『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・22
「もう来たのか」
ニーニヤは忌々し気にくちびるを歪めた。
「まさか、ミツカはやられたのか?」
「確認するかい? キミのお友達が、ドアをぶち破って他人の家にあがり込むタイプなら必要かもだけど」
「逃げるぞ!」
ふたりは窓から飛び出した。
破壊音は止まない。
間違いなく、ラ=ミナエは追ってきている。
「逃げ切れると思うかい?」
「難しいな。それに、この場はしのげたとしても、お前は有名人だ」
「え?」
「……自覚がなかったのか? 〈記録魔《ザ・レコーダー》〉なんて二つ名があって、憲兵隊長にまで知られてるなんて相当だぞ」
「ううむ、いわれてみれば。そこまで有名なら、どこかに身を隠すというのも巧い手とはいい難いね。ならばいっそ、〈図書館〉に引き籠っているほうが安全だ」
「お前がそれで我慢できるならな」
「無理だね」
考えるまでもないといわんばかりの即答ぶりは、いっそ清々しかった。
「だったら、ここでなんとかするしかないな」
ウィルは静かな覚悟を決めて呟いた。
「キミが?」
「……ムカつく言い方だな。一蓮托生だってわかってんのか?」
「いいね」
ニーニヤが歯を見せて笑う。
「いつものボクたちに戻ってきた感じだ」
「そうかよ」
具体的な策はあるかと訊かれたので、ウィルは懐から巻物《スクロール》を取り出した。
「それは?」
「出かける間際にマーカスの野郎に渡された。アイツにもらった物に頼るのもシャクだから、使うつもりなんてなかったんだけどな」
「そうじゃなくて、効果とか使い方とか、ちゃんとわかっているのかい?」
「さあ? すげえ攻撃魔法とかじゃないのか。ビームとか」
「呆れたね。マーカスがキミに厳しいのもうなずけるよ」
「う、うるさいな。そんなもん、読めばわかんだろ」
巻物《スクロール》を広げてみたが、そこには意味不明の図形と見たこともない文字が並んでいた。
「読めん……」
「これは魔法使いが用いる古代文字の一種だね。魔道書の類は魔法使いたちが個人で所有たがるから〈図書館〉にもあまり蔵書がないんだ。どれ、貸してみたまえ」
「よ、読めるのか?」
「いちおうね。だが時間がかかる。解読するまで彼女《ラ=ミナエ》を足止めしてくれたまえ」
「はあ!? 無茶いうなよ!」
ニーニヤは髪を漆黒の翼に変え、屋根の上に舞いあがった。
取り残されたウィルは、仕方なく逃走を再開した。
足止めしろとはいわれたが、まともに戦ってもやられるだけだ。
背後を確認すると、ちらりとラ=ミナエの姿が見えた。
あまりニーニヤから離れすぎるとまずい。
巻物《スクロール》の効果がどんなものにせよ、近くにいなければフォローも間に合わないだおる。
しばらくは、この辺りをぐるぐると逃げ回るしかない。
「ハァッ! ハァッ……!」
今日一日で、いったいどれだけの距離を走っただろう。
のどはカラカラで、心臓はいまにも爆発しそうだ。
飛びそうになる意識を必死に繋ぎ留めないと、膝から崩れ落ちそうになる。
追ってくる足音に乱れはない。
山羊人《ガラドリン》の種族特性として、長距離走は得意なはずだ。
だが、向こうにも時間的余裕はない。
できればモールソンの連中に見つかる前に、ウィルを仕留めたいと考えているだろう。
(そうは……簡単に……いくかよ……!)
角を左に曲がる。一度見た景色。二週目に突入だ。
一周目の道のりは完璧に頭に入っている。
最短のコース取りで走り、木材、荷車、洗濯物といった妨害に使えそうな物を後方にばらまく。
さらにはこちらの意図に気づかれにくくするため、わざと違うルートを通ったりもした。
そうやって、追いつけそうで追いつけないギリギリの距離を保つ。
問題は――
(いつまで……これをやればいいかって……ことだ)
もうすぐ三周目。
狭い隙間を通るために屈んだ瞬間、足がもつれた。
なんとか立て直したが、そろそろ限界が近い。
早く。早くしてくれ。
まだか、ニーニヤ!
背後で地面を蹴る音が響く。
ラ=ミナエが跳躍したのだ。頭上に影――身を投げ出すようにして斬撃を避けた。
足が、前に出ない。踏みとどまれず、転倒する。
「あのお嬢ちゃんはどうしたんだい?」
地面に突き刺さった剣を抜き、ラ=ミナエが訊ねた。
「助けを呼びにいったか、それともなにか企んでいるのか……まあ、どっちでもいいか。鬼ごっこはお終いだよ」
いつでも追いつけたということか。
時間稼ぎもバレている。
ウィルは、まだ立ちあがれずにいた。
力が入らない。
膝も腕も震えるばかりだ。
ラ=ミナエが近づいてくる。振りあげた剣が、光を反射して禍々しく煌いた。
もうだめだ――ウィルが目をつぶった、そのとき。
「待たせたね!」
頭上から声が降ってきた。
見あげると、飛行するニーニヤの姿が見えた。
手にはあの巻物《スクロール》。
そこから光が溢れ出し、矢のような速度で発射された。
ラ=ミナエが警戒心を露わにして跳び退く。
だが、光は彼女を狙ったものではなかった。
光を浴びたウィルは、温かいものが流れ込んでくるのを感じた。
わずかだが疲労が軽減され、呼吸も落ち着いてくる。
両腕に目を落とすと、受けた光が留まって、なにかを形作っていた。
「これは……鎧か?」
腕だけではなく、脚、胴部、それに頭も。
全身を覆う、光り輝く防具。
ウィルには見覚えがあった。
いつも〈図書館〉の敷地をしかつめらしい顔で巡回しているエルガードたち。
彼らの身につけている魔法の甲冑だ。
さらには剣を持っていない左手から、ウィルの背丈よりも長い斧槍《ハルバード》まで現れた。
武器も防具も、金属製であるにも関わらず羽根のように軽い。
筋力も強化されているようだが、ウィルの剣は重いままなので、エルガードの武具が特殊なのだ。
こんなものが巻物《スクロール》に収められていたのか。
「古代文字……そうか、この武具も古代魔道帝国の術がかけられてるって話だったもんな。根っこはおなじってことか」
ウィルは剣を地面に置き、ハルバードを構えた。
長柄武器は不慣れだが、ただの剣よりはずっと頼りになるだろう。
ラ=ミナエが、剣を肩に担ぐようにして半身に構えた。
表情からは余裕の色が消えている。
呼吸――いまのうちに整えなければ。
ラ=ミナエが踏み込んでくる。
(くそッ……まだ……!)
とことんまでウィルのペースにさせないつもりだ。
そういう戦い方が染みついている。やりにくいことこの上ない。
それでも、身体は動く。
疲労は残ったままでも、十分についていけている。
敵の攻撃が途切れた瞬間を狙って反撃を繰り出す。受けたラ=ミナエが宙に浮き、数メートルも後退した。
速いうえに重い。
自分でも信じられず、ウィルは目をみはった。
「いいね。もっと足掻いてみせてくれ」
先ほどよりも速い一撃。ハルバードで受け流すと、ラ=ミナエはぬるりとした動きで右手を突き出してきた。胸当てに触れられたが、なにも起こらない。
魔法的な武具なので召喚生物のように消滅させられないか心配だったが、どうやら平気なようだ。
ハルバードの柄でラ=ミナエの右手をはねあげ、ガードが空いたところへ斬りつける。
ラ=ミナエは跳んで避けたが、胸の部分を刃がかすめた。
(いける!)
畳みかける好機――そう判断し、ウィルは大きく前に出た。
と、同時に、ラ=ミナエがくるりと身体を横に回転させる。
誘われた、と気づいたときには、勢いの乗った斬撃がウィルの側頭部を襲っていた。