『アンチヒーローズ・ウォー』 第一章・3
「さあさあ。さーあさあさあ。お腹もふくれたろうし、いつもならお昼寝タイムに入るとこだけど、予定も押してるからね。さっそく始めるとしよう」
ボガートに連れていかれたのは、研究所内にあるトレーニング・ルームだった。
ルームと言っても、ひとつの階層を丸々使用しているほどの広さがあり、各種運動器具の他、重機じみたよくわからない装置がいくつも置かれている。
任務のない怪人《ノワール》の娯楽施設も兼ねているためか、食堂よりもむしろ賑わっていた。
あちこちから聞こえる規則的な息遣いに、気合を入れる声。くん、と鼻を動かせば、汗の匂いが漂っているのがわかる。
妙に落ち着く、この雰囲気。ここは知っている場所だ。
ならば、やはり再生したという話は本当なのか。
「まずは変身してみようか」
満面の笑みを浮かべたボガートの声に振り向く。
意味がわからず首をかしげていると、肥満体の器獣縫合師は、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「怪人《ノワール》は原則、本来の姿と人間体のふたつの形態を持っている。特撮番組といっしょ、お約束というやつだね」
「いや、知らんし」
「でないと任務に支障をきたす」
「聞いてる?」
「キミは、自分が怪人に見えるかい?」
ボガートがあくまで自分の話を進めるつもりだと悟り、シュガーはしかたなく「見えないけど」と返した。
鏡張りの壁面には、ジャージ姿の少女が映っている。相変わらずかわいい。
だが、兵器として見るならば明らかに「弱っちそう」だ。ちょっと無理をすれば、簡単に壊れてしまうだろう。
「このままでは、キミの力を百パーセント発揮できない。それではテストの意味がない」
ボガートによれば、これからおこなうのは体力測定のようなものらしい。
要するに、シュガーの性能《スペック》を調べたいのだ。
「変身って、どうやるの?」
「イメージするんだ」
「と、言われましても」
「内なる自分を晒け出す感じで」
「なんか恥ずいな……」
まあ、やりますけど。やるんですけどね。
ふんっ、と息を止め、両足を踏ん張る。
握り込んだこぶしがぶるぶる震え、頭がぼーっとなるくらいまで頑張ってみた。
「ぷは……っ!」
どうだ?
鏡の中には、さっきと変わらない少女が立っていた。
違いがあるとすれば、汗だくで、はぁはぁと息をしていることくらい。
おお、上気した顔がちょっぴしエロい。
でも自分の姿に興奮するのはどうかと思う。
「う~ん。ふつうは本能的にわかるものなんだけどね」
「目に見えるアイテムなんかがあるといい気がする。ベルトとか、時計とか、魔法のステッキとか」
「たしかに、その手の自己暗示は有効なんだけど、失くしたときが怖いからねえ」
「あー、たまにある、変身できなくてピンチになるヤツ?」
「そうそう。なんだ、わかってるじゃないか」
うすぼんやりとだが、ある程度の世の中の知識は自分の中にあると感じる。
きっと訊ねられれば、常識的な範囲なら即座に答えられるだろう。
「でも、そういうのはどちらかというと英雄《ブラン》の領分だねえ。彼らは人々に親しみを持たせるために、自分にまつわるグッズを持っていることが多いし、きみの言うようなピンチを演出することもできる」
「ぶらん……ぶらーん?」
シュガーは両手の指を下にして左右に振った。
「いわゆるヒーローさ。きみたち怪人《ノワール》が、どちらかといえば裏方なのに対し、彼らは衆目の集まる場所で活躍する」
「なんか、そっちのほうがかっこよさげ?」
「否定はしないよ。でも、僕らに言わせれば怪人《ノワール》は、この世のなによりも美しい生き物だ」
真顔でそんなことを。褒められれば悪い気はしないが、どうにも反応に困る。
それにしても、英雄《ブラン》か。たしか、シャーリーもそんなことを言っていた。
ヒーローと戦い、倒された怪人《ノワール》。
なんだか、あまりにもありがちで、そりゃあ彼女《シャーリー》も、あたりまえのような顔で話すわけだ。
「さあ、そんなことより変身だ。そうだな……キミの三分の一は猫科の動物なんだ。白い体毛と黒い斑紋、しなやか身体を持つ美しい獣だ」
「知ってる。ユキヒョウっていうんでしょ」
「そうそう」
「つまり、あたしは女豹であると」
「そういう自分を想像してみて」
ボガートが笑う。
シュガーは鏡をのぞき込み、いー、と歯を剥いた。八重歯が長く、たしかにちょっと猫っぽい。
「ヒョウの特徴を持った美女! セクシーポーズで男どもを悩殺! こうですか先生?」
「いいね。ジッパーを胸許までおろして、両腕で挟み込むように!」
「先生! 挟むお肉の量が心許ないのですが!?」
「大丈夫、キミはまだまだ成長途上だ。なんなら僕が分けてあげよう」
「それは嫌!」
ボガードが白衣を脱ごうとしたのでローキックで阻止する。
悪ノリが過ぎた。呼吸を整え、意識を集中。
ボガートの言う、白いヒョウのイメージを鏡像に重ね合わせる。
そのうちに、人としてのシュガーの輪郭がぼやけて見えはじめた。あっ、と思ったが、なるべく心を波立たせないよう、さらに呼吸を深く、長くしてゆく。
やがて耳の辺りに。続いて両腕に変化が現れた。
ざわざわと、皮膚が粟立つような感覚があり、白い毛が伸びはじめる。
両耳が、頭の真横から徐々に上方へと移動し、さらには爪が、平たい人間のそれから、出し入れ可能なかぎ爪へと変化した。
集中を続けると、今度は頬にはひげが生え、鼻と口許も猫っぽくなり、目尻は吊り上がって、虹彩が縦に裂けたようなかたちになった。
ジャージを着ているので、その下がどうなっているかはわからないが、見える部分だけでもかなり猫っぽくなった。
「お、おっけー?」
「うん。まあ、こんなもんだろ」
ほっと息をつく。これが本来の姿のためか、気を抜いても人間にもどったりはしない。
いよいよ測定開始だ。まずは身長体重。続けて視覚聴覚嗅覚と、ボガートの指示に従って測定していく。
その後はストレッチで身体をほぐし、レーンを走ったり、ボールを投げたり、垂直に跳んだりさせられた。
最初は気乗りしなかったが、なんだかんだ、身体を動かすと気持がいい。体内のこわばっていた部分がプチプチとなって、痛痒いような感覚が駆け巡る。
ボガートにそれを伝えると、「その調子でやりたまえ。ただし無理はしないように」と返ってきた。
見た目は冴えないけど、けっこう優しいのだな、とシュガーは彼の評価を上方修正した。
さっきも一緒にふざけてくれたし、右も左もわからないこの状況で、そばにいるのが怖い人ではないというのは、とても大きい。
しかし、それも束の間だった。
小休止を挟んで、より実際の戦闘に即した項目へと移る。
パンチング・マシーンを殴る。銃器を扱う。ナイフを持った相手への対処。さらには、立体映像《ホログラム》を使った回避テスト――四角い部屋に入ると四方からナイフや銃弾が飛んでくる映像が映るので、それをよける――といったことをおこなった。
「えっ、ちょっと! やだ、怖いんですけど!?」
『どうした? 息があがってるぞ』
「そんなこと言ったって……!」
なんで自分がこんなことをやらなくてはいけないのか。
やっとのことで回避テストを終え、部屋を出たところでへたり込む。
そんなシュガーに向かって、ボガートは追い打ちをかけるような一言を放った。
「次は耐久力テストだ。休んでいるヒマはないぞ」
柱のような器具に縛りつけられ、なにが始まるのかと思っていると、ボクサーが腹筋を鍛えるのに使うような重いボールが飛んできて、腹部を直撃した。
内臓が圧迫され、胃液が逆流する。さきほど食べたものは、残らず床にぶちまけられてしまった。
地獄はなおも続いた。
むこうずねを極太の麺打ち棒のような器具で何度も打擲される。目もあけていられないほどの熱風や、吐く息までもが凍りつきそうな寒風を交互に吹きつけられる。頭まで水に沈められる。音も光もない部屋に閉じ込められ、放置される――等々。
いったいなんの拷問かというようなテストが次々とシュガーを襲った。
「うん、ご苦労さま。よく頑張ったね」
「こ……これで……終わり……?」
「ああ。全項目終了だ」
このときばかりは、ボガートの言葉が、まるで福音のように響いた。
「死ぬかと思ったあああぁぁぁぁぁ……!」
ボロ雑巾のような状態になっていたシュガーは、安堵の息を長々と吐いた。
「なんなのコレめちゃくちゃじゃん痛いし熱いし辛いし苦しいし怪人《ノワール》ってマジなんなのこんなことしなくちゃいけないお仕事だったりするの!?」
気が緩んだとたん、憤懣が次から次へと噴出する。ボガートはタブレット型端末を操作しながら、うんうんとうなずいた。
「わかるわかる。テストの後は、他の子たちからも漏れなく文句を言われるよ。でも、ここでちゃんとデータを取っておかないと、実戦で命に関わるからね」
「それでも、死ぬときは死ぬワケだ」
「もしかして、誰かから聞いた?」
「……まあね」
シュガーが再生怪人だと黙っていたことについて、なにか思うところはないのだろうか。
表情を窺っていると、ボガートは顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「ほら、判定が出たよ。見てごらん」
差し出された端末の画面を覗き込む。そこにはシュガーの名前と、性能《スペック》を示す四つの項目が並んでいた。
「細かい数値は僕しか閲覧できないけど、大まかなステータスを星の数で表してある。ほら、各項目の横に表示されてるだろう?」
ボガートの芋虫みたいな指が画面を叩く。
筋力:★★
耐久力:★
敏捷性:★★★
持久力:★
「これって三点満点?」
「まさか。五点満点だよ」
「うわっ……あたしのステータス、低すぎ……?」
なんということだ。決してやる気に満ち満ちていたわけではなかったとはいえ、手を抜いたつもりもない。
にも関わらず、平均値に達した項目がたったひとつとは。
がっくりと肩を落とすシュガーに対し、ボガートは優しげな声で言った。
「こんなものだよ。きみは病み上がりみたいなものだからね。訓練を続けていけば記録は伸びていくし、ここの項目にはないけど、柔軟性なら現時点でもかなりのものだ。それに、怪人《ノワール》がそれぞれに持っている固有能力次第で、有用性はいくらでも変わる」
「いや、でも、これは……特に耐久性は最低って」
「それはまあ、仕方ないね」
例の、再生怪人は魂が剥がれやすくなるとかいうヤツか。そんな、かさぶたみたいに――いや、あれは剥がれていいものだな。
「組織としても、貴重な怪人《ノワール》をロストするのは望ましくないからね。希望すれば、後方任務にまわすこともできるが?」
「えっ、いいの?」
そんなことが許されるとは思っていなかった。
なんだ、それなら命の危険はすくないし、痛い思いをすることもない。いいことずくめなのではないか。
「後進の指導とかデータ収集、あとは情報の解析なんかが主な仕事だね」
「前線で戦ってる子たちから妬まれたりしない?」
「いま言ったことも大切な仕事だよ。それに、死という代償をすでに支払った者に対して、仲間の怪人《ノワール》であれば敬意を抱くものさ」
「そう……」
なら、甘えてもいいかもしれない。そう思いかけたとき、急に胸がしめつけられるような気がした。
まるで、それでいいのか? と、暗闇の奥にいるもう一人の自分に問いかけられているかのような――ぽっかりとあいた穴の内側に爪をたてられ、いまも血が流れ続けていることを知らせてくるような、生々しい感触。
「大丈夫かい?」
急にうずくまったシュガーを、ボガートが心配そうにみつめた。
「なんで……」
なんで、こんなに苦しいのか。この痛みの正体は?
喘ぐ。吐息が熱い。涙が滲んだ。
(うすうす察しはついてんじゃねーの?)
脳裏にシャーリーの言葉が蘇った。
「あのさぁ……ドクター」
「なんだい?」
「あたしが、やられた英雄《ブラン》って、なんてヤツだったの?」
「ふむ。たしか……グラウンド・ゼロ、といったかな」
「そいつに殺されたの? あの人も……ヘルラ……そう、ヘルラって、人も」
「うん」
思い出せない。英雄《ブラン》の名も、ヘルラの顔も。
でも、たしかに感じている。しくしくと胸を苛む、この痛み。
痛み。
そうなのだと自覚すれば、なおいっそう鮮烈だった。
これは。きっと。喪失感。
大切なものが永遠に失われてしまったという確信。
それなのに。その痕跡も――たしかにあったという記憶も。
ああ……たしかにこれは痛みだ。
けれども、ただ痛いだけ。
軽い。あまりにも軽い。
自分がなにを失くしたのか。それがどれほどかけがえのないものだったか。
手掛かりすらなく、ただただ空虚を抱えている。
あたしは、どうすればいい?
泣けばいい?
呪えばいい?
叫んで、叫んで。それからすべてをなかったかのように振舞いながら生きていけばいい?
どうすれば――!
気づけば額を壁に打ちつけていた。
「だ、大丈夫かい!?」
ボガートが狼狽えた声をあげる。
「気をつけないと。耐久性が下がってるんだから、強い衝撃は……」
「そう……だよね」
視界が半分、赤く塗りつぶされている。
丸くくぼんだ壁面を見つめながら、シュガーは大きく息をついた。