『バラックシップ流離譚』 美しき剣・2

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 居住区下層にある岩盤住居街――その一画。
〈暁闇の牙〉――かねてから反乱を準備しているとの疑いがあった新興組織のアジトである。
 蛙人《フロギー》の商人を締めあげ、取引相手が彼らであるとわかってからの、憲兵隊の動きは迅速だった。
 居住区の住人には知られていない、秘密のルートを通じて各部隊にレギルの命令を伝達し、一時間と経たぬうちに戦力を結集させた。
 甲板での取引が潰されたとあれば、危険を感じた〈暁闇の牙〉がアジトを移す可能性が高い。そうなっては面倒である。レギルは、面倒なことは嫌いな質だ。
「いいか、これはネズミ退治だ。奴らは浅ましくもこの船に棲みついたネズミだ。あらゆる逃げ道を漏らさず塞ぎ、一匹残らず殲滅せよ。窮鼠猫を噛むとの言葉もあるが、猫以上である我らは噛まれたところでなにほどのこともない」
「にゃあ」
「にゃあじゃない、マトロア」
「にゃあ……」
「では、ゆくぞ」
 合図とともに轟音が鳴った。
 余計な小細工は必要ない。建物の構造や敵のおおよその人数はすでに把握している。出口を塞いだ上で、二手に分かれた突入部隊が、出会った敵を順次すり潰してゆけばいい。
 正面の部隊はレギル自らが率いた。最初の通路を守っていた男ふたりの喉を、愛用のサーベルで声も発さぬうちに切り裂く。
 吹きあがる鮮血をあとに、レギルは足を止めることなく突き進む。
 敵の動きに混乱が見える。迎撃が出てくるタイミングも、統率を欠いているようにバラバラだ。やはり、逃げ支度に大わらわで、戦う用意ができていなかったのだろう。
 通路に家具が置かれ、バリケードが築かれている。物陰から浴びせられる銃弾。
 だが――
 銃撃のわずかな間隙をついて飛び出す。鍛えあげられた憲兵隊の脚力は、次弾装填の猶予すら与えない。
 あんぐりとあいた口腔に剣先を突き込み、心臓を貫き、ナイフを抜いて対応しようとした敵の腕を肘から切り離す。
「にゃあっ。隊長、はりきりすぎですよう。ウチらの分も残しといてください」
 そういいながらも、マトロアはほぼぴたりとレギルの後ろにつけ、彼に次ぐ数の敵を屠っている。
 頬についた返り血を指で拭った彼女は、それを自身のくちびるに、紅を差すように塗りつけた。
「はあっ。生きてるって感じですねえ」
「笑えん冗談だ」
 バリケードを斬り飛ばし、先へと進む。
 象嵌の施された分厚い扉を抜けると、長テーブルと椅子の並べられた広間に出た。
 真正面には左右にわかれて昇る階段があり、その先へ視線を転じると、銃を構えた男たちがずらりと並んでいた。
「撃て! 撃てェ!」
 叫んだの男は、初めて見る顔だが、その特徴は伝え聞いている。
 ドルチェロ・ネブロ。〈暁闇の牙〉の頭目だ。
 彫りが深く、髭面で、左頬に引き裂かれたような傷がある。
 おう――口許に笑みが浮かぶ。俺と違って、ずいぶんと男臭いな。
 同時に、レギルと部下たちは散会し銃弾を避ける。
 皆、素早く広間の構造を確認し、柱の陰に身を隠した。
「降伏しろ。勝ち目はないぞ」
「抜かせ。憲兵隊がなんぼのもんじゃい。こっちにゃまだ百人から手下がおるけぇの」
 ドルチェロは唾を飛ばして怒鳴った。
 額に玉の汗が浮かび、表情にも余裕がない。百人とか抜かした手下も、裏から突入した部隊によって刻一刻と数を減らしているはずだが、当然それも知っているはずだ。
 つまり、彼としては挟撃を受ける前に、なんとしても、この場にいるレギルたちを全滅させたいのだ。
 レギルは、相手を焦らすために、わざとゆっくり話す。
「死ぬのは、怖いか? ドルチェロ・ネブロ」
「ピィピィとうるさいのう。女のような顔で喚くな」
「はっ。挑発しているつもりか? 悪いが、気は長いほうでな」
「嘘ですにゃー」
「お前は黙れ」
 そこまで会話を続けたところで、違和感を覚えた。
 ドルチェロの態度に作為を感じる。
 まさか、演技?
 時間を稼ぎたいのは、向こうも――
 次の瞬間、周囲で悲鳴があがった。
「マトロア! イェニチェフ! ゴーダ―!」
 返事はない。
 広間に入った憲兵たちは、レギル以外、全員血を流して倒れていた。
 銃撃? どこから?
 広間にいる連中ではない。では、外か?
「いい顔じゃのう、憲兵隊長」
「能力者《フルーリアン》か」
「察しがいいのう」
「貴様のような手合いが調子づくのは、およそ自分か手駒が強力な能力を得たときと決まっている」
 居住区に‟突如として現れた”ダンジョンのひとつ、豺狼洞穴《さいろうどうけつ》――その深奥に祀られる魔石〈天啓の詞《フルール・クルーレ》〉にふれた者は、不可思議な力を引き出される。
 力を引き出された者は、石の名にちなんで“フルーリアン”と呼ばれるのだ。
「種明かしをすれば、なんのことはない。物質を透過する弾丸を放つフルーリアンを隣の部屋に配置していたというだけだが」
 ドルチェロは勝ち誇った笑みを浮かべた――わかったところで、よけられはせんだろう。
「どうだ、降伏する気になったか? それだけの器量だ、可愛がってやらんこともないぞ?」
「下種が」
「それが答えか。ならば、仕方ない」
 焼けた火箸を何本も突っ込まれたような感覚に襲われる。レギルの身体を、複数の弾丸が貫いたのだ。
 がばり、と口から血の塊が溢れた。
 見あげると、ドルチェロの喜悦はさらに大きくなっていた。

 ……さて。

「サービスはこのくらいにしておくか」
「な――にィ!?」
 ドルチェロは訝しげに眉をあげ、続いて驚愕に顔を歪ませた。
 レギルが倒れない――のみならず、仕留めたはずの憲兵たちまでが、何事もなかったかのように起きあがってきたからだ。
「ば、バカな! なんでや!? なんで死んどらん!」
「さてな。俺たちは“呪い”と呼んでいるが」
 一般の住人には知られていないことだが、〈幽霊船〉のクルーは全員が不死者である。
 レギルたちは、切り刻まれようが焼かれようが、潰されようが灰にされようが、決して死ぬことはない。
 どんな傷も、負った瞬間から再生が始まり、瞬く間に元通りになってしまう。
 竜人族《フォニーク》や人竜族《ツイニーク》も再生能力を持っているが、それとは次元が違う。
 おそらくこれは治癒ではなく、不死となった時点まで肉体の時間を巻き戻しているのではないかと、レギルたちは推測している。
 それを裏付けるかのように、クルーたちは歳を取らない。
「ええい、もう一度じゃ! もっぺんコイツらを蜂の巣にしちゃれ!」
「おっと、二度も痛い目を見るのもつまらんな」
 目にも留まらぬ速度でレギルは左手の壁に駆け寄り、サーベルを縦横に振るった。
 一拍おいて、壁が細切れになり、その向こうで銃を持った血まみれの男が天を仰ぎながら倒れていった。
 銃弾をその身に受けたことで、最初の奇襲ではわからなかった射手の位置を特定できたのだ。
「んはぁ~。んじゃ、そろそろバトル再開といきますかにゃ」
 マトロア以下、憲兵たちがサーベルを構える。
 煌く刃の群れを見たドルチェロたちは、待ち受ける運命を悟り蒼白になった。


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