『バラックシップ流離譚』 羽根なしの竜娘・4
「あんまりきょろきょろすんじゃあねーぞ」
セレスタが、いつもの三割増しの大声で怒鳴った。
職人街にくるのははじめてだったが、とにかくにぎやかなところというのが第一印象だった。
雑然とした空気に混じって機械油の匂いが漂う中、あちこちから槌を打ったりノコギリをひいたり、なにかを削っているような音が響いてくる。
必然、会話するときは声をはりあげなければならなくなる。
「たしかにここには面白れーモンがたくさんあるけどなぁ、見てまわるのは、ちゃんと用事を済ませたあとだぜ」
「どっちかっていうと、セレスタがなにかを見つけてすっとんでいっちゃうことのほうが多い気がするんですけど。こんなところで置き去りにされるなんて嫌ですからね」
そもそも、リーゼルはここを見物したいなんてひと言も言っていない。はしゃいでいるのはセレスタのほうだ。
居住区を一個の塊とすると、職人街はそのほぼ中心部分にある。
半ば閉鎖された空間である船内では、とりわけ物を作り出す技能を持つ者は貴重である。
そこで、モールゲン・シュトラフという男が音頭を取り、各種の職人や技術者を一か所に集めて保護に乗り出したのが、およそ三百年前のこと。
以後、モールゲンの意思を継ぐ〈ギルド・ガラニア〉がこの一帯を仕切っている。
〈組合ギルド〉のトップは大親方と呼ばれ、現在はモールゲンから数えて九代目の子孫にあたる、エルゲン・シュトラフという河馬人《ヒッパイ》が務めている。
ちなみに、ガラニアというのは初代モールゲンの奥さんの名前だそうだ。
「で、どこにあるんですか? そのお店」
「もうすこし先のかどを左だ」
今日はなんでこんなところに来ているかというと、お使いを頼まれたからだ。
〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の若手は、数人で集まって小グループを作り、共同生活を営むことが多い。
リーゼルやセレスタのグループのリーダーは、グラナートという人竜族《ツイニーク》である。
グラナートは毒々しい赤の鱗に似合わず、穏やかで紳士的な人物だった。
しかし、彼もまた竜にありがちな「怒ると怖い」タイプであり、傍若無人なセレスタでさえ、彼を恐れているようすだった。
そんなグラナートから、朝食時に「ムガナ・ムハナの店」にいって、注文してあった品物を取ってくるよういいつかったのだ。
「セレスタが面倒を起こさぬよう、くれぐれもよろしく頼む」
感情の読めない銀色の瞳を、グラナートはリーゼルに向けた。なんでだよ、というセレスタの抗議も、彼は無言で受け流した。
その通りは〈薬屋横丁〉と呼ばれていた。
様々な材料から薬を調合する薬師、医者、治療師の類が多く店を構えていることからそう呼ばれるようになったらしい。
目的の店は、そのもっとも奥の一角にあった。
〈霊薬エリクサ工房M・M〉
どうやら、ここが「ムガナ・ムハナ」の店らしい。
小ぢんまりとした石造りの建物の入口に、薄汚れた看板が掲げられている。
扉は開け放たれているが、中は暗くてよく見えない。
カウンターがあると思しき場所に、小さなロウソクの灯りがゆらゆらと揺れていた。「M・M」というのは、「ムガナ・ムハナ」の略にちがいない。
「いらっしゃい」
店内に足を踏み入れると、カウンターに座っていた人物が、読んでいた革表紙本を置いて顔をあげた。
若い女の声だった。ロウソクに照らされた口許からすると、少女と呼んでいいかもしれない。
ごてごてとよくわからない装飾が施されたつば広のとんがり帽子にローブ姿。ローブにも、帽子とおなじように護符やらまじない紐やらがたくさんくっついている。
「そこのアンタ!」
いきなり指を突きつけられて、リーゼルはビクッとなった。
「そう、アンタだよお嬢ちゃん! いまアンタ、ワシのこと魔女っぽいとか思ったジャロ?」
「ジャロ? あ、いえ……いえ、わたしはなにも――」
「ショージキにっ!」
「はいっ! すいません、思いました!」
ひょっとして、なにか失礼があったのだろうか。
霊薬《エリクサ》工房というから、薬師か魔女のどちらかが出てくると予想していたが、その胡散臭い、もとい神秘的な雰囲気を醸し出す衣装にもかかわらず、後者と誤解されるのは迷惑とか、そういうことなのだろうか。
「ピンポンピンポン! 大正解! ようわかったねェお嬢ちゃん」
そう言って、彼女は白い歯を見せた。
「合ってるんですか!? 謝って損しました!」
「なかなかハッキリいう子じゃネェ、セレスタ。アンタんトコの新人?」
「おう。リーゼルってんだ」
心なしか、セレスタは誇らしげに見えた。
「セレスタ坊やにも、よ~やくイバれる相手ができたわけカァ」
「誰が坊やだ」
「初めまして。よろしくお願いします」
挨拶しながら、リーゼルは自身の変化に驚いていた。
卵から出てきたばかりの頃にははじめて接する人や物にいちいちビクビクオドオドしていたのに、それらに慣れてくると、割と反射的に思ったことや言いたいことを口にするようになってきた。
そのせいで、よくセレスタからは生意気だと叱られたりもするが、案外これがリーゼルの「素」なのかもしれない。
「ワシはムガナ・ムハナ。この工房で霊薬《エリクサ》を作っとる。まあ、親しみを込めて、ムハナちゃんとでも呼ぶとええ。よろしくナ」
差し出された手はすこし骨ばっており、長く伸びた爪のあいだや指のしわに薬草の汁によるものと思われる染みがこびりついていた。
帽子を取ってあらわになった顔は、意外なほどかわいらしい。
くるくるとした巻き毛に猫のように大きな瞳。ぷくんとしたほっぺたは、思わずつんつんしてみたくなるほどだった。
「ドンタッチミー!」
「はぇっ!?」
いきなり大声で怒鳴られ、リーゼルは無意識にのばしかけていた指をひっこめた。
「いくらわしがかわゆらしゅうても、さわったらイカンぞえ、お嬢ちゃん」
「こ、心が読めるんですか?」
「さぁ~? どうジャロ~」
くふふ、ふ、とムハナはのどの奥で笑った。
頼んでた品は? とセレスタが訊ねると、ムハナは棚から木箱をひとつ手に取り、カウンターに置いた。
木箱には精緻な装飾が施されており、それ自体でひとつの美術品のようだった。
ムハナの説明によると、これは彼女の家系に古くから伝わる術装紋で、中に収めた霊薬エリクサの品質を保つ効果があるそうだ。
蓋をあけると、赤や緑や紫や黄色の液体の入った小瓶が、大粒の宝石のように行儀よく並んでいた。
「はぇ~。きれいですねえ」
「この瓶と箱だけでも売り物になるんじゃよ」
ムハナは、むふん、と鼻を鳴らす。
「ハチミツとか入れてもよさそうですよね……って、なんだか美味しそうに見えてきちゃいました」
「飲むんじゃねーぞ」
「しませんって。セレスタさんじゃないんですから」
「てめ……この」
尻尾の先を踏まれた。痛いです。
「大長老様はお悪いんか?」
ムハナが訊ねる。
「そう聞いてる」
「向こうにその気があれば、直接診てもええんじゃが」
「どうだろな。当人は、これも寿命だとか言ってるらしいが」
「長すぎる生というのも考え物かもしれんなあ。生きるのに倦むようになってくる」
ため息をつくムハナを見て、リーゼルは首をかしげた。
「そういうアナタは何歳なんですか?」
「秘密ぢゃ。なぜって? こういう商売には神秘性というものが大事なんじゃよ」
はぐらかされたような気もするが、ムハナの表情からは冗談とも本気とも読み取ることはできなかった。
「ところでセレスタよ。例の話は考えてくれたかい?」
「例の話?」
「オレたちの血を薬として売ってくれってんだよ」
「竜の血には強力な治癒能力があるからのう。ぜひ、ウチで扱いたい」
「卑しい行為だなんだって、上の連中が許可するわけねーよンなモン。だいたい、竜の血の力は自分にしか効かねえ。自分以外は、同族にだって劇毒なんだぜ」
「薬なんてモノは用法用量を知らなければ大概がそういうモンじゃ。竜の血には未知の可能性があると、とワシは睨んどるんじゃがねえ」
ふひひ、とムハナは不気味な笑いを漏らす。
「まっ、その話はいずれまたグラナートあたりを通して伝えてやっからよ。それよか……こっちも相談があるんだ」
セレスタは、店の入口を気にするような素振りを見せつつ、ムハナの耳許に口をよせた。
「ああ、ええよ。やっとくれ」
ムハナは、よっこらと椅子から降りると、カウンター横の壁を杖で、コココン、コンと叩いた。
すると、叩いた部分がぐんにゃりとかたちを変え、扉が現れた。
ガチャリ――鍵の開く音がして、ひとりでに扉がひらく。
「どんぐらいいる?」
「今朝の時点で、二匹ってとこかのォ」
「りょーかい」
あっけにとられているリーゼルを、セレスタが手招いた。
扉を出るとそこは屋外で、両側に垣根を立てて作った通路につながっていた。
セレスタは勝手知ったるようすで、ずんずん歩いてく。
「すごいですね! 魔法を使った隠し扉ですか?」
「まあ、そんなようなもんだ。この先にある薬草園で、たまに害虫が発生するんだ。ソイツを退治して、薬代替わりにしてもらう」
「ひょっとして、それで浮いたお金を……?」
「もちろん、オレの懐に入る」
グラナートには言うなよ、とセレスタは釘を刺した。誰も損してねーし、黙ってりゃ旨いモンでも食わしてやっからよ。
「いや、べつに言いつけたりしませんって。そんなにグラナートさんが怖いんですか?」
「はあ? ちげーよ、めんどくせーだけだよ。つか、実際やりあったらオレのほうがつえーから。たぶん」
はいはい、と答えると、額を尻尾ではたかれた。竜人族フォニークの尻尾は太くて重量もあるので、けっこう痛い。
「血を売るより、害虫駆除のほうが楽なんですか?」
「さっきも言ったろ。ジジイどもが許さねーんだよ」
それに――と、セレスタは凶暴そのものといった笑みを浮かべた。
「コイツはサァ。趣味と実益を兼ねてんのさ」
ありえない大きさだった。
害虫駆除というから薬でも撒くのかと思っていたら、現れたのは木立から頭が飛び出すほどの巨大な生物だった。
クワガミ――というらしい。
その恐ろしげな大顎で堅い果実を食い荒らすだけでなく、毒液を撒いて自分の餌以外の植物を枯らしたりもする。
黒光りする甲殻に鎌のような前肢を持ち、無数の節のある長大な胴体をうねらせ素早く動く。
セレスタが「趣味と実益を兼ねている」と言った意味がよくわかった。
街でよく見かける、ちょっと武装した程度の自警団員では束になってもかないそうもない。
強敵と戦うことが三度の飯より好きな彼《セレスタ》にとっては格好の遊び相手と言えるだろう。
「ハッハァ!」
喜々とした表情で、セレスタは振りおろされる鎌をひらりひらりとかわしていく。
様々な効能のある薬草を効率よく集めるため、薬草園にはべつの場所に通じる〈門〉がいくつも設置されている。
見た目は人間大の暗黒の渦という感じで、クワガミはそこを通ってやってくるらしい。
「もぉ~ッ! なんで閉じておかないんですか!?」
傍で見ているリーゼルも、戦いに巻き込まれないよう必死だった。
「でかけるたびに〈門〉をひらくのは魔力の無駄遣いなんだってよ。大丈夫、ほんとうにヤバい奴は潜れねー大きさだから」
「こんなのよりもっと危険なのがいるんですか!?」
勘弁してくれ、というリーゼルの叫びは、轟音と土煙にかき消された。セレスタの爪が、クワガミの胴を真ん中あたりで断ち切ったのだ。
頭を失った胴の後ろ半分は、切断面から体液を噴き出しながら狂ったように暴れている。
残る半分も、虫らしい生命力を発揮してセレスタに噛みつこうとしたが、頭を踏まれて動きを封じられた。
「これで二匹……っと!」
セレスタが足に力を込めたように見えた。
次の瞬間、クワガミの頭部は熱した卵のように破裂した。
体重をかけたのではなく、たぶん、リーゼルには視認できないほどの速さで蹴りを繰り出したのだろう。
「もう終わっちまったかぁ。今日のはちっと小物だったな」
ぱたぱたと翼をうちわがわりにしながら、セレスタはつまらなそうに言った。
セレスタの戦うところは何度か見ているが、いつも圧勝だった。
もともと竜人族《フォニーク》や人竜族《ツイニーク》は戦闘に長けており、亜人種に限れば、こと身体能力にかけてかなう種族はない。
中でもセレスタはとりわけ好戦的で、常に実戦で己を鍛えているわけだから、相当強いのではないだろうか。
なんでそんなに戦うのが好きなのかと訊ねたところ、「男なら最強を目指すもんだろ」と頭の悪い答えが返ってきた。
「ほんと脳筋」
リーゼルはこっそりと呟く。
その耳に、ガサガサという異音が飛び込んできた。
ふりかえったときには、すでに遅かった。
背後の茂みから飛び出したクワガミが鋭い鎌を振りあげるまでの動きがはっきりと見えた。
でも、足が動かない。
プルプルと震えるばかりで、膝と足首を複数の腕でがっちりホールドされているかのように固まっている。
やばい。これはやばい。
竜の血の力で死にはしないにしても、痛いのはイヤだ。
そもそも、脳天を真っぷたつにされたら復活なんてできるものなのだろうか?
「呆けてんじゃあねえぞッ! リーゼルッ!」
「ぐえっ」
襟首をつかまれ、ものすごい力で後ろにひっぱられた。
ごろごろと転がり、勢いあまっておでこをぶつける。
もう、助けるにしてももうちょっと優しく、と抗議しかけたが、左腕で鎌を受け止め、だくだくと流血しているセレスタを見たとたん、文句はのどの奥に引っ込んでしまった。
「どうして……二匹だけじゃなかったんですか……?」
「ムハナは今朝の時点でっつってたからな……そのあと出てきたんだろ」
「そんな……」
なんてマヌケ。その可能性に思い至らないなんて。
鎌はセレスタの腕にかなり深く喰い込んでいる。
……うう……痛そう。あれはたぶん、骨まで達してる。
動くとゴリゴリ音が聞こえてくるようだ。痛そう。
「……ンの野郎ッ!」
セレスタは吼えた。
痛みなど感じていないのか、それとも痛みを意識の外に飛ばすためにそうしたのか。
力任せに、自分より何倍も重量のありそうなクワガミを押し返した――かと思った瞬間、身体を反転させ、背負い投げの要領で地面に叩きつける。
とはいえ、クワガミは身体が長いため、投げ技はさほどの効果はない。セレスタの狙いは、マウントを取ることだった。もつれあうように身体を回転させ、気がつけば相手の首のあたりにまたがっていた。
「オラッ! オラッ! どーだ虫野郎! オラッ!」
セレスタはクワガミの喉許に、何度も何度も貫手ぬきてで突いた。
素手によるただの突きだが、竜人族《フォニーク》の怪力と鋭い爪の合わせ技で、鉄製の槍にも勝る威力を発揮する。
ことさら隙間を狙わなくとも、三、四発目には甲殻が割れ砕け、その下にある柔らかい肉がみるみるえぐられていく。
「うええ……」
見るにたえられなくなり、リーゼルは視線をそらした。
さわるだけでもイヤなのに、体液まみれになる接近戦で虫を駆除するなんて、どういう神経をしているのだろう。
もし今後、リーゼルもやらないかともちかけられたとしても、絶対に断ろうと心に決めた。
「終わったぜ」
ひと仕事やりきったという表情で、セレスタは額の汗をぬぐった。
クワガミはまだうねうねと胴をくねらせたり、尻尾の先をびっちんびっちん地面に叩きつけていたが、中枢神経を破壊されているので、そのうち完全に動かなくなるだろう。
死骸はあとで、毒液袋を除いたうえで細かく刻み、畑の肥料にするらしい。
「なんだ、疲れた顔しやがって。テメーはただ突っ立って見てただけだろーが――ん? おい、血ィ出てんじゃあねーか」
そういえば、おでこがひりひり痛い。さっき転んだとき擦りむいたのだろう。
「大丈夫です。精神に負ったダメージにくらべたら、たいしたことはありません」
「まあ、どーせすぐ治るけど、いちおう傷は洗っとかねーとな」
見せてみろ、近づいてきたセレスタから、リーゼルは後退って距離を取った。
「おい、なんで逃げるんだ?」
「そんな汁まみれの格好でさわらないでください。あと、臭いです」
「なんだとこのヤロウ」
セレスタは声を荒げたが、思ったほど勢いはなかった。地味にショックだったりしたのだろうか。