『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・6

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 一瞬の静寂は刹那ののちに雷鳴じみた轟音へと転じ、すさまじい衝撃が一帯を駆け抜けた。
 身体の軽いサタロはころころと転がり、ラムダ以下三人も踏みとどまるのがやっとだった。
 破壊音波とでも呼ぶべきほどの金切り声。
 ウィルの位置でも頭が割れそうになったほどで、至近距離にいたラムダたちは、うずくまったまま動けなくなっている。
 絡まっていた角を網から外し、ビークが口をひらいた。
 ズラリと並んだ剃刀のような牙が光り、三又に分かれた舌から唾液が滴り落ちる。
 まさか、ここで終わるのか?
 ラムダたちのことは嫌いだが、死んで欲しいとまでは思ったことはなかった。
 いま、ウィルのいる場所からは、彼らに手が届かない。
 もし近くにいれば、助けて恩を売ることもできたのに。けれども心のどこかで、そうできないことにほっとしてもいた。
 風のような速さで、ひとつの影がビークに向かった。
 ――レムト!
 ノコギリ状の刃を持った大剣を担ぎ、ラムダとニッカのあいだを通り過ぎたところで、タン――と跳躍《と》んだ。
 さして強く地を蹴ったようにも見えないのに、重い武器を持った身体は高々と宙に舞った。
 振り下ろされた大剣が、ビークの顔面をしたたかに打擲《う》つ。
 刃のある側を使わなかったのは、必要以上に傷をつけまいという配慮だろう。
 そこまで余裕のある状況か? という疑問は、続く数秒で氷解した。
 背後から飛んできた尻尾の一撃を、レムトは剣でビークを打擲った勢いを利用してかわした。
 そのままビークの背に降り立ち、右腕を首に巻きつけて抱え込むと、左手で抜いたナイフで素早く両目を抉る。
 耳をつんざく絶叫。さらにレムトは、声をあげるためにあけた口の中に、薬包のようなものを放り込んだ。
 ボフッ、と口中から黒い煙があがり、鳴き声が中断された。
 さっきのような破壊音波を出させないために喉を潰したのだ。
 レムトはビークの背中から飛び降りると、素早く腹の下に潜り込み、剣の峰で、今度は人間でいうみぞおちのあたりを突きあげた。
 離れていても、音を聴いただけでわかる。
 あの一撃は、とてつもなく重い。
 打擲った部分はすり鉢状にへこみ、全長八メートルはあろうかという巨体が一瞬浮きあがるほどの威力だった。

「なんだよありゃあ……身体能力を強化するフル―リアンとかなのか?」
「いいや、ちがうね。彼の武器は、鍛えあげた肉体と磨き抜いた技のみ――と、その筋じゃあ有名らしいよ」

 その戦いぶりを目の当たりにしても、なにか仕掛けがあるといわれたほうが、よほど納得がいく。
 いったいどんな鍛錬を積めば、これだけの戦闘力を身につけられるのだろう。
 ビークは口から血を流して地面に横たわり、ピクリとも動かない。
 完全に絶命していた。

「すっげえ! マジぱねえ!」

 ニッカとサタロが興奮して唾を飛ばした。めったに感情をおもてに出さないラムダまでが、目を丸くしてレムトを見ている。

「喜んでいるヒマはないぞ。とっとと解体だ。……ミツカ、だったか? 後ろの連中に、大物を仕留めたと報せてくれ」
「は、はいっ!」

 ビークの皮膚はおそろしく丈夫で、ニッカがナイフを使って皮を剥ごうとしてもまったく刃が通らなかった。ところがレムトの手にかかると、吸い込まれるようにナイフは皮膚に潜り込み、すいすいと皮を裂いていく。

「どんな手品だよ!?」
「コツがあるのさ。刃を入れる場所と向き。あとは、よほどのナマクラを使うんでもなければ、ほとんど力もいらん」
「でも、コイツを解体するのははじめてなんだろう?」
「まあ、経験だな。はじめて見る生き物でも、似たような環境でおなじように暮らしていれば、身体の構造も近くなる」
「なるほど。ビークに似た生き物というと、どんなものがいるのかな?」

 すでにニーニヤは〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉をひらいて待ち構えており、ビークに関する情報収集に余念がなかった。

「内臓は塩漬けにして持ち帰る。薬として使えるものがあるかもしれん」
「ふむふむ」
「爪や牙なんかは武具に使ってもいいが、ひょっとしたら新素材を作るヒントになるかもな。まあ、ガラニアの職人ども次第だろうが」
「わくわくするねえ。これら一つひとつが、新しい世界へ繋がる扉というわけだ」

 ニーニヤは泥に埋もれていた青い毛を摘まみあげると、素早く書のページのあいだに挟み込んだ。
 ウィルは思わず声をあげそうになった。
 配分を決める前に戦利品に手を出すことはご法度である。あまり価値のなさそうな体毛であってもそれは変わらない。
 幸いにしてレムトはこちらに背中を向けており、ラムダたちにも見咎められなかった。

(ば、馬鹿! なにやってんだ?)
(つい)
(ついじゃねーよ! もどせって!)
(戦闘の最中に抜けたヤツだから、ゴミみたいなものだよ。固いこといわない)
(固いとかやわらかいとかってことじゃねーよ! 見つかったらヤバイだろーが!)
(いまさら遅い)
(なにが遅いって!?)
「どうしたんだ?」
「ひゃいっ!」

 振り向くと、ラムダが胡乱なものを見る目つきをしていた。

「な、なんでもない」

 思わずそう返してしまった。
 ラムダは「そうか」とうなずいて作業にもどる。
 ニーニヤがくちびるの端をあげた。これで共犯、とでも言いたげなのがムカついた。

 その後も珍しい生き物に何度か遭遇し、そのたびにレムトやラムダ・チームが鮮やかな活躍を見せた。
 最初のうちこそおっかなびっくりで戦っていたミツカさえ、数戦するうちに躊躇いなく獲物に挑みかかり、目配せひとつで完璧な連携をこなす、手練れの風格を漂わせるようになっていた。
 対してウィルはというと、散々である。
 危険だというのに前に出たがるニーニヤを止めようとしてツタに足を取られたり、不用意に他の生き物の巣に踏み込んでしまって親に追い立てられたりと、いいところなしだった。
 かろうじて護衛対象であるニーニヤにはかすり傷ひとつ負わせることはなかったので、及第点には達していただろうが、ニッカやサタロには馬鹿にされまくった。

「アイツの悲鳴、傑作だったなあ」
「ひぃぃぃぃあぁぁぁぁぁ」
「それな。腹筋ぶっ壊れるかと思ったわ」

 ふたりが狩りに参加しなかった同行者にも吹聴してまわるので、すっかり笑いものになってしまった。「よっ、頑張れよ」だとか「お姫様に愛想つかされんようにな、ナイト君」などと半笑いで声をかけられるたび、悔しくてたまらない。

「気にするな。キミはよくやっている」

 焚火を囲む人の輪にも加わる気になれず、目立たない隅っこでニーニヤと向き合って食事を摂った。

「うるせ。自分でも情けないってわかってんだよ」
「本当さ。身の丈に合わない過酷な条件にも関わらず、すくなくともボクを守りきることはできているんだから」
「だったら、もうちょっと自重してくれませんかね? 目の前で猛獣が大口あけてんのに、のん気に花のスケッチ取ってたりさあ」
「それは仕方ないだろう。なにしろあんな、猫みたいな見た目と動きをする珍しい植物が生えていたんだから。ボクの探究心がビシバシ刺激され、好奇心汁がドバドバ出まくった結果だよ」
「なんだよ好奇心汁って。いかがわしい響きなんですけど」
「しかし、来てよかったね。なにもかもが新鮮で、実に愉しい。でも、きっと独りではその喜びも目減りしていたろう。隣でおなじものを見て、聞いて、感じてくれる存在があればこそだと思うよ」

 ニーニヤは目を細め、じっとウィルに視線を注いだ。
 軽い口調とは裏腹に、いやに真剣っぽく見えるそのまなざしに、ウィルは居心地の悪さを感じた。

「み、道連れが欲しいだけなら、べつにおれじゃなくたっていいだろ」

 出会ったばかりのウィルなどよりも、親しい人間はたくさんいるだろう。もちろん、護衛としての適性も含めて。
 ニーニヤは、いたずらっぽい笑みを浮かべて距離を詰めた。

「つれないことをいうね」

 まあいいけれど、と彼女はウィルの首筋を指の先でなでた。

「そろそろ、いいかな?」
「ああ……そういや、今日はまだだったな」

 絆創膏をはがすと、ニーニヤは飛びつくように傷口に顔を寄せた。
 熱い息がかかると、甘痒いような疼きがそこから這いあがってくる。
 ぴちゃ。ざり。はぷ。
 唾液には弱い麻酔効果もあって、おかげで痛みは感じずにすむ。
 そのかわり、くすぐったいような、腰から下がムズムズするような、奇妙な感覚に襲われる。

「は……はやく……してくれ」
「……もうちょっと……自分で思っていたより……なんだか……抑えが利かない」

 貪るように、ニーニヤは傷口に舌を這わせ、滲み出てくる血をすすった。
 蝙蝠人《バッティスト》は通常の食べ物で腹を満たすこともできるが、それとはべつに血液を経口摂取する必要があるのだとか。
 自力で作り出せない栄養素がどうとか、前に説明された記憶があったような気もするけれど、小難しい内容だったので適当に聞き流していた。
 とにかく、いまのニーニヤはかなり血に飢えた状態だということで、これはけっこう、人に見られたら誤解されるような状況なのではと、いまさらのように思いあたったところでミツカと目が合った。

「え……ええと。こ、これ……!」

 彼女は湯気の立つ椀を両手に持っていた。
 今日獲れた獣の肉と持ってきた野菜を鍋で煮込んだシチューだろう。カタカタと震えて、いまにもこぼしてしまいそうだ。

「ご、ごめんね。邪魔するつもりはなかったんだ」
「い、いやいや。ちがうから。これはそういう……ええと、濡れ場的なアレじゃあないからね?」
「うむ。……まあ、自分でもはしたないと思わないでもないが、おあずけをくらっていたせいもあって我慢できなくなってしまってね」
「なんだよ、その意味深な言い回し!?」
「おあずけ……がまん……」

 ミツカの目がグルグルとまわり出した。なにやら混乱を与えたうえに、誤解を深めているような気がしてならない。

「ち、血だって! 血を吸ってたんだって! コイツはほら、蝙蝠人《バッティスト》だから、ヴァンパイアみたく血が食事なんだよ! だからべつに、やましいことをしてたわけじゃあないし、深い意味もないから!」
「やましくはないというのは認めるとして、深い意味がないかといわれれば、それはどうだろう。そもそも食事という行為の文化的位置づけは――」
「混ぜっかえすなって! ややこしくなんだろ!」
「う、うん……! とにかくごめんね! じゃ、じゃあ……っ!」

 ミツカは椀をウィルに押しつけると、人形のような動きで踵を返し、そのまま全速力で仲間のところへもどっていった。
 ニーニヤが「うーん」と、どこか満足げに唸った。

「初々しい反応だねえ」

 なぜか満足げだった。
 なに言ってんだ、お前。

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