『バラックシップ流離譚』 羽根なしの竜娘・7

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 目を覚ましたとき、リーゼルは寝藁の上にいた。
 天井に見覚えがある。ここは、リーゼルやセレスタたち〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の若手が共同で暮らしている住居だ。
 居住区でもそれなりに上層にある船首寄りの一画に、突如現れる岩盤層。
 そこに穴を掘って、彼らは生活を営んでいる。
 倦怠感が酷い。全身がだるく、起き上がるのはおろか、手足を動かすのさえ億劫だった。
 でも、たしかに生きている。
 てっきり、あのまま殺されたものと思っていたのに。
 胸に手をあてれば心臓は動いているし、リーゼルのかたちに沈んだ寝藁は、体温であたたかくなっていた。

「よう。起きたか?」

 セレスタがリーゼルの顔を覗き込んだ。
 うなずいてみせると、セレスタは振り返って「おおーい、リーゼルが起きたぞー!」と大声をあげた。

「騒がしい。怒鳴らなくたって聞こえる」
「そうよセレスタ。リーゼルにだってよくないわ」
「フン。やっと起きたんだ」
「どぉれぇ。だいじょぶそぉ?」

 ぞろぞろと、同居している竜人族《フォニーク》と人竜族《ツイニーク》のみんながやってきて、リーゼルの周りに集まった。
 アウイン、ペルラ、フローラ、ユージアル。あとはリーダーのグラナートがいれば全員が揃う。

「このバカ。どーせセレスタの足をひっぱってたんでしょう」
「もう、フローラ。そんな言い方したらかわいそうよ」
「私もフローラに同意だ。ぺルラは甘い」
「アウインまでそんな」
「フローラはぁ、自分がそばでセレスタを助けられなかったのが、悔しいんだよなぁ?」
「ちょ、ちょっとユー! いまそれを言うの!?」
「はあ? どーゆー意味だよ」
「セレスタは気にしなくていいの!」

 耳許でみんなして好き勝手なことを言い合うので、とてもやかましい。けれども、この光景を見ていると、無事に帰ってこれたのだという実感が湧いた。

「……でも、心配したのよ?」

 いつも優しいぺルラから咎めるように見つめられ、リーゼルは申し訳ない気持ちになった。

「ごめんなさい……」
「まあ、傷はふさがったし、しばらくは血が足りなくてつらいかもしれないけど、特に問題はないはずよ」

 赤ちゃんにそうするように、そっと頭を撫でられた。
 ピンクの鱗を持った人竜族《ツイニーク》であるぺルラは、リーゼルよりも小柄で顔もかわいらしい。でも、その包容力はみんなのなかでも群を抜いている。
 もうすこし甘えていたい気分だったが、リーゼルにはどうしても言っておきたいことがあった。

「あ……あのっ! セレスタさん!」
「うん?」
「セレスタさんは、なんともないですか?」
「バーカ。オレがどうにかなるわけねーだろ」

 そうは言っても、リーゼルが気を失った後、あのショウジョウとティプサーを同時に相手どるのはしんどいはずだ。
 下手をすればふたりとも殺されていたかもしれない。
 まあ、たしかにこうして無事に会話できているわけなんだけども、隠しているだけで、竜の血でも治せないほどのケガをしているかもしれない。

「つかテメーこそ、おもっくそブッ刺されてたじゃあねーか。人の心配とかしてる場合かっての」
「そ、そうでした」

 服に手を入れて刺されたところをさわってみたが、ひきつれもなく、傷はすべてきれいになくなっていた。

「感謝しろよ? 文字通りの出血大サービスで治してやったんだからな」
「あの後って、どうなったんです?」
「それはな――」
 リーゼルの憶えていないあいだの出来事を、セレスタは語り始めた。


「おい、おっさん! アンタはこれでいいのかよ?」

 セレスタはショウジョウに訴えた。
 リーゼルが襲われている。このままではきっと、殺されてしまう。

「あの女、オレとアンタのタイマンに乗じてオレたちを消そうとしやがったんだぞ。つまり、アンタも利用されたってことだろうが!」
「そうかも知れねえが、お前を殺す絶好のチャンスでもあるよナァ?」

 ショウジョウが、全体重を刀に乗せてくる。

「わかんねえ奴だな! 愉しんでたとこに横から茶々入れられて、腹は立たねえのかっつってんだよ!」
「……フン。まあ、たしかに」

 そう言うと、ショウジョウはセレスタの上から退いて、二、三度刀を振った。
 セレスタに絡みついていた糸が切断される。
 下の服や皮膚には傷をつけず、動きの妨げになっていた部分だけを切っている。ほれぼれするほどの腕前だった。

「どこの馬の骨とも知れん女の助けで勝っても、自慢にならんからな」
「ヘッ。アンタいかすぜ、おっさん」

 だが、間に合うか?
 見れば、リーゼルはすでに何度か身体を貫かれ、ぼろきれのように転がっている。
 ちっ、とセレスタは舌打ちした。いくら動きを封じられているとはいえ、簡単にやられすぎだ。

「テメェ! それでも竜人族《フォニーク》かよ!」
「なァに? 私じゃなくて、そのコに怒ってんの?」

 セレスタの攻撃を受け止めたティプサーが、呆れたように言う。
 当然だ。
 いきなり自分とおなじように戦えるとは思わないが、これではあまりに期待外れというもの。せっかく拾った甲斐もない。

「オラ、馬鹿リーゼル! 聞こえねえのか? 悔しかったら立ってみせろや!」
「眼中なしとか、ありえないわよ」

 ラッシュをしのぎながら、ティプサーは空中に糸を散布する。
 それが身体にふれる前に、セレスタは翼をひと打ちした。舞い上がる細かい砂埃が、糸の粘性を弱める。

「畜生。さすがに戦いなれてるわね。もう、私の糸に対応してくるなんて」

 これ以上戦っても無意味と判断したか、ティプサーは壁を伝って逃げようとする。
 ところが、下からのびてきた手が、彼女の足首をとらえた。

「なっ」
「えっ」

 セレスタとティプサー、ふたりの驚きの声が重なる。
 第三者の介入があったこともそうだが、なによりそれが、リーゼルだったからだ。
 しかし、どうもようすがおかしい。
 表情は虚ろだし、ティプサーのほうを見てもいない上、ふしゅるしゅる、となにやらおかしな呼吸音までしている。
 糸はどうしたのかと思って見てみれば、まるで高熱にでもあてられたかのように、ドロドロに溶けて用をなさなくなっていた。

「おい、どうした!?」

 声をかけたが反応がない。たぶん、リーゼルには聞こえていないし、おそらく見えてもいまい。
 意識はなく、闘争本能だけが目覚めている状態――そう、セレスタは判断した。
 リーゼルは、おもちゃの人形でも振り回すように、片手でティプサーの身体を地面に叩きつけた。
 あまりの衝撃に、腕の一本が折れ飛び、近くの壁に突き刺さる。

「な……なんなの、このちから……ガッ!!」

 今度は反対側へひと振り。
 ぐしゃりという音。
 さらにダメ押しとばかりに、渾身の力を込めたこぶしを叩き込む。
 吹っ飛び、地面でバウンドし、それでもなお勢いは削がれず、ティプサーは壁に突っ込んだ。

「ガハッ……くそ……」
「おお、スゲェ。まだ意識があるのか」

 蜘蛛人《アラニアン》の予想外のしぶとさに、セレスタは素直に賞賛の念を抱いた。
 冷静に分析するなら、リーゼルの攻撃は力任せで、急所を的確に打ち抜くというような技術に欠けていたということはあるだろうが、それを差し引いても充分すぎるほど頑丈といえる。

「アンタとどっちが丈夫かな? おっさん」
「さあな。試す気にもならねェ」

 ショウジョウが肩をすくめる。
 さすがにもう戦えまいと思い、ようすを見ていると、ティプサーはドアをノックするように地面を叩いた。
 すると、そこにぽっかりと人が通れるほどの穴が現れ、彼女はそこに潜り込んだ。

「あっ、こら待ちやがれ!」

 慌てて駆け寄ったときには、すでに穴は跡形もなく消えていた。


「ええー……ぜんぜん憶えてないんですけど……」

 思い出そうとしても、こめかみがズキズキするばかりでなにも出てこない。

「何者だったんですかね……あのティプサーって人……」
「さあな。けど、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉を恐れない組織となると、そうは多くねえ。モールソン以外ならまず〈暗闇の園〉……それから〈狂気の担い手《ムーン・メイカー》〉に〈妖精の檻《フェアリー・ケイジ》〉……まあ、そのあたりだろうな」
「たぶん、また来ますよね……?」

 リーゼルは自分の手のひらを見つめた。
 まだ、ティプサーの血でべっとりと汚れているような気がして背筋が寒くなる。
 暴力は嫌いとか言っていたクセに、そんな残酷な行為を喜々としてやったのか。
 ――そう、喜々として。憶えてないけど、たぶん。
 相手を殺すところまでいかなかったのは、まだしもの救いだ。
 でも、なんでそこまで嫌なんだろう?
 よくよく考えてみると、自分は暴力を振るわれるより、振るうほうがずっと嫌いだということに気づく。
 なぜ?
 今日みたいに、なにかのきっかけで抑えが効かなくなるかもしれないから?
 また、血の色を幻視する。
 匂い。
 そうだ。匂いがするんだ。

 まるで悪夢のような、嗅いでいるだけで胸の悪くなるような――
「それ」はきっと、卵から出てくる前に嗅いでいた――
 でも、ここには。
〈幽霊船《この船》〉には。
 おなじような匂いが満ちている。だから、鈍感になっていた。
 嫌悪感が這いあがってくる。
 自分の身体が、急に厭わしくてしかたなくなった。
 でも、涙が零れそうになったとき、いきなり頭をわしゃわしゃとかきまわされた。

「スゴかったぜ。お前、結構やるんだな」

 無邪気であっけらかんとした、セレスタの笑顔がそこにあった。

「………」
「うん? どした」
「いえ……はじめて、褒められたものですから」

 よりにもよってこんなことで、という思いもあったが、戦えるかどうかということは、きっとセレスタにとってはいちばん重要で、そしておそらくは、リーゼルがもっとも彼を失望させていた部分でもあったのだろう。
 だから、暴力を振るってしまったという嫌悪感とは裏腹に、無性に嬉しくもあった。

「いいか、リーゼル」

 セレスタは、妙に真面目くさった表情になった。

「生きるってことは、戦いなんだよ。戦う気力をなくした奴から、この船では死んでいく」
「……はい」

 セレスタの言うことは、きっと正しい。リーゼルが好むと好まざるにかかわらず。

「オレは嬉しいぜ。オレの拾った奴が、ちゃんと生きる力を持ってたってことがよ」

 また、髪の毛をわしゃわしゃされる。
 そのとたん、せきとめられていたはずの涙腺が決壊した。
 慌てたセレスタに、なに泣いてんだよテメーと頭をはたかれたが、なぜかこのときだけは、嫌な気分にはならなかった。

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