『アンチヒーローズ・ウォー』 第一章・2

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 ふらふらとした足取りで、シュガーは廊下を抜けていった。
 筋肉の内側に、こびりついたような疲労感が残っている。あちこちのつっぱるような感じもなくならないし、それもこれも空腹のせいにちがいない。
 とにかくいまは、温かいスープをすすり、汁のしたたる肉にかぶりつきたい。
 肉。肉肉。思うさまおなかに詰め込んで、そのあとは太るとか気にせず、ぐでーっ、とだらけたい。
 そんなことを考えていたら、よだれが垂れそうになった。
 じゅるり――と、目の前の窓に映る自分の姿を発見する。
 欲望にゆるみきった、なんてだらなしない顔。
 だが……口許をぬぐい、ちょっと表情を引き締めると、驚くほどの変化が起こった。
 水底に沈んだ翠玉《エメラルド》を思わせる、透明感のある瞳。目尻はすこし吊り上がり、意志と負けん気の強さをうかがわせる。
 ふわふわで綿のような白い髪が卵型の小さな顔を囲み、ぴょこんと飛び出した耳は貝殻のようにかわいい。
 磁器のように滑らかな肌もまた白く、しっとりと指に吸いついてくる。
 大まかな要素だけでなく、顔のパーツ一つひとつの造形も素晴らしく、なにより配置が絶妙だった。

「……美少女じゃん」

 まさか自分の容姿がこれほど整っているとは予想しておらず、シュガーはしばし見惚れた。
 これがボガートの仕事だとすれば、グッジョブである。
 個人的な好みで言えば、もっと凛々しくて大人っぽいほうがよかったが、この、思わず保護欲をかきたてられるタイプも悪くない。
 およそ兵器などという物騒な存在に似つかわしくないのもたしかながら、相手を油断させるという狙いなのだとすれば、それは大当たりだと言わざるを得なかった。

「うっひょお!」

 背後で素っ頓狂な声があがり、シュガーはびっくりして振り向いた。
 と同時に、鼻先に衝撃を受ける。

「いたっ……なに? なんなの?」
「おいおいおいおい。なにまともに喰らってんだよ! ひょっとしてまだ寝ぼけてんのかァ?」

 シュガーに鼻ピンを食らわせた相手は、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。
 黒よりの銀髪を両側でくくった、シュガーよりもさらに小柄な少女。黒く丸い目がえらく印象的だ。

「にしても、ほんとに復活したんだなっ! いーじゃんいーじゃん。地獄の淵から蘇るとか最高にクールじゃん!」

 なにを言っているのだ、この子は。

「なんだよ、ぼーっとして。オレを見忘れちまったのか?」
「見忘れたもなにも、あんたなんか知らないし」
「うっそ! マジか」

 少女は両手両足をカニのようにひらいた。

「あぁー、そっかー。オメー、けっこうヤベェ状態だったみたいだからな」
「は? なんのこと?」

 さっきから訳のわからないことばかり。どうやら変なのに絡まれてしまったようだ。

「そんで? こんなトコでなにしてたんだ――って、メシか! いいぜ、とりあえず食いながら話そう」

 そう言って、少女はずんずん歩き出した。

「どした? こっちだぜ」

 しかたなく、シュガーはついていくことにした。
 念の為うしろを振り返り、逃走経路を確認するのも忘れなかった。


 勢いにつられるようにして到着した食堂は、陰鬱な研究室や狭苦しい廊下とはうって変わって、明るく開放的な空間だった。
 細長いテーブルがいくつも並び、そこで大勢の人間が食事をしている。
 人間――といっても、見た目がそうなだけで、実際は怪人《ノワール》なのだろう。“変身”し、正体を晒すのは、怪人《ノワール》としての力を用いるときだ。
 人数が全部で四、五十人ほど。男女の比率はほぼ半々で、ほとんどが数名ずつのグループを作り、黙々と口に食べ物を詰め込んでいた。
 メニューはAセットとBセットの選択制。代金は不要で、口頭で注文すれば調理済みの食事が出てくる仕組みだ。
 謎の少女がBを選んだので、シュガーはAをカウンターで注文した。出てきたのは硬そうなパンとハムエッグ、ポテトサラダにスープという組み合わせだった。

「肉……」

 横目で少女の手許を見ると、ハムエッグの替わりに大盛りのサラダがプレートに載っていた。

「足んなけりゃ、食器を返してまた並びゃあいい。目覚めたてで腹減ってんだろ?」

 テーブルの端の席に、シュガーと少女は向かい合わせで座った。

「んじゃ、あらためて自己紹介だな。オレはシャーリー」
「あたしはシュガー」

 正直に名乗ってよいものかとも思ったが、実のところ、これもあまり自分の名前という実感がない。
 右手を差し出されたので握手しようとすると、シャーリーは驚いたように、その手を引っ込めた。

「うわっ。冗談とかじゃなくて、マジで忘れてやがんだな」
「なんなの、さっきから」
「ほれ」

 シャーリーが手のひらをシュガーのほうに向ける。すると、やわらかそうな皮膚の下から、薄い板状の金属がいくつも浮き出てきた。

「うっかりオレと握手した奴は、手のひらをズタズタにされる。いつもやってた悪戯だろうが」

 ふれれば切れる、カミソリコアラたぁオレのことだ! シャーリーはそう言って愉しそうに笑った。

「えー……」
「ンだよ、その顔。引いてんじゃねーよ」
「いや、引くでしょ。なにその物騒な挨拶。だいたい、カミソリコアラって……」
「うっせー。こんなモンだぞ、怪人《ノワール》の名前なんて」
「あたしは……なんだったかな。もうちょっとマシな感じだったよ。意味はわかんないけど」
「アルタンユーズな。アルタンってのは二郎刀《アルタンタオ》――なんかの神様が使ってる武器からきてて、ユーズはユキヒョウ。ま、珍獣だな」
「知ってんじゃん。なんで?」
「だから知り合いなんだって。オメーとオレは」
「……ストーカーとかじゃなくって?」
「しつけーな!」

 またしても鼻ピンされた。今度はさっきより強めで。

「ま、いっか。こんくらいは想定内だ、想定内」

 涙目になっているシュガーに向かって、シャーリーはフォークを突きつけた。

「どーやらよう、オメーは自分が新しく創られた怪人《ノワール》だと思ってるみてーだがよ」
「ちがうの?」
「まっ、無理もねー。よくあるこった。死んだ怪人《ノワール》が、再生手術を受けて蘇るも、以前の記憶を失くしちまってるなんてーこたァ」
「ちょ、待った。いま、‟死んだ”って言った?」
「おうよ。オメーは一カ月前、任務中に敵と遭遇して殺されたんだ」
「うそ……」

 あまりのことに、思考が追いつかなくなる。ぐらぐらと地面が揺れ、テーブルに手をついていないと身体を支えていられない。

「じょ、冗談でしょ?」
「ホントなんだな、これが。なんか英雄《ブラン》にやられたらしいぜ。ま、運がなかったな」

 そんな、落ちてきた鳥のフンに当たった、くらいのノリで言わないで欲しい。
 だが思い返してみれば、ボガードの言動もどこかおかしかった。
 気持ち悪いセリフのあれこれではなく、なにかを確認するような質問だったり、妙にいたわるような態度のことだ。

「べつに珍しいこっちゃねー。オレらがいるのは、そういう危険な世界なんだからよう」

 いいか?――シャーリーは、シュガーのハムエッグの上に付け合わせのソーセージを載せた。

「獣と器物。名前にも反映されていることからもわかるように、これらふたつの要素は、兵器としてのオレらの根幹を成してる。けど、これだけじゃあそれぞれの特性がうまく噛み合わねーし、コントロールも難しくて兵器として不完全だ。そこで、これらを統合する第三の要素が必要になる」

 シャーリーのフォークが、ソーセージとハムエッグを貫いて、オベリスクのように屹立した。

「人の魂――器獣縫合師どもの言うところの〈異相の魂《アニマ》〉が、それだ」

 かわいらしい指先が、シャーリーの心臓あたりを指した。

「魂のありか、なんて高尚な議論をするつもりはねーけどよ、なんとなく、この辺にあるんじゃあねーかと、オレらは考えてる。そんで、敵にやられたり、事故に遭ったりとかして致命傷を負うと、この魂の縫合力とやらが弱まり、怪人《ノワール》としての体裁を維持できなくなって――こうだ」

 シャーリーはすぼめた指を、ぱっ、とひらいてみせた。

「それでも、運よく魂《アニマ》の一部が残ってれば、再生手術を受けられるんだが、さっき言ったみたいに、損傷の度合い如何で記憶がトんだり不具合が残ったりする。……まー、お前さんの場合? ドクターもずいぶん頑張ってたみてーだから、性能面じゃあ、それほど落ちてねーかもだけど。記憶はそうもいかなかったってこったな」
「そうなんだ……」

 突拍子もない話ではある。だが、ボガートに確認すればすぐにバレてしまうのに、嘘をつく意味は薄い。
 それよりも、問題なのは――

(どうしよう……まっっっっっったく思い出せない!)

 テーブルに突っ伏し、頭を抱える。
 態度から察するに、シャーリーとはそれなりに親しい間柄だったことは窺える。
 表面上、平然としているように見えるものの、仲のよかった相手に忘れ去られてしまうというのは、決していい気分はしないだろう。

「記憶って、もどるのかな?」
「さあなァ。再生怪人ってのは魂が‟はがれやすく”なるからな。そのせいで殉職率が高いんだよ。だから、もどるんだとしても、その前に死んじまうことが多いんじゃあねーの?」
「嫌なこと言うなあ」
「ごまかしてもしょうがねーだろ」
「そうかもだけど……」

 もうちょっと伝え方に手心を加えてくれてもバチは当たらないと思う。
 Aセットの残りをもそもそと咀嚼していると、食堂にいた他の怪人《ノワール》たちが集まってきた。

「久しぶり、シュガー」
「よかった。元気そうだね」
「復帰はいつ頃になりそう?」

 戸惑うシュガーに、シャーリーが、みんなボガート・ラボ出身の怪人《ノワール》だと教えてくれた。

「あんましつこくすんなよ。今日目覚めたばっかで、記憶もあんましもどってないみたいだからな」
「そうなんだ。じゃあ、私のこともわからないの?」

 そばかすの少女が訊ねてくる。

「……ごめん」
「ううん、いいよ」
「ほんとにごめん」

 誰一人覚えている相手がいなくても、がっかりした顔を見るのは心が痛む。

「気にすんなって。ヘルラならともかく、こいつらとは接点少なかったし」
「ひどーい。そんなことないって」
「ヘルラ?」
「さすがにヘルラのことくらい覚えてるだろ」
「え。いや……誰?」

 シュガーが訊き返したとたん、全員が黙り込んだ。
 なにかまずいことを言ったのだろうか。
 さらに質問するのは憚られる気がして皆の表情を窺っていると、ひとりの怪人《ノワール》が困惑したようすで口をひらいた。

「いや、冗談だろ。あんなに可愛がってもらってたのに」
「だ、だよなあ。さすがに――」

 シュガーは無言のままうつむいた。ヘルラなどという名前には、まったく心当たりがなかった。

「マジかよ」

 怪人《ノワール》の鋭敏な聴覚は、後ろのほうでささやかれる、信じられない、なんか酷いね、といった声もあまさず拾っていた。
 返す言葉が見つからず、シュガーはくちびるを噛みしめた。膝の上でこぶしが震える。

「お、おい。今日はこの辺でいいだろ? シュガーも、落ち着いてひとりで考えたいこともあるだろうし」

 シャーリーがそう言うと、みんなはなんとなく煮え切らないようすで、ひとり、またひとりと去っていった。

「大丈夫か?」

 シャーリーの手が背中にふれる。シュガーは下を向いたまま、あごを上下させた。

「うん。ありがと」
「オレもいったほうがいいか? ひとりでラボにもどれるよな」
「ねえ……ヘルラって、どんな人?」
「ボガート・ラボで最強って言われてた怪人《ノワール》だよ。後から生まれた仲間にとっちゃあ頼れる姉貴って感じで、特にオメーは、よく懐いてたな」
「いまはどこに?」
「うすうす察しはついてんじゃねーの?」

 顔を上げると、探るようなシャーリーの目がこちらを向いていた。


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