るわけないじゃんってことを言いたいんだよね分かる(?)
この世はしがらみが多すぎる。生きづらさとも言うべきか。
何事も上手くこなさないといけないという重荷みたいになってる。
そんな時に、思う。
不器用な自分を認めてくれる場が欲しいよな、と。
「不器用でも、居ていいんだよ」と言える場が欲しい。
実生活において、それは家族や友人との交流で事足りるかもしれない。
でも、交流できる場が無い人だっているわけだ。
その居場所が、職場になるのか、サークルになるのか、どこになるのかは分からんが。
ハイスペ集団とかクリエイター軍団に若干の違和感を覚えるのは、不器用な人は来ないでくださいみたいな変な線引きをされているような気がして。考えすぎだと思うんだけど。
もちろん、ハイスペやクリエイターの方々も世の中に必要だし、単純にすごいな〜って尊敬する。
でも私は敢えて不器用な人たちのゆるいつながりをつくりたいなぁ。
もちろん不器用な方々にも強みがあって、得意分野だってもちろんあると思うけど、
何かが秀でている代わりにこれがぜんっぜん出来ない!って人がいていいと思うし、そういう人達を認める場、居ていい場って必要だよな。
障害も一つの個性と考えると、みんなが「個性的な人」。
人間何かしらは不器用で、障害はあって、それは当たり前のこと。
何より、不器用=愛嬌 であって欲しい。不器用って、なんか人間らしいし、可愛いじゃん。
そうであって欲しい。