『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・5

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「感動だよウィル! ボクらはいま、本物の大地に立っているんだ!」

 探索組を乗せたボートから海岸に降り立つなり、ニーニヤは人目も憚らず叫んだ。
 頬を上気させ、何度か足を踏み鳴らしたのち、しゃがんで砂に手を這わせる。まるで子供だな、とウィルはため息をついた。

「ふつうの砂浜だろ」
「馬鹿を言うな。砂粒ひとつ取っても、微生物の死骸や鉱物種類など、場所による特色は表れるものだよ。そもそも〈幽霊船〉に乗ってから、外の世界に出ていくこと自体が初めてなんだ。ああ、なんて……なんて素晴らしいんだろう!」

 満面に喜色を浮かべ、興奮を隠そうともしない。しかも白い砂浜の照り返しにやられて、「焦げてしまいそうだ」などと嬉しそうにのたうちまわったりもしている。上と下からの太陽光サンドイッチはさぞや辛かろう。
 本格的な探索はこれからだというのに、さっそくの悪目立ちだ。
 もう、こいつは。ほんとにこいつは。
 恥ずかしいからやめてくれ、と思っていると、「やかましい女だな」というニッカの呟きが聞こえた。ラムダたち四人もおなじボートに乗ってきていたのだ。
 水分を多く含んだ空気が肌に張りつき、じっとしていても汗が浮かんでくる。
 それでも、空気がよどみ、それどころか至るところで腐臭を発してさえいる船内よりも、よほど快適に感じられた。ニーニヤのように手放しで喜んだりはしないものの、この開放感は好ましい。
 海から反対に目を転じれば、見たこともないほど背の高い木々が鬱蒼と生い茂る森がある。ニーニヤに読み聞かされた程度の知識しかないが、たぶん「ジャングル」とかいうものなのだろう。
 百人近い探索組は三つの隊にわけられ、ウィルたちはレムト率いる「一番隊」に組み込まれた。
 上陸地点に築かれた前哨地から、一番隊は西へ、二番隊は北へ、三番隊は南へと進む。
 前哨地周辺で採れるものだけで満足できるという者は、留まって近場を探索しつつ、前哨地の警備にあたる。
 これから二日間、ラムダたちと共に過ごさなければならないと思うと気が重い。はあ、とため息をつくと、ニーニヤが大きな耳を震わせた。

「なんだい、辛気臭いなあ。これから待ち受ける冒険に、ボクの胸はこんなにも期待に張り裂けそうになっているというのに、相棒のキミがそんなでどうする」
「その貧相な胸がなんだって? まったく、お前はいいよな。いつでも能天気で」
「フフン。いつにも増して口が悪いね。しかし、腹を立てている時間すら惜しい。なにしろボクたちに与えられた時間は、たったの二日しかないのだから」

 そうだろうな、こいつならそう感じると思った――ウィルはもう一度ため息をつく。
 実際のところ二日という時間は、本格的な探索にあてるために、ぎりぎり確保できる最大のものといえる。
〈幽霊船〉が異世界に留まれるのは、その世界における七日間――船内の基準に合わせて一週間と呼ばれることが多い――が限度だ。期限が迫れば、ふたたび虚無の海へと漕ぎ出さなければならない。
 なんでも、特異点とやらの塊である〈幽霊船〉がひとつところに留まり続けると、その世界だけでなく船そのものにとっても悪影響が出るのだとか。
 しかも、一度世界から離れてしまうと、次はいつまた来られるかわからない。
 かつては星の数ほどもあるとされる異世界間を自由に行き来していた〈幽霊船〉だが、ある大きな戦いにより、修復する技術も含めて機能が失われてしまったからだ。
 いまの〈幽霊船〉は、虚無の海をただただ漂うばかりで、せいぜいが次に漂着する異世界がどこかといった程度の情報しかわからない。
 定期的に訪れることができるのなら、もっとちゃんとした拠点を築くなり、駐在員を置くなりすればいいのだが、もどってこれるかが完全に運任せではそうもいかない。
 そこで、最初の五日間はもっぱら情報収集にあて、本格的な採集は最後の二日間におこなうというのが、いつしか基本パターンになっていった。

「ここはかなり大きな島か、大陸の端っこといったところか。上陸地点周辺に人間が住んでいるようすはない。文明の痕跡は残っているが、何百年も昔のもののようだな」

 先頭をゆくレムトは大ぶりのナタを手に持ち、大人数でも通りやすいように邪魔な下生えを切り払う。
 深緑の森は昼間でも薄暗く、それでいて騒がしい。鳥や獣、虫といった様々な生き物の声を、あらゆる方向から浴びせかけられるからだ。
〈幽霊船〉の居住区も相当に人口密度が高いが、敵対する意思を明確に持っているのでもない限り、余計なトラブルを避けるため互いの領域を侵犯しないのが暗黙のルールになっている。
 そこには無闇に騒音を出さないことも含まれるし、〈図書館〉とその周辺は比較的治安がいいせいもあって、ふだんはかなり静かだ。
 まあ、ニーニヤという例外もあるので、ウィルはあまりそう感じたことはなかったが。
 蝙蝠人《バッティスト》の少女は、口こそとじているものの、浜のときよりもずっと元気そうだった。日光があまり届かないせいだろう。
 探索組の主な獲物は、この世界独自の動植物と鉱物だ。ひょっとしたら遺跡に宝が眠っている可能性もあるが、そちらはあまり期待できそうもない。
 探索済みの場所には道が引かれていた。といっても、獣道よりましな程度の簡便なもので、それでも人が通ったという事実が幾分かの安心感を一行に与えてくれる。
 時折レムトは足を止め、耳をすませたり、地面についたなんらかの痕跡を調べたりする。その都度、ここはすこし待とうとか、迂回したほうがいいといった指示を出した。
 落ち葉に隠れて見えにくくなっている沼地や、木や岩に擬態した生物のいる場所が近づくと注意を促し、そのおかげで、うっかり者がひとり、石につまずいて擦り傷を作った他は被害らしい被害も出さずに進むことができた。

「なーんかさァ。安全なのはいいんだけど、ちと退屈ってゆーか? もうちょっとこう、スゲー猛獣とかバンバン出てきて、それをみんなでボコる、みたいなの期待してたんだけどなー」
「つか、ホントに金になる獲物がいるのかよ? このまま手ぶらで帰る、なんつーことになったらマジ詐欺だっつーの。……ですよね? ラムダさん」

 ニッカとサタロは、さっきからぶーぶー文句を言っている。
 ラムダはなにを考えているかわからない無表情のまま止めようともしないので、ひとりミツカだけが、気まずそうに周囲に愛想笑いを振りまいていた。

「心配するな。すぐに忙しくなる」

 ほどなく道が途切れた。
 前哨地から直線距離で十キロとすこし。
 ここから先は、完全に未知の領域ということだ。

「見てみろよ。アイツ、まぁたビビッてやがる」

 唾を呑み込むウィルを見て、ニッカたちがからかってきた。ことあるごとに、こんなふうに絡んでくるのが実に鬱陶しい。
 ニーニヤに見つめられて退散するのも毎度のことで、それもまた嫌な気分に拍車をかける。

「いたぞ」

 先のようすを見にいっていたレムトがもどってきた。
 いた、というのは、獲物に相応しい生物を発見したということだ。
 いよいよ、狩りが始まる。一行のあいだに張りつめた空気が広がった。
 ニーニヤが、ぴょこん、と跳ねるような動きをした。

「危険な奴なのかい?」
「ああ。使えそうな奴を何人か連れていく」

 レムトは岩の上に登ると、右から左へ一行を見まわした。

「あんたとあんた……そこのあんたもだ」

 指名を受けた連中はさすがに胆が据わっているようで、これから命を張らねばならないというのに、むしろ嬉しそうだった。

「それと、モールソンの若いの」
「ああ」

 ラムダが顔をあげる。

「お前ら、兄貴分に手柄たててこいっつわれてるだろ。来るか?」
「もちろん」

 即答だった。

「小さいのふたりと、うしろのお嬢ちゃんもか?」

 ラムダはにこりともせずうなずく。そのふてぶてしい態度に、レムトは「フン」と鼻を鳴らした。面白がっているふうだ。
 ざわついたのはむしろ他の連中だった。
 無理もない。ラムダたち四人は、全員が十代前半だ。だが、モールソンの名を聞いて、彼らの若さを指摘する勇気のある者はいなかった。

「ボクらもいこう」

 ニーニヤが進み出た。
 許可を求めるのではなく、さもそうするのが当然といわんばかりの態度で。しかも、ボク「ら」とかぬかしやがった。

「おいおい、ふざけんな。遊びじゃないんだぞ」
「ピクニックと勘違いしてやがんのか?」

 まあ、そうだろう。どう見ても戦いの素人であるガキふたりだ、面白半分と取られてもしかたない。
 ニッカとサタロからは罵声が飛ぶし、ミツカはなんともいえない表情をしている。
 しかし、この女は怯まない。

「遊び? 冗談じゃあない。ボクの目的は、この地の自然の観察と記録。〈図書館〉主導による立派な文化事業だよ。大丈夫、邪魔はしない。レムト隊長も言っていた。自分の身は自分で守るのが大原則だ、と」

 ちらり、とこちらに視線を送ってくる。期待してるぞ、という意味なのだろう。ため息しか出なかった。

「いいだろう」

 これまたあっさりと、レムトは同行を認めた。
 時間が惜しかったのか、それともニーニヤを信用したのか。たぶん、前者の可能性が高い。
 出発前に、ラムダたちは円陣を組み、「我らモンモン!」「「「モールソン!」」」というかけ声で気合を入れていた。
 あの一家はみんなこれをやる。一種の伝統らしい。

 息を殺し、足音を殺しながら、ウィルたちはレムトの後に続いた。
 目的地はこの先にある沼地だというが、明らかに迂回している。木立の隙間を抜ける空気の流れを感じ、風下を選んで歩いているのだと気づいた。
 レムトの動きは一見無造作で、するすると驚くべき速さで進むので、ついていくのも必死だった。
 それでいて物音ひとつたてることもなく、視界の外にある障害物にひっかかったりもしない。まるで周囲のすべてを把握しているかのようだった。

「うえ、なんだこれ」

 途中、ニッカが一本の木を見あげて顔をしかめた。
 十数メートルはあろうかという枝の上に、ズタズタにされた動物の死骸が乗っていた。

「ビークの仕業だ」
「ビーク?」

 はじめて聞く単語に、ニーニヤが目を輝かせる。

「獣竜《ビースト・ドレイク》――略してビーク。とりあえずそう呼んでいる。これから俺たちが狙う獲物だ」
「ほう」
「仕留めた餌を、他の獣に取られないよう、ああして木の上にひっかけておくんだ」

 死骸は、人間大のリスに似た動物のようだった。
 頸椎を折られたうえに、内臓もすこし喰われた無残な有様だったが、ニーニヤはしげしげとそれを見つめていた。止める人間がいなければ、登って観察しようとしていたかもしれない。

「あれだ」

 さらにすこし進んだところで、レムトは前方を指さした。
 沼のほとりで、美しい獣が水を飲んでいた。
 皮膜のある翼を持ち、たくましい二本の足で身体を支え、尾は丸太のように太い。
 長い首に、ねじくれた二本の角。鳥の嘴を思わせる甲羅に覆われた顔。
 姿かたちは翼竜《ワイバーン》にも似ているが、身体は目の前の水面をすこし明るくしたような、深みのある青い毛に覆われている。

「毛皮、翼、角、爪……どこをとっても高く売れるだろうよ」

 レムトとよく組んで仕事をするという、四角い顔の傭兵が言った。おお、とニッカとサタロが期待に顔を輝かせる。

「凶暴な奴だ。素早くて力も強く、空まで飛ぶ。まずは――」

 なるほど、とニーニヤがペンを走らせる。
 こんなときでも記録とは、見あげたものだと思わないでもない。だが、後にしろ。
 レムトは作戦を伝えた。確認と準備のためのいくつかのやりとりを終えると、全員がそれぞれの配置についた。
 ウィルとニーニヤは基本的に狩りに参加せず、やや後方で待機する。万が一の場合には救援を呼びにいくという役割もあった。
 ビークがこちらに気づいたようすはない。水を飲み終え、羽繕いを始めたところで、鳥の声を真似た合図が響いた。
 三人の傭兵が、すこしずつタイミングをずらして網を投射する。繊維に針金を仕込んだ特別性で、ちょっとやそっとでは破れない。
 ひとつ目はかわされたが、ふたつ目、三つ目の網は見事ビークに命中した。

「ギュラゥロロロロゥゥ……ンン……!」

 怒りの声をあげ、ビークが暴れまわる。だが、動けば動くほど網は絡みつく。こと、身体から長く突き出た翼には。
 まずは飛行能力を奪い、空へ逃げられないようにする。初手にして、狩りを成功させるための絶対条件。無事クリアだ。
 息をつく間もなく、ラムダたちが突進する。ニッカとサタロは槍、ミツカは鎖のような武器を持ち、ラムダはなんと無手だ。
 だが、彼にはあの力がある。
 ラムダが右腕を突き出すと、掌中に光が生まれた。
 使い手の冷徹な心を映すかのように、青白く燃える炎の光――それがかたちを変え、一本の剣となる。
 居住区のダンジョンのひとつ、豺狼洞穴の深奥には、ふれた者の精神の力を引き出す魔石、〈天啓の詞《フルール・クルーレ》〉を祀った祭壇がある。
 そこでラムダが手に入れたのが、炎を生み出し操る力。
 ぎり……とウィルは奥歯を噛みしめた。あんな能力が、自分にも発現していれば。
 しかし、そうはならなかった。

(ならなかったんだ。ちくしょう……!)

 ラムダたち四人はビークを取り囲んだ。
 ビークは鉤爪の生えた腕や尻尾を振り回して応戦するが、投げ網でバランスが狂っているせいで精彩を欠いている。
 大振りの攻撃をかわしつつ槍を立てて牽制、隙を衝いてラムダが懐に飛び込む。炎を恐れ、ビークが退がる。さらに死角から鎖が襲う――一糸乱れぬ連携はさすがだ。
 そうやって、徐々に沼から引き離していく。空に続いて、水に飛び込むという退路も潰す。
 頃やよし、とばかりにサタロが石突で地面を叩いた。
 ビークの足許がぬかるみに変わり、巨体を大きく傾かせる。体勢を整えようともがくも、見えない壁にぶつかってうまくいかない。こっちは、ニッカの仕業だ。
 フルーリアン――〈天啓の詞《フルール・クルーレ》〉によって潜在的な力を解放された者をそう呼ぶ。
 ウィルもかつて、他の子供たちといっしょに豺狼洞穴に潜った。モールソン一家の役に立つ人材か否かを判別する、一種の通過儀礼のためである。
 だが、どんな能力に目覚めるかは、本人の資質と運に左右される。
 ウィルとはちがい、モールソンの幹部が認めるだけの能力を手に入れたラムダたち四人は、こうして異世界の魔物と渡りあうことで、己の価値を証明していた。
 頭ではわかっていたが、こうして目の前につきつけられるとさすがにキツい。
 なんで、こんなものを見なければならない?
 思わず、ニーニヤのせいにしてしまいたくなる。
 コイツがついていくなんて言わなければ――でも、それは不毛な責任転嫁だ。その程度の良識は、まだウィルにも残っている。
 うなりをあげてミツカの鎖が舞う。
 彼女だけは能力を使っていないが、出し惜しみしているというわけではなく、使いどころの問題なのだろう。
 実際、能力なしでもミツカは充分に戦えている。鎖で背中を打ったり、動きを封じたりと、援護役として堅実な働きを見せていた。

「やった!」

 鎖が両脚に巻きついて、ビークが転倒した。ラムダが炎の剣を振りあげる。

「いくぞ……! 我らモンモン!」
「「「モールソン!」」」

 四人は呼吸を合わせ、一斉に攻撃をしかけようとした――そのとき。

「耳をふさげ!」

 レムトが叫ぶと同時に、ビークの喉が風船のようにふくらんだ。

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