『バラックシップ流離譚』羽根なしの竜娘・12
まず、尻尾がひきはがされ、次に足のフックが外された。
どちらも力任せだ。
ありえない。
竜人族《フォニーク》同士、身体能力にそこまで差がないのであれば、そんな外し方のできる技ではない。
(でもっ……あれこれ考えるのは後!)
脱出したリーゼルは、間髪を入れずにこちらへ向かってくる。
離れれば、また霧で身を隠される――そう判断したかは怪しい。
彼女の目からは、理性の光が消えていたように見えたからだ。
大振りの、しかしとてつもなく疾く、重いこぶし。かわしたが、風圧だけで頬が裂けた。
腹部を狙ってアッパー。固い。腹筋だけで止められた。態勢が崩れていたとはいえ、信じがたい防御力だ。
(まさか、これが?)
蜘蛛女と戦ったときに見せたという、驚異的な戦闘力の増大。
話半分に聞いてはいたが、本当だったとは。
だとすれば、発動条件は生命の危機?
(そうなのかな……いや、たぶん……そうなんだろうなあ、状況的に。うわあ……やっちったなぁ……)
リーゼルに対する申し訳なさももちろんあるが、これを報告した後のことを思うと陰鬱になる。
間違いなくグラナートからのキツい説教が待っているだろうし、他の仲間――とりわけセレスタからの心象が悪くなるのが痛い。
「ああ、もう! なんでこんなことになっちゃったのよ!」
叫びつつ放った右ストレートは、カウンターとして非の打ちどころのないタイミングだった。
しかし、激痛に顔を歪めたのはフローラのほうだった。
もっとも固い額でのガード。もしも全力で殴っていたら、フローラのこぶしが破壊されていただろう。
「やばっ」
容赦ない連撃。たまらず吹っ飛ぶフローラ。
「グォアアァァ!」
吼え猛るリーゼル。追撃はやまない。
かぎ爪をギラつかせ、突っ込んでくる。
「こんのォ! なァめるなァァァァ!!」
こちらも前へ出る。
逃げない。避けない。正面から迎え撃つ!
先輩としての意地を、この小娘に見せつけてやるのだ。
ただし、爪はたたんでおく。
さっきはうっかり殺しかけてしまったが、もうあんな失敗はしない。
右――は痛いから左。
一瞬で意識を奪えるよう、鱗の隙間――みぞおちを狙う。
リーゼルはよけようともしない。ばかめ、動きが直線的なのよ。
これで終わ――って、思ったよりも速い!
もうこんなに近く? 爪が。やば。こっちもよけられない。
くそ、相打ち? 上等じゃない。上等だけど、こっちのダメージのがでかそうじゃない?
ああ、もう。わかったわよ! いいわよどうせ傷なんてすぐに治るんだから!
やってくる激痛への覚悟を完了し、フローラがこぶしを振り抜こうとした刹那。
飛び込んできた影が、両者の攻撃をふわりと受け止めた。
爪先が地面を離れ、重力が反転。ついで背中に衝撃を受ける。
「……え?」
唐突に視界が切り替わったため、フローラは何が起きたかわからず、目を瞬かせた。
無数の建造物が寄り集まっているせいで、雑然とした印象のある天井。
煮炊きする煙が白くたなびき、住民の捨てたゴミが落下していくようすも見える。
仰向けに寝ているのだと気づき、がばっと起きあがった。
「だ、誰!?」
フローラを投げた人物が振り返った。
女だ。革製で丈の短い衣装に身を包み、首にはとげつきのチョーカー。染めた髪を針のように立てている。
耳やくちびるにはいくつものピアスをつけ、動くたびに装飾のチェーンがじゃらじゃらと鳴る。
鋭さと柔和さを併せ持った中性的な美貌で、どこか慈しむような目でフローラを見ていた。
そして、派手な見た目にも関わらず、妙に印象が薄い。
このまま人ごみに紛れてしまえば、すぐに顔や服装を忘れ、追いかけることは不可能になるだろうという、確信めいた予感が渦巻いた。
なんなんだ、この女は――と考えたところで、フローラは彼女に見覚えがあることを思い出した。
「あなた……瀬青《らいせい》?」
「久しぶり」
にこり、と女が笑った。
刺々しい格好に反して人好きのする笑み。相変わらず、余裕綽々で気に食わない。
おそらく当身でも食らわせたのだろう。女の左手の先には、気絶したリーゼルがぶら下がっていた。
「こうでもしないと大人しくしてくれそうもなかったんでね」
〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の意思決定をするのは通常、古竜から成る長老たちだが、さらにその上に君臨する存在がある。
一説には、この〈幽霊船〉の根幹にも関わっているとも言われる常若の君――小竜姫。
瀬青は小竜姫の側近にして直轄の諜報組織・太歳《タイスィ》の首領でもある。
容姿に比して彼女の印象が希薄なのも、諜報活動のため、精神に作用する魔法を使っているからだ。
「なにをしに来たのかしら?」
偶然ゆきあった、というのは、彼女に限ってはありえない。
すくなくとも、フローラはそう認識している。
案の定、瀬青は笑みをさらに大きくした。
「新しく入ったという子が気になってね」
リーゼルを見張っているだろうことは感づいていたが、まさか瀬青自ら動くとは思わなかった。
あるいは、いつもとちがう動きをした、と注進がいったのかも知れない。
だとすれば、この状況はフローラが招いたということになる。
「面白いものは見られましたか?」
「ああ。フローラが意外と年下想いということとかね」
不意に頬をなでられたので、思わずフローラはとびすさった。
屈辱、怒り、そして戦慄。
行為自体もそうだが、こちらの心理的間隙を衝くように、気づけば接触を許してしまうことが恐ろしい。
小竜姫の猟犬とも呼ばれるこの女が強いのも、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉に多大な貢献をしていることも認める。
だが、それでも癇に障る。
得体の知れないところといい、見透かしたような言動といい。
「ふふ。怖いな。ゆっくり話すのは、また今度にしておこうか」
瀬青は、リーゼルを抱き上げてフローラに預けた。
「ま、待ちなさ――」
踵を返した彼女を、フローラは引き留めようとしたが、あっという間にその後姿は見えなくなる。
なんとなく敗けたような気分になって、フローラは地団太を踏んだ。