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20世紀末、サニーデイ突然の解散へ。
2000年12月6日
大分 ライブハウス ドラムTops
サニーデイ・サービス
LOVE ALBUM TOUR
雑居ビルの地下じゃなく、2階にライブハウスがある、ちょっと珍しい。
もう今はなき。
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1999年の北海道ライジングサンロックフェスでステージを観てから、もう大好きになってしまった、サニーデイのツアーを追っかけ、2000年12月に長崎と大分へ出掛けました。
10月10日仙台から始まったツアーも、ラスト3、この大分のあとは、12月13日と14日の新宿リキッドルームを残すだけとなった、地方公演最終日でした。
この年、私はブラック職場で名高いところで、ひどいパワハラやイジメを受け、もう心身ボロボロになり、12月の半ば過ぎを目処に、退職する意向を伝えたのが11月。有休を消化、気分転換、ストレス発散、とにかく一日を乗り切るのも大変だった私にとって、サニーデイと過ごせる時間、日常から逃れられるチャンスとして、心のつっかえ棒だったのです。
広島公演2日目では、壊滅的な演奏に、アンコールをやらないで終わるというような、調子の出ない日もあったりしたそうですが、セトリも2時間半にほぼ固定され、演奏も安定して、余裕すら出てきたようでした。
大分前日の、こちらもすでに存在しない長崎はNCC&スタジオ。
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まるでザ・ベストテンをやってたTBSのGスタくらい大きなスタジオですが、公開放送用の会場だったので、音響や照明設備も素晴らしく、演奏にも艶がありました。
ステージ前には、アリーナ部分、スタンディングゾーンなるものがあり、私が観に行った当日はここでの立ち見のみで、後方にある、👆の画像にあるような2階の固定席部分は閉鎖されておりました。
ステージは高く、観やすかった記憶があります。だから、そんなにギュウギュウな感じは全くなくて、余裕があって終始快適な印象がありました。
ライヴ中に、曽我部が「結婚指環がどっかいっちゃった!」と大騒ぎになり、演奏そっちのけで探す場面がありました。そう、曽我部くん、結婚したばかりでした。
またMCでは、「さっき街なかのマクドナルドで飯を食ったんだよ」と。お客さんはビックリしていました。こういうところが、普通の一般人と変わらない感じがする、親しみを持てる部分なのでしょうか?
さて、この大分公演も、ラストは大団円で、客席からは「また来てねー!」と終演を惜しむ声が飛び交うほどに、大成功な一夜でした。
ところが、二日後の12月8日、私も7日に東京へ戻り、余韻に浸っていたも束の間、まさかの、
「サニーデイ・サービス解散」
スペースシャワーTVのホームページから「サニーデイ・サービス解散により、番組公開収録は中止になりました」と情報が流れてしまったらしいのです。
オフィシャルサイトはまだ存在せず、ファンサイトのBBSでは、信じられないという書き込みが相次ぎました。
しかし、当時のスタッフから、「情報が漏れてしまったことをお詫びします」とBBSに書き込みがあり、解散を否定することなく、「14日で解散します」と、後付けで正式に発表となってしまいました。
12月8日、私は一日中、泣くしかなかった。
あとになって知りましたが、サニーデイは1998年頃から、解散の噂はあったそうです。しかし、何とか乗り切って来たものの、今回のアルバムのレコーディングやツアーで、やむを得ない状態となり、ツアー終了とともに、活動は一旦白紙にして休止、とするつもりであったようだが、「解散」の独り歩き報道がなされ、曽我部恵一が「音楽の神に見放された」と後日言っていたように、解散を余儀なく追い込まれてしまった、残念過ぎる結果となった。
近年刊行されたサニーデイのインタビュー本や、晴茂くんが亡くなってからの曽我部のコメントなどで、解散の真相は「若さ」からくるものだったと、容易に分かるが、あの時は誰もどうすることもできなかったのか?悔やまれるだけ。
ただ、この日の大分のステージは、解散の言葉とは無縁なほどに素晴らしかった!
幸いにも、私は12月13、14日の新宿リキッドルームのチケットも手に入れていた。
正真正銘の最後の日は、まさに最期を看とるかのような、複雑な気持ちだった。900人で満員の会場に、1200人は入れていたであろう。
曽我部が、「リキッドにこんなに人が入っているのは見たことない」とも言っていた。もちろん歌舞伎町にある会場のヒューマックスビルの下には、入れなかった人がいっぱい。
「もう少し前へ詰めてください」という係員の声を何度も聞いた。
この待ち時間で、すでにギュウギュウで、身動き取れない状況。
三度目のアンコールで出てきたメンバー。
とりあえず出てきたけど、どうしよう…みたいな決まり悪い感じがするなか、どなたか前のほうのお客さんが「サマーソルジャー!」と叫んだ。
すると、高野勲がピアノでイントロを弾き始め、おもむろに演奏は始まった。
こんな奇跡ってあるんだよ!
ツアーでは一度も演奏されなかったのに、のちに曽我部も言っていたが、最高の出来の演奏だった。
こんな演奏を聴かされたら、みんな泣いちゃうよ!
「サマーソルジャー」が、この時代のサニーデイの最後の演奏曲に。
この音源は、2013年頃に発売されたベスト盤に初収録されたが、あなたも確認するといい。オフィシャルではない、リスナーがこっそりと録音していた音源だから、直しなどナシ。
いや、当時曽我部は、「オレたちのライブは写真も録音も、どんどん好きにとってくれていいから」と、本当に言っていたよ。私はハッキリと記憶している。でも私は機材もなかったし、何よりステージに集中できないので、持ち込んだことはなかったが、今にして思えば、撮って、録っておけばよかったなと。
そんなギュウギュウの中でおよそ2時間半。
歌舞伎町の通りを放心状態でトボトボと歩く帰り道、ポケットの財布に半分に折って入れていた半券チケット、財布を取りだしたら、汗でぐっしょりと濡れて、チケットが真っ二つにちぎれていた。
なんか、本当に終わったんだという印象が強烈に感じる瞬間でした。
後日、そのチケット画像を👇ここにアップするだろう。
それよりも、つっかえ棒を失くしてしまった私は、退職の時期と重なり、ただ引き籠って、廃人のようになってしまい、しばらく立ち直れなかったことは言うまでもなし。
それからしばらく、どう生活していたか、記憶を閉ざしてしまい、今も思い出せない。思い出すのがこわい。
(追記)
思い出せた。
しばらくして、思いがけなく、前に世話になった職場の方から声をかけてもらえて、それも本当に偶然。
わずかな 短期間だったけど、とりあえず食い繋げたんだった。
こちらの事情も理解してくれて、有り難かった。もうああいう方、いない世の中になったな…。
ライブとか、とても行く気になれなかったけど、きっとまた行こうと思ったきっかけは、ミッシェルだ!
代々木RIOTがあったんじゃなかったか?2001年は?!
それからまた観に行こうと思えたんだと思う。たぶん。