療育不要?療育について考え直す
最近療育関連の話をしたり聞くことが増えたので、改めて「療育とは」を考え直す機会になった。
うちは息子が1歳児の段階で自閉傾向が強く、その後トントンと自閉症スペクトラムと軽度知的障害の診断がおりた。
私としては息子が「障害児」になったというショックだったし、今でも微妙に障害受容はできていなかったりはするけど、当時は診断名がついて"納得"した気持ちの方が大きかったかなと思い出す。
療育は"障害の診断がおりた子"が行くところ?
多分、このイメージをいろんな人が持っているんじゃないかと思う。
ネットで繋がった人やリアルの友達も、軽度知的伴うASDの息子が療育に行っているのを知っているので、そういうイメージが強いのではと思っている。
でも個人的には、グレーの子でも、困り事の内容次第では療育を必要としている子も多いのではと思っている。
診断がおりていなくて、問題行動がなければ療育は不要?
基本の判断は診断の有無だとは思うけど、それ以上に親・子の困り事によるのではないか。
それ以外に発達障害の子がどんな困り事を抱えているかって、すごく幅広い。
・初めての場所/人/物事に対する不安が強い
・イレギュラーなスケジュールや、やることに不安を抱く
・物への執着が強い
・人との距離が近すぎる
・聴力が過敏
・声の大きさの調整が難しい
・指先が不器用
・ボールを投げる等の運動が苦手
・感情が理解しにくい
・言葉で伝えられない
・たくさん人や賑やかな場所が苦手で落ち着かなくなってしまう
・椅子に座っていられない
・人の話を聞けない
などなど、あげたらキリがないほど。これはほんの一部ではないかと。
どれか1つでも当てはまったら発達障害だとか、そういうことではないので誤解しないでね。
子供の困り事って親が見てわかる場合と、療育の先生や心理士や医師によって知る場合もある。
私が思う、療育に行く意味
療育ってプロの先生がしっかり見てくれるので、子供も安心感があるはず。
保育園の先生は好きと同じような感じだと思う。
それで子供の「困り事」が減ったらいいじゃない、って思っちゃう。
それと同時に、親も勉強することになるので、困った場面に対してどう対応すればいいかも知ることができる。
お互いに生きやすくなるのでは、と思っている。
ちなみに、息子は療育の先生みんな大好き、大好きすぎて家での困り事全く出ない(笑)
"療育に行く=障害がある"ではない
まぁ確かに療育に行くってことは「障害がある」っていうイメージだよね。
自分の子供が定型だと思っていたら保育園や幼稚園の先生から「1度相談してみては」など言われたら、それはとてもショックだと思う。
療育に通う抵抗もあると思う。
「障害を受け入れる」みたいになっちゃうから。
でも何か言われたその内容が「今」「特定の場所」で起きているのには何か理由があるだろうし、それが就学時につまづくようなことだったら取り除いてあげたほうが小学校生活の困り事も減るから、行くことのデメリットはないように感じる。
唯一のデメリットは、空き情報確認やヒアリングシート書いたり送迎かなぁ…普通の習い事と違って面倒なのはそのあたりかも。
色々考えてみたけど、親が受け入れられるかどうかだけなのでは。
"療育に行くのは気持ちが進まない""めんどくさい"という理由で避けていたたら、子供が生きにくく育っていくのになぁ…と思ったり。
だからといってみんながみんな療育行く必要もないし、療育機関もキャパはあるので、難しい問題よねぇ。