『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・9

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 ――ウィル。ウィル。ボクのウィル。
 キミと出会った夜を、ボクは昨日のことのように憶えている。
 なんでもない夜に、ボクはキミを見つけたんだ。

   ◇

 ニーニヤ誘拐というアクシデントはあったものの、救出後はさしたる事件も大過もなく異世界ヤルヒボール5.3の探索は終了した。
 ホドロ一味の生き残りは捕らえられ、帰還後、憲兵隊に引き渡された。住人同士の抗争にはあまり関心を示さず、よほどのことがない限りは出張ってこない憲兵隊だが、異世界での不法行為にはやたらと厳しい。
 異世界からの物資流入に影響があると、住民の生活だけでなく〈幽霊船〉そのものの存続に関わってくるからだとか、そんな話を聞いたことがある。
 この一件は〈図書館〉にも報告されたものの、ニーニヤを傷ひとつつけることなく守り切ったとして、むしろウィルの評価は上がった。マーカスだけは、相変わらずねちねち嫌味をいってきたが。

「キミが護衛を解任されなくて、ほっとしているよ」
「あんなものを見せられたあとじゃあ、自信もなくすけどな」

 結局、ニーニヤを救ったのは彼女自身の力だった。
 ウィルは、ホドロたちに追いつきはしたものの、なにもしていないに等しい。

「だから召喚術は万能ではないと何度もいっているだろう。あれは、本の中に生物の身体の一部を”投入”し、それを媒体として複製を呼び出すという特殊技能だ。媒体は使い捨てだし、元になった生物以上に複製を強化することもできない」
「ダンジョンに出かけるたびに、生き物の爪や殻を集めてたのはそういうわけか」
「なにをいっているんだい。そういう使い道もあるというだけで、いちばんの理由は実物という最上級資料の収集だよ」


 ああ、ビースト・ドレイクの体毛はとても美しかったのに、とニーニヤは嘆息した。

「もうすこしキミたちの来るのがはやかったらなあ……」
「くっ、まだいうか」

 それについては反省と後悔しかないので、あまり蒸し返してほしくなかった。

「今回の失敗を踏まえて、おれなりに考えてみたんだが」
「へええ。キミが頭を使うなんて珍しい」
「いちいちひっかかるなあ」

 舌打ちしたのち、ウィルは気を取り直して続けた。

「修行に、出ようと思う」
「えっ」

 それほど大それたことをいったつもりはなかったのに、まるで夜行性の猿のようにニーニヤは目を丸くした。

「レムトさんのところだよ。あの人、本格的な戦闘術をいくつも修めてるらしくってさ。やっぱり、そういうのをちゃんと習っとくに越したことはないと思うんだよ」
「い、いや。ままままままままま待て。待ってくれウィル」
「なんでそんなに動揺してるんだ?」

 珍しいこともあるものだ。
 いつもなにが起ころうとも冷静で、周囲より一段高い目線で物をいうのがニーニヤなのに。

「そんなことをしたら、キミが修行しているあいだ、ボクはひとりぼっちになってしまうじゃあないか」
「はあ? 〈図書館《ここ》〉の連中がいるだろ」
「うう……ううむ、そうか。じゃあ、こういい直そう。キミはボクの護衛役なのに、ボクのそばから離れるのかい?」
「どうせしばらく〈図書館〉から出られないんだから平気だって」
「そういう問題じゃない」

 じゃあどういう問題なんだと問い返すと、ニーニヤは「うぅ~」と唸って頭を抱えた。
 答えを待っていたら、黙りこくったまま恨みがましい目つきでこちらを睨んでくる。
 いつもわけのわからないことをする奴だが、今日は輪をかけてひどい。

「なあ、ニーニヤ。お前、このままでいいと思ってるのか?」
「なにがだい? ウィル」
「外出できるのが週一日しかないってことだよ」

 ニーニヤは「うっ」と言葉に詰まった。
 外出日を前倒ししてもらった分、これから彼女には二十日以上にわたる引き籠もり生活が待っている。
 好奇心と行動力の化身のような彼女にとっては、まさに地獄の苦しみだろう。
 しばらくは外から持ち込まれる本を読み漁ることで気を紛らせたとして、それもせいぜいもって一週間。そこからは”禁断症状”との戦いだ。

「日帰りでいけるような場所は、危険度の高いところ以外あらかたいき尽くしただろ? 時間が経って変わったところもあるけど、さすがに初めていく場所に比べて目新しさはない。遠出をするために今回みたいな手を使うにしても、そのたびに長期間外出できなくなるんじゃあ割に合わないと思う」
「たしかにそうだね。これから先、週一の制限はどんどん重荷になってくるはずだ」
「その制限ってやつは、なんのためにあると思う?」
「むろん、ボクの安全のためさ。〈図書館〉がボクという存在を独占したいから、と言い替えることもできるけどね」
「だったら、それをなくすか、あるいはいまよりも緩くするためには、護衛役のおれが強くなることがいちばん手っ取り早い」
「そこに気づいてしまったか」

 椅子に深く座り直し、ニーニヤは嘆息した。

「まさかこんなにはやく……正直キミを舐めてた」
「おい」

 ウィルが睨むと、ニーニヤは「冗談だよ」といって手をひらひらさせた。

「でも……できれば、もうちょっと気づかないままいて欲しかったというのは本当だよ。さっきもいったように、キミといっしょにいられないというのはつらい」
「しおらしいことをいって。暇潰しの相手がいなくなるからだろ」
「ひどいな。まあ、そいうことにしておこうか」

 ニーニヤは苦笑を浮かべ、それからすこししんみりした表情になった。

「だけど、嬉しいよ」
「なにが?」
「キミがそこまで、ボクことを考えてくれていたことがさ」

 あまりに穏やかな声音だったので、ウィルは困惑した。

(ちがう。そんなんじゃあない)

 これは、自分のため。
 これ以上、己の無力さに歯噛みするのが嫌になっただけだ。
 そんなウィルの内心を知ってか知らずか、ニーニヤはなにかをすっぱりあきらめたような、妙に清々しい表情でこういった。

「ならば、ボクとしてはキミを応援し、快く送り出してやるべきなんだろう。いきたまえ。ボクのことは心配いらないよ」


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