夢の国 in 夢の国 映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』感想
ファッキンでバッドな自粛ムードの中、皆さまいかがおすごしでしょうか?
緊急事態宣言を受け、我が地元でも映画館が一斉に閉館。
これまで映画記事を書く際は上映中の作品を取り上げてきましたが、新作映画を観ることができないので無理、という状況です。
ならば、すでに上映期間の終了した作品で記事を書けばいいじゃない、と Twitter でアンケートを取ってみたところ、なんと4票!もの回答がありました!
いやぶっちゃけ0票もあり得ると思っていたので回答して下さった皆さんマジ感謝です。
というわけで、最高得票数を得たのが本作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(以下ワンハリ)』。
昨年の作品の中で、私は2位に入れてますね。 → 2019年シネマランキング年間ベスト10
先にお断りしておくと、この記事は本作(とタランティーノの過去作)の核心部分についてのネタバレを含みます。
というのも、ベスト10の寸評でもふれましたが、私、本作でめちゃくちゃ泣いたんですね。間違いなく、昨年でいちばん。
いったい、なにがそこまで泣けたのかを説明しようとすると、どうしてもあのラストを語らなくちゃいけない。
すでにご覧になっている方はまあ、わかって下さるとは思いますけど、未見の方はお覚悟を。
それではいってみましょ~。
舞台は1969年のハリウッド。落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とその専属スタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)の住む家の隣に、映画監督ロマン・ポランスキーと若手女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー)の夫妻が引っ越してくる――
タイトルに「ワンス・アポン・ア・タイム(むかしむかし)」とあるように、この映画はおとぎ話です。
序盤では、活気に満ち夢と希望に溢れた古きよきハリウッドが、仕事上の仲間であり親友であり、かつもはや熟年夫婦の空気すら漂わすリックとクリフを通して描かれます(実際には台所事情が苦しく、そんなによくない面も当然あったわけですが、そこはあくまでタランティーノ監督の原風景ということで)。
タイタニックの頃はレオ様などと呼ばれ二枚目俳優の代名詞的存在だったディカプリオ。でも最近はどぎつい悪役を演じたり、かと思えばケツの穴にロウソク突っ込んだり熊に喰われかけたりと、かつてのイメージは皆無に近い。
そこが劇中のリックともちょっと重なるような気もしないでもないですが、どちらかといえばリックはダメダメ要素が強く、酒に溺れてセリフを飛ばしたり、厳しめの意見を言われてめそめそしたり、とにかくみっともなくてそこが愛しい。
対するクリフは従軍経験があるためか達観しており、リックを公私にわたって支えつつ、ぴちぴちギャルのお誘いも毅然と跳ねのけるかっこよさを見せつけてくれます(誘惑されないゲルマン魂!)。
さらにはお隣の若奥様、シャロン・テートがとにかく魅力的に描かれ、彼らのやりとりをみているだけで楽しい。
しかし、よくよく見ればそこにはすでに、不安の種が撒かれている。
詳しくは、1969年8月9日に起こった事件を調べて――というか、色んなところでいわれてますが、この映画を楽しむための必須級の知識なんですよね。
アメリカではとても有名な事件で、首謀者のチャールズ・マンソンは色々な意味で後世に影響を与えています。
ちょうど、ワンハリより少し前に同様の構造を持った日本映画がありまして。『この世界の片隅に』っていうんですけど。
あちらは1945年の広島。日本人なら誰もが知る「あの日」に向かっていく日常を、架空の市井の人物を通して描いている……。
とにかくその事件のことを知っていれば、序盤ポランスキー邸を髭面の男が訪ねてくるシーンで「えっ」となるし、クリフが誘惑されるシーンでは「あぁ……」となること請け合い。シャロンが自分の映画を上映している劇場を訪ねるシーンの味わいもより深いものとなるはずです。
そして、中盤の牧場でのくだり。
ただでさえ不穏なのに、そこに後に起こる事件の知識が加わると凄まじくスリリングなんですよね。
かっこよすぎるブラピも含め、必見といえます。
で、いよいよ終盤。
8月9日、運命の夜。
マンソンの命を受け、ポランスキー邸を狙ってやってきた彼の信者たちは、誤ってあろうことか隣のダルトン邸に侵入してしまう。
リックとクリフは、そんな彼らをとんでもないやり方で迎え撃つわけなんですが、タランティーノの怒り爆発というか。
「輝かしい時代を終わらせてしまったバカ共」への、これでもかというほどの報復がなされ、あまりのやりすぎっぷりにアガるしかない、というかちょっと呆れも入りつつ、やっぱりハイになりますよね。
ここでも二人のキャラクターが際立っていて最高なんです。特にリックはワケのわからないままあんな物を持ち出して……腹抱えて笑いましたよ。
ですが、場が収まり、リックが落ち着きを取り戻したところで、こちらもハッと我に返るわけです。
いま起こったことは、すべて虚構なのだと。
私の中のベニーが「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック」と囁き、次の瞬間滂沱の涙を流しているというありさま。
けれど、タランティーノは諦めなかった。
「だから、この話はここでお終いなんだ」とはしなかった。
実をいえば、かつて同監督の『イングロリアス・バスターズ』を観たとき、ヒトラーを惨殺してしまう展開がちょっと呑み込めなかったんですよね。
いくらナチスが憎くても、史実をそういうふうに歪めてしまうのはどうなのかと。
でも、その後監督のフィクションに対する考えを知り、本作を観たことで、完全にこれはこれで良いのだと考えを改めました。
40年間、あの事件の被害者としてしか語られなかったシャロンを、一人の人間として描くことで、そのイメージから解放できたと語る監督には、最大限の賛辞を贈りたい。
邸の門がひらく――暗くて見えない道の先は、リックの憧れ続けた場所であり、同時に実現しなかった夢の世界なのだ。
シャロン・テートは、まさか自らの運命に重大な改変がなされたとは露ほども思わず、無邪気な笑顔でリックを迎えるのである。
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