喜劇の歯車は回る 『イニシェリン島の精霊』評
幸せとは「仕合せ」とも書き、あるものがあるべきところに収まっている――言うなれば「歯車が噛み合った状態」を指すという。
主人公パードリック(コリン・ファレル)は、ある日突然、親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)から「お前が嫌いになった」と告げられる。
いつものパブに居づらくなり帰宅すると、客人の相手をした妹から「なんで帰ってくるの」となじられる。
ひとつのズレはもうひとつのズレを生み、さらにさらにと連なってゆく。
ずっと続くと思っていた世界は歪み、軋み、音を立てて崩れてゆくのだ――
当初、私は本作をサスペンスなのかと思っていたが、実はブラック・コメディである。
監督マーティン・マクドナーの前作『スリー・ビルボード』も、重いテーマを扱いつつ、しっかり観客を愉しませる作りになっていた。
シリアスかつ難解そうな雰囲気に騙されず、気軽に観に行っても大丈夫だろう。
ストーリーを大まかに説明すると、小さな島で起こる、自分の愚かさに気づいていない男と、自分は高尚だと思っている男の不毛な争いである。
いい歳をした大人の意地の張り合いは滑稽で、周囲もやや呆れつつ眺めている。
だが、やがてふたりの争いは周囲を巻き込み、予期せぬ犠牲者まで現れる。
また中盤のある瞬間、島の対岸で起きているある出来事と、ふたりの争いがリンクする。
そして、この寓話が実は、狭い世界での出来事を描きつつ、地上のいたるところで起きている問題について語っているのだと観客に悟らせてくれる。
タイトルにある精霊とはバンシーのこと。
泣き女とも訳され、人間に死期が迫ると、その人の衣服を泣きながら洗うとされる妖精の一種である。
精霊という訳が適切かどうかは議論の分かれるところであろうが、妖精という単語に付随するイメージがまちまちなので、作品のカラーに合わせるなら、まあ妥当だろうと個人的には思う。
バンシーは人の死を予期するということで、本作では運命を司る存在として描かれていると思われる。
おそらくマクベスの魔女、運命の三女神あたりのイメージが重ねられている。
コルムは何故パードリックと絶交したのか。
それは、変わらないことへの恐怖と焦りである。
パードリックの妹シボーンが最後に島を捨てた理由も同じだ。
村に一人しかいない警官、唯一の社交場であるパブ、生活のため必ず利用する商店。
そういった人や場所が、我慢のならないものとなったらどうするか?
昔、『世界がもし100人の村だったら』という本があったが、逃げ場のないそんな状況は地獄という他ない。
コルムが運命に抗ったため、少なからず状況は変わった。
ずれた歯車は歪なかたちで噛み合い、回りはじめた。
それを止めることは、もはや当事者たちにもできはしないのだ。
★★★★★
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