『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・4

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 翌朝。
 異世界ヤルヒボール5.3に到着した日から数えて六日目。
 テンションMAXのニーニヤとともに、ウィルはふたたび甲板に降りた。
 初日には精鋭数名だったという探索組は、百名近くの大所帯に膨れあがっていた。
 なんでも、レムトの持ち帰った石や木材を調べたところ、その有用性が認められ、かなりの高値がつくことがわかったらしい。
 そのせいで個人、組織を問わず、参加希望者が殺到したというわけだ。

「なるほど。これならひとりやふたり、足手まといが増えたところで大したちがいはないな」
「あまり自分を卑下するものではないよ、ウィル。なんといっても、このボクが信を置いているのだからね。もっと自信を持っていい」
「また適当なことを……」
「やれやれ、困ったものだね。いつになったら素直にボクの言葉を受け容れられるようになるんだろう」
「そんなふうに胡散臭いしゃべりかたをしてるうちは無理だな」
「つれないね」

 まったくこたえたようすもなく、ニーニヤはずんずん人垣をかきわけて進んでいった。
 目指す人物はタラップ近くにいた。
 使い古された革鎧を身につけ、腰には剣、ベルトには用途のちがう数種類のナイフを挿している。
 まだ若く、男前といってもよい顔立ちだったが、異様に鋭い眼光と隙のない身ごなし、短い言葉で次々に指示を出していくようすは、いかにも歴戦のつわものらしい油断のならなさを備えていた。

「あなたが、レムト・リューヒ?」

 相も変わらぬ無遠慮さを発揮してニーニヤが訊ねた。
 男は一瞬、値踏みするようにニーニヤの上に視線を置く。斜めうしろに立っていたウィルの背に、電撃にも似た戦慄が走った。どうせ興味を持たれるはずがないと油断していたが、確実にレムトは、ウィルのことも観察していた。
 予断も感情もいっさい差し挟むことなく、ただ対象がいかなる存在であるかを見定める。
 この男のものの見方とは、そういうものなのだと直感的に悟った。
 四肢をこわばらせたまま身震いするウィルに向かって、レムトがかすかにくちびるの端を上げたような気がした。しかしすぐに、彼はニーニヤのほうへ向き直った。

「そういうあんたは〈記録魔《ザ・レコーダー》〉か。なかなかの美形だな」
「なっ」

 ウィルは思わず身構えた。
 これまでも、初対面でニーニヤを口説きにかかる輩には何度も遭遇した。それだけ彼女の容姿が美しいということは、ウィルも認めるところだ。
 しかし、レムトもそういうタイプだったとは、すこし意外だった。

「おっと、怖い怖い。安心しろ、俺の好みとはちがう。もう何年かしたら、わからんがな」

 レムトは快活に笑った。言葉は野卑だが、そんなに嫌な印象ではない。ニーニヤも、大して気にしているようすはなかった。

「今回は無理を聞いてくれて感謝する」
「べつに、いつものことさ。素人を連れて探索に出るのは」

 弱い生き物が群れるのといっしょだ、と彼はいった。

「敵に襲われたら、誰かが食われているあいだに他の者は逃げのびる。数が多ければ多いほど、危険は分散される理屈だな」
「じょ、冗談ッスよね?」
「いいや。自分の身は自分で守るというのは大原則だ。居住区内でも、そこのところはおなじだろう?」

 ウィルは、自分がとんだ勘違いをしていたことに気づいた。
 なるほど、探索への参加を断らないわけである。
 たしかに、ここにいるのはレムトたち生粋の探索組のおこぼれに預かろうという連中がほとんどだろうから、いちいち気遣ってやる義理もない。
 彼らにしたところで、そのあたりは心得ているようで、見まわしてみれば、どいつもこいつもいかにも修羅場をいくつも潜り抜けてきましたといった感じの風貌だ。ウィルはあらためて、自分たちの場違いぶりを痛感した。

「死にたくないのなら、俺のうしろにくっついて離れないことだ。自惚れるわけじゃあないが、そこがいちばん安全なはずだからな」
「そ、そッスか……」
「ところで。お前――」

 ふいにレムトがぐっと距離を詰め、顔を覗き込んできたので、ウィルはのけぞった姿勢のまま動けなくなった。

「目の奥に、不安と怯えの色が見えるぞ」
「ウィルはイマイチ自分に自信がないからね。あなたの話を聞いたせいで、端的にいって『ビビッて』いるんだろう」
「いや、そうではないな。これはもっと、深いところに根差したもののようだ」
「んんっ。そうなのか」
「か……勝手な分析してんじゃねェよ!」

 いきなり、なんだ。押しのけようとした手は、予期していたかのようにするりと避けられた。
 悔しさと羞恥に、怒りが加わった。見透かしたようなような物言いで。いったいなにを、わかったつもりで……!

「落ち着きたまえよウィル。それにしても、あなたはなかなかいい目をしているな、レムト・リューヒ。ボクを前にしながらウィルのほうに注目するとは。なかなか興味深い少年だろう? 常々ボクは、彼はもっと評価されてしかるべきだと考えていてね」
「それくらいでなければ、ここまで生き残るのは難しい」
「どういう意味だよ!?」

 微妙に当人を蚊帳の外に置きつつ不敵に笑い合うふたりは、ウィルからすればからかっているとしか思えなかった。
 だいたい評価ってなんの評価だよ。歴戦の死骸漁り《スカベンジャー》が認めるなにかを、ウィルが持っているとでもいうのか? それも、見ただけでわかるようなものが?
 適当なことを吹かしてんじゃねーぞ噛みついてみせると、レムトは皮肉っぽくくちびるを歪めた。
 それから、物わかりのいい兄貴然とした態度でウィルの肩をぽんぽん叩く。

「いや、すまん。少々ぶしつけ過ぎたな。悪かった」
「……いえ。おれのほうこそ」

 ウィルも口では謝罪したものの、内心釈然としないままだった。
 たぶん、ごまかされたのだろう。しかし、ここでレムトと衝突してもいいことはない。

「それで。陸のようすはどんなかな?」

 ニーニヤが愉しげな調子で会話を引き継ぎ、なんとなく丸い感じで、その場は収まった。

 レムトへの挨拶が済んでも、ニーニヤは大人しくならなかった。
 出発までの寸暇を惜しむかのようにあちらこちらへと歩きまわり、なにか見つけるたび〈憶万の書《イル・ビリオーネ》〉にペンを走らせていく。
 常に成長と変化を続ける船内は、座標を示すコンパスを持っていても迷いやすいというのに、こんな調子なものだから、ウィルが〈図書館〉に来る前は、しょっちゅう迷子になっていた。
 まあ、わかっていたことだ。むしろ、いつも通りなのはいいことだろうと自分を納得させて、ウィルは彼女のあとをついていく。

「見たまえウィル。あそこにいるのは〈妖精の檻《フェアリー・ケイジ》〉の合成獣《キメラ》だろう。きっと幹部の護衛として連れてこられたんだね」
「やめとけって。〈妖精の檻《フェアリー・ケイジ》〉っつったらマッド・サイエンティストの集団なんだろ。あんたも珍しがられて実験台にされるかも――」

 慌ててあとを追いかけようとしたウィルの足許に、茶色い尻尾が差し出された。
 あっ、と思ったときには足を払われ、甲板に這いつくばっていた。

「おっと、悪い」

 その口調と、口許にはりついているニヤニヤ笑いを見れば、わざとであることは明らかだった。
 相手はウィルの顔を覗き込むと、大げさに驚いてみせた。

「おやおや、おやぁ~ん?」
「もしかしてウィル? ウィルなの? うわぁ……」

 ウィルを転ばせた鼬人《ウィゼリア》の少年と、隣の鼠人《ラッティオ》の少年が顔を見合わせた。

「ニッカ、サタロ……」

 ウィルは心の中で舌打ちした。
 できることなら、二度と会いたくないと思っていた顔だった。コイツらがここにいるということは――

「なんだよお前、生きてたんか」
「あー、ちっくしょう。損こいたわー。なあ、ラムダ?」

 ふたりのうしろに立っていた少年が振り返る。
 やはり、コイツもいたか――記憶の蓋が、嫌な音をたてながらひらいてゆく。
 あふれ出す、どす黒い感情。
 頬がひきつる。身体がこわばる。息が苦しくなり、思わず胸をおさえた。

「久しぶりだな」

 乾いた声が耳朶を打った。
 長身の彼は、ウィルよりもずっと高い位置に顔がある。くちびるを噛み、視線を上げると黄玉《トパーズ》のような目がこちらを見ていた。

「なんで……ここに……?」
「決まっているだろう。俺たちも探索に加わる」

 しなやかな身体つき。ぴんと立った大きな耳と、ふくふくとした口許から生えたひげは猫人《マオン》のものだ。
 加えて彼は、とびぬけて整った容姿を持っていた。手足に散っている斑紋も、その美しい毛並みを際立たせている。
 しかし、彼の纏っている空気は、おっとりとしたリミュアとはまるでちがった。
 野心と自信に満ち溢れ、欲するものを手にするためなら非情な選択をも躊躇いなくおこなえる、冷酷な狩人とでもいうべきもの――
 ラムダ・レオパルディア。
 船内でも屈指の武装組織モールソン一家で、若手チームのひとつを任されているとは聞いていた。それにしても、加入から半年も経っていないのに異世界探索に出されるということは、それだけ幹部の評価も高いのだろう。
 ――自分とは、ちがう。
 無能の烙印を押され、一家から放逐された自分とは、なにもかも。

「どうした? 顔色が悪いな」
「な……なんでも……ない」

 数秒もまともに顔を合わせていられなかった。
 目を伏せ、痺れたようになっている舌を、必死に動かして答える。
 ふっ、という呼吸音が聞こえた。ラムダが笑ったのだろう。

「どうやら、幽霊じゃあないみたいだな」
「残念だったな、ミツカ。お前が賭けを断んなきゃ、ひとり勝ちだったのによう」

 サタロが、最後尾で身を隠すように立っていた少女に声をかけた。

「なっ。わ、わたしはそんな――」

 ミツカと呼ばれた少女は、ウィルのほうを一瞥すると、サタロの言葉を否定するように、ぷるぷると首を横に振った。
 ニッカが、なれなれしくウィルの肩に手を置く。

「お前がどんくらいでくたばるか、みんなで賭けてたんだよ。ミツカ以外はひと月以内に張ってたんだけど、外れちまったなあ」
「は、はは……」

 乾いた笑いが漏れた。
 文句は言いたくても出てこない。
 強大な力を手に入れた彼らの前では、ウィルはどこまでも卑屈になる。そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
 でも、どうしようもないではないか。役に立たない、無力な自分は、ここでも――どこでも――顧みられる価値もない、石くれ同然の存在なのだから。
 そのとき、ぽん、と背中を叩かれた。
 一拍おいて、ニーニヤだと気づく。
 顔を上げて、と彼女は耳許で囁き、ウィルの前に進み出た。

「な、なんだよアンタ……」

 ニッカとサタロがたじろぐ。
 さすがにラムダは動じなかったが、怪訝そうに眉根を寄せ、ニーニヤをじっと睨んだ。
 ニーニヤはなにも言わない。
 すれ違う一瞬、目にした彼女の口許には、穏やかな微笑が浮かんでいた。
 恐れもせず、気負いもせず、すっと背筋をのばしただけの、それでいて見惚れずにはおれない立ち姿。
 その優美な姿勢を保ったまま、彼女はラムダたちを見返した。
 ただ、それだけ。
 声を荒らげたり、攻撃的な構えをとって威嚇するといったことは、彼女はいっさいしなかった。
 しかし、静かな威厳ともいうべきその奇妙な迫力に圧されたのか、先に視線をそらしたのはラムダだった。

「いくぞ」
「え? ま、待ってよ、ラムダ!」

 足早に立ち去るラムダの後を、ニッカとサタロが慌てて追いかけた。
 ふと見ると、ミツカだけがその場に留まっていた。
 目を伏せたまま、おなかのあたりで組んだ手をもじもじと動かしている。

「なにやってんだミツカ! 置いてくぞ」
「うん。すぐいくから」

 小走りに仲間のところへ向かおうとしたミツカは、ウィルの横でいったん足を止めた。

「そ、その……ウィル君?」

 顔を伏せ、ためらいがちに囁く。

「わたしは、嬉しかったよ」

 えっ、と思い、振り返ったが、まるで逃げるようにミツカの背中は遠ざかっていった。ラムダたちと合流してしまえば、今さら声を張りあげて聞き返すわけにもいかない。

「ほほーん」

 ニーニヤが、にまにまと笑みを浮かべた。

「よかったねえウィル、気にかけてくれる人がいて」
「そ、そういうことだったのか? 今の」
「他になにがあるっていうんだい? しかも、けっこうかわいいし、胸も大きかった」
「そこは関係あるのか?」
「あ、こら。比べるんじゃない」

 ニーニヤは腕で胸許を隠した。

「いや、正直アイツのことは、よくわかんなくて……」
「本当かい? 向こうはずいぶん親しげだったが」

 胸を比較されたせいか、ニーニヤは不機嫌そうだった。

「本当だって。嘘つく意味がわかんねーし」

 ミツカと出会ったのはたしか、奴隷市場だ。
 ウィルの最初の主人であるロアンギは、割り当てられた二十パールを自分が管理するという名目で徴収し、その金で安い家を一軒借りた。
 それから、食い扶持を減らすために不要な部下や使用人を奴隷商人に売り払った。そこにはウィルも含まれていた。
 使用人の中でももっとも若く、なにか技能を習得していたわけでもなかったから、切られるとすれば真っ先に自分だろうという予感はあった。
 ……それにしても、あんな尻の毛まで毟り取るような真似は酷すぎると思うが。
 商品として集められた子供たちは、種族ごとにわけて管理されていた。その中に、ミツカもいたはずである。
 はっきりしないのは、彼女がそれほど目立たない少女だったからだ。
 ラムダが人目を惹く美少年だとすれば、ミツカは「地味だけどよく見れば美人」というタイプだろう。
 それなりに社交的だが、あまり自分の意見を主張せず、誰かのあとについていくことが多かった。
 モールソン・ファミリーに養われていたわずかな期間、何度か向こうから話しかけられたこともあったが、まともに相手できなかった。
 なんとなく、自分を見ているような気がしたからだ。

(嬉しかったって……)

 賭に勝ててよかった、という意味かとも思ったが、やはりニーニヤの言う通り、自分を心配してくれていたということなのだろうか。
 でも、なんで……?
 しばらく理由を考えてみたが、さっぱり見当がつかなかった。

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