『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・12

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 いよいよ明日である。
 異世界探索に加わるため、前借りした二回分の外出許可。
 帰還後の二十一日間は、好奇心と行動力の塊であるニーニヤにとって、地獄のような時間だったらしい。

「ああ、まったく。くる日もくる日も書物とのにらめっこ。むろん読書は嫌いではないが、それだけとなると話はちがう。退屈――ああ、まさにその一語。思い出したくもない難渋の日々。砂を吐くような気分で耐え続けた巣ごもり生活とも、いよいよおさらばというわけだ!」

 いつにもましてテンションが高い。
 まあ、無理もないと思いつつも、ウィルとしてはひと言いってやらねば気が済まなかった。

「贅沢な悩みだな。平和、結構じゃあないか」
「何事も過ぎたるは及ばざるがごとしだよ、ウィル」
「それを望んだのはお前だろ」
「たしかに。そして、そうするだけの価値はあった、あの異世界での冒険は」
「なら文句いうなよ」
「それはそれ、これはこれという言葉もある」

 ウィルは苦虫を嚙み潰したような顔になった。
 打てば響くような即座の反論に、ついには思考が追いつかなくなる。口論の仕方までは、レムトも教えてくれなかった。

「はあ……わかったから、今度はどこへいくんだ?」

 そう訊ねると、ニーニヤは喜々として懐を探り、束になった紙片を取り出した。

「見たまえ。キミが出かけているあいだにも、情報収集に余念のなかったボクなのさ」
「〈図書館〉の客から話を聞いたってこと?」
「そう、近頃外で起きている面白そうな事柄をね。中でも、もっとも興味を惹かれたのがコレさ!」

 ばん、と机に叩きつけられた紙片には流麗な文字で「謎の怪死事件」と書かれていた。

「なにこれ?」
「ふふん、このところ出ずっぱりだったキミよりボクのほうが外の事情に詳しいとはおかしな話だね。でも、気分がいいので教えてあげよう」
「前置きはいいから」
「ここ最近、七層で夜間に奇妙な目撃談が相次いでいる。奇妙というのはもちろん、目撃された対象がだ。最初は八日前、次に四日前。いちばん新しい報告は一昨日の晩だ」
「それで? なにが見つかったってんだ」
「光る蝶」

 ニーニヤはにんまりと笑った。

「青白い光を放つ蝶の群れが、天井目指して飛んでいくのを複数の周辺住民が確認している。当然、その辺りにそんな蝶は生息していないし、類似する蝶について知っている者もいまのところ見つかっていない」
「〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉には載ってないのか?」
「近いと思われる種の記載はある。しかし、目撃情報と完全に一致するものはなく、変種、近縁種であるという確証も得られなかった。これがどういうことかわかるかい?」
「さあ……」
「新種である可能性が高いということだよ! これだけでも十分に心躍るというものだが――」
「まだあるのか」
「おいおい、最初に怪死事件といっただろう。それとどう繋がるのか気にならないのかい?」
「そうだな。事件というからには人が死んでるのか?」
「その通り! 光る蝶が目撃された翌朝にはかならず、付近で死体が見つかっている。しかも共通点として、顔から胸部にかけて蝶のかたちをした痣があったそうなんだ」
「痣?」
「そう。刺青でもボディ・ペイントでもなく、肌の色素が抜けた白斑のような痣だ。さらにいえば、ひとつふたつじゃあない。上半身を覆いつくすほどびっしりと……」

 子供を怖がらせるように、ニーニヤは情感をたっぷり込めて語った。

「そのホトケさんたち、そこの住人なのか? どっかの、べつの層から流れてきたとかじゃあなく」
「いわんとするところはわかるよ。犠牲者の生前を知る者の証言だね、もちろんあるとも。彼ら、彼女らは流れ者ではなかった。当然知己はいるし、皆口を揃えていったそうだよ――生きているときに、そんな痣はなかった――とね」
「つまり、死因はその痣だと?」
「それを調べにいきたいんだよ、つまるところ」

 たしかに奇妙な話だ。
 ニーニヤがそそられるのもよくわかる。
 だが気に入らなかった。
 七層といえば、ミツカが近づくなといってた場所ではないか。

「嫌だぞ、おれは」
「ほう。なぜだい?」
「だって、危ないだろ。そんなわけのわからん事件の起きたところなんて」

 モールソン一家の抗争にはふれなかった。
 ミツカの忠告を受けたと説明するのが、なんとなく格好悪く思えたからだ。

「関係ないさ。これまでだって危険はあったろう」
「でも――」
「より大きな危険があるかもって?」

 ニーニヤは不敵に笑いつつ、ウィルの背後にまわった。
 そして、ウィルの袖をまくりあげ、両手で上腕をつかむ。

「だから修行したんだろう?」
「“した”じゃなくて、“してる途中”なんだよ」
「そうかな。たった二十日とはいえ、成果は出ているように思えるが」

 上腕から前腕へ、筋肉のつきかたをたしかめるように、すこしずつ動かしていく。

「お前に剣術のなにがわかるんだよ。もっともらしくさわってるけど」
「わからなくても、とりあえず実践してみるのがボクの性分でね」

 本当に格好だけだった。
 とにかく――ニーニヤは笑いを収め、真剣な顔つきになった。

「ボクの心は、もういくと決めている。これは誰にも止められまい。キミはもちろん、ボク自身にもね」
「選択肢なしかよ……」

 無力感を覚え、ウィルは天を仰いだ。


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