『バラックシップ流離譚』 幻槍無双・2
保管庫前の通路は、一面血の海だった。
むせかえるような臭気が鼻を突き、修羅場には慣れているはずのクロフでさえ、一瞬嘔吐感をおぼえたほどだ。
散乱している傭兵たちの死体には、どれも上半身がなかった。
巨大な武器で殴られたのでも、爆風かなにかで吹き飛ばされたのでもない。
なにか、ものすごい力で内側から弾け飛んだというような有様だ。
いったいどんな攻撃をされたら、このような死体ができあがるのか。
会場を襲った武装集団は陽動。
本命、主力はこちら――危険なアイテムが多数収められている、この保管庫を、やはり狙ってきた。
「会場のホウは?」
無事な姿のトノヤマが訊ねる。
「あらかた片付いた」
「ボルタッカの旦那もいるし、あっちは大丈夫だろ」
こちらのほうが愉しそうだからと、クロフといっしょにきたルーティカが言う。
彼女は敵の姿を探して辺りを見まわすが、青ざめた傭兵たちの他にはトノヤマと死人しかいない。
「あっれー? どういうこった」
「気をつけてクダさい。賊は‟近くに潜って”いマす」
「潜るだと?」
クロフの疑問はすぐに解消された。
生き残っている傭兵のうち、金庫からもっとも離れていた男の上半身が突如膨れあがり、針でつついた水風船のように破裂したからだ。
血と内臓が撒き散らされ、残った下半身がゆらゆら揺れる。
その傷口から、女の身体が生えていた。
衣服はいっさい身につけておらず、肌は透けて向こう側が見えている。
まるで水晶を削って作った女神のような美しい女が、しかしたしかに、生きているもののしなやかさで身をくねらせ、クロフたちのほうを向いた。
「おい。この船に水精《ウンディーネ》は乗ってたか?」
「さあ? 寡聞にして存じまセンが」
でも、彼女の顔には見覚えがありマすよ、とトノヤマは続ける。
すると、クロフについてきていたルーティカが、口許を引きつらせながらうなずいた。
「ああ。オレも噂にゃ聞いてる。あれは……〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉の一人、水潜華《すいせんか》イグレットだろう?」
「さいデス、そうデス。さすガはルーティカ様」
〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉――裏の社会で恐れられている、四人の構成員から成る暗殺者チームだ。
いちおうは〈狂気の担い手《ムーン・メイカー》〉の所属ということになってはいるが、金次第でどこの組織からの依頼も請け負う。
その名の通り、四人のメンバーは地水火風にちなんだ能力を持つとされるが、知名度に比して、能力や素顔といった実態はほとんど伝わってこない。
「まったくおかしな組織デス、〈狂気の担い手《ムーン・メイカー》〉トは。クロフさんにせよルーティカ様にせよ、種族の特性を超えた特殊能力は、かなリの割合であそこの管理する〈天啓の詞《フルール・クルーレ》〉が由来デス。敵と味方の区別もなく、無暗に特殊能力者《フル―リアン》を増やすなんて、とても理解できマせん」
「だよな。そんなとんでもねー石、独占すりゃあ船内での勢力争いで圧倒的優位に立てるってのに」
「無駄口はそこまでだ。来るぞ」
水潜華は、死体から身体を引き抜き、その透明な床につけた。
ぺたり、ぺたり――と、湿り気のある足音が、保管庫に近づいてくる。
気を取り直した傭兵たちが、次々に水潜華に弾丸を撃ち込むが、身体に当たったところで勢いが鈍り、力なく背中側に抜けて床に散らばる。
ならば、とばかりに、ひげ面の傭兵が青龍刀で斬りかかる。
だが、その刃も、とぷん、と音をたてて水潜華の身体に取り込まれてしまった。
「あらぁ。とてもたくましい腕ね」
水潜華が、ひげ面の傭兵の太い腕に自分の細腕を絡め、嫣然と微笑む。
「あなたの中、とてもあったかそうだわぁ」
ずぶずぶと、沈む。
指が。手のひらが。すりよせた頬が。
男の腕の中に、みるみる女が沈んでゆく。
「あんにゃろ、他の生物に潜り込めるのか!?」
ルーティカが叫ぶ。
ひげ面の傭兵は、恐怖におののきながら自分の腕を掻きむしったが、物理攻撃をすり抜ける水潜華を留めるすべなどない。
水潜華の全身が完全に消えてから数秒後、ひげ面の傭兵の上半身は、先刻の男同様に、内側から弾けとんだ。
「あらぁ? 今度はあなたがお相手してくださるの?」
正面に立つクロフに、水潜華は嬉しげに微笑みかける。
小さな舌が覗いて、ナメクジを思わせる動きで妖しく歪むくちびるをなぞった。
「やれんのか? オイ!」
「気をつけてクダさい、クロフさん!」
味方の声を背中に聞きつつ、クロフは槍を構えた。
「熱いのと冷たいの、どっちが好みだ?」
「はぁ?」
「熱いのと、冷たいのだ」
「そぉねえ。どっちかっていったら、熱いほうかしらぁ?」
「わかった」
腰を落とす。
瞬間、水潜華の顔つきが変わった。
一瞬にして距離を詰め、槍を突き出す。かわそうとした女の肩を貫通。ジュウッっと音がして、水蒸気がたちこめた。
槍の先が白熱している。鋼すら溶断できるまでに、温度を上昇させた。
‟斬っても殴っても効かない”程度の相手なら、恐れる必要などなかった。
高温で蒸発させるか、凍らせるか。あるいは音でも光でも、攻略手段ならいくらでも思いつく。
「くっ」
水潜華が慌てて死体から抜け出そうとする。
下半身を収めたままでは攻撃をかわすこともままならないからだ。
だが、当然ながらその動作は、こちらに攻勢を許す隙となる。
蒸発したはずの肩の部分は、いつの間にか元通りになっている。だが、いくらか身体が小さくなっているようだ。
二度、三度と攻撃を加えると、さらに水潜華は縮んだ。
「さて。どこまで小さくすれば、息の根を止められるかな」
「……フフッ」
てっきり死の恐怖に脅えるか、すくなくとも焦るくらいはしているかと思いきや、水潜華は笑みを浮かべてみせた。
直感的にわかった。虚勢や強がりではないと。
この程度の修羅場には慣れっこであり、今度もまた余裕で切り抜けられるという、確信に満ちた笑みだ。
なにか奥の手を隠しているということは、いかにもありそうだ。それくらいでなければ、裏社会で名を轟かすことなどできはすまい。
そういえば。
〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉……残る三人は――どこだ?
思った瞬間、一陣の風が舞った。
居住区ではまともに風が吹くことなどめったにない。ましてやここは屋外だ。
とっさに槍を突き出そうとした手を止め、横に身を引く。
クロフのすぐ鼻先をなにかが駆け抜け、水潜華の姿がかき消えた。
「大丈夫かい?」
「助かったわぁ。さすがにトブラックの集めた精鋭ねぇ。厄介なのがいるわよぉ」
すこし離れた場所に、緑の髪の優男に抱きあげられた水潜華が現れる。
「あの男、おそらく順風陣《じゅんぷうじん》のヨフィアでショウ。風を読む〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉の索敵担当と聞いていマスが、超スピードで動くこともできるようデスね」
トノヤマが言い終えるか終えないかというところで、後方で爆音にも似た凄まじい音が響いた。
振り返ると、黄色いコートを着た男が保管庫の前に立っていた。
黒髪と髭を短く刈り込んでおり、精悍な横顔は謹厳を貴ぶ神の像を思わせる。
男の足許では床が大きく裂けており、そこから土の塊があふれ出していた。
動く土は生き物のように動き、保管庫の扉の隙間に入り込んでゆく。
「あれは……! まさか〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉の三人目……漫地漢《まんちかん》のブラームスン!?」
「なンと! スデに順風陣の手であそこまで運んでいたということデスか!」
目の前の水潜華と順風陣か、それとも後方の漫地漢か。
どちらに対応すべきか。トノヤマとルーティカが、一瞬の逡巡を見せる。
そのわずかな時間にも、漫地漢の操る土は扉の隙間に送り込まれ続け、ついには金属のねじ切れる鈍い音が通路に響き渡った。
死んだ二枚貝のように、保管庫がその口をあける。
土の塊がもこもこと動いて、取り出してきた品々を、貴人にかしずく従者のように漫地漢に捧げた。
「いけマせん。あそこにある商品は、どレも使い方を誤れば、この船を沈めかねない危険な物ばかりデス」
「そんなモノまで売って金にしている時点で、お前らも大概狂っていると思うぞ」
ヘンッ、とルーティカが鼻を鳴らした。
「ぬるいこと言うねえ。狂ってないヤツなんているのかい?」
ちがいない。
この船では――〈幽霊船〉という場所では、なにもかもが狂っている。
もちろん、クロフ自身も含めて。
強い相手と遭遇するたび、そいつが自分を殺せるかと値踏みするような人間が、狂っていないはずがない。
――さて、お前らはどうだ?
――あの夢のような死に様を、俺にもたらすことができるのか?
無銘の槍を構えるクロフの脳裏に、ふいにひとつの顔がよぎった。
◇ ◇
その顔は笑っていた。
考えてみれば、いつもにこにこしているか、さもなくば困ったように笑っている以外の記憶がほとんどない。
いや、彼女も人間であるからには、当然それ以外の表情も浮かべているはずなのだが、印象に残っていないのだ。
――レフィア。
彼女とは、もう一年ほどになる。
客に無理やり酒をすすめられ、前後不覚の状態で路地裏に連れ込まれそうになっていたところを助けたのがきっかけだった。
レフィアはゴミの山に尻をうずめた姿勢のまま、とろんとした目でクロフを見あげ、
「あ~、よく右隅の席に座っているおにいさんですね~。いつもありがとうございます~」
などと、状況把握のまるでできていないセリフを吐いた。
己が男どもにとって、どれほど劣情をかきたてる肉体を有しているか、自覚がないのだろうかと疑った。
弄んでやるつもりで、家に連れ帰った。
すこしは痛い目を見て、自分の愚かさに気づいたほうがこいつのため。そんな言い訳を考えながら。
水を一杯飲ませると、赤子のように「ふへっ」と笑い、「ありがとうございます~」とまた礼を言われた。
どうしたものか、と考えた。
いま、こいつに手を出したら、あの店にいきづらくなるのではないか。
脅して黙らせるか? そう難しいことではない。
だが、それで彼女が店を辞めでもしたら、もうあの歌が聴けなくなる……。
そこではたと気づき、クロフは呆れた。
またしても言い訳だ。
それも、今度は怖気づいた自分を正当化しようという、ひどくみみっちいたぐいの。
……いや、そうではない。
気持ちが萎えてしまっただけだ。
この女が、あんまりにも無防備に笑うものだから毒気を抜かれてしまった。
頭を振る。酔いは醒めていた。
そして、なんだか妙に疲れていた。
どうでもいいという投げやりな気分と、彼女の笑顔を見ながらまどろみたいという誘惑に、足許を取られてしまっていた。
それからは、思い出すだに恥ずかしい。
十代のガキかというような、実に青臭いやりかたで彼女との距離を縮めてゆくはめに陥る。
結局、愚かなのはクロフひとりだったわけだ。
◇ ◇
相変わらず、俺は愚かだ――クロフは自嘲する。
実に場違い。
いままさに仲間の傭兵が漫地漢の操る土の刃に切り裂かれているというのに、のん気に女のことなど考えているとは。
しかし、色恋に関わる発想というのは、それ自体死に近いと言えるのかもしれない――などとまたしてもくだらない思考にとらわれ、口許を歪める。
それだけ、ぞくぞくするような相手だということだ。
トブラックの雇った精鋭が、まるで問題にならない。
〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉の強さ。どうやら本物らしい。
ハッ――喉の奥から歓喜の塊が溢れた。
奴らなら、ほんとうに俺を殺せるかもしれない。
この俺を、運命とめあわせてくれるかもしれない。
期待に胸が躍った。
気がつけば哄笑しながら飛び出していた。
「バッカ野郎! 無茶がすぎんぜ!」
とたんに、全身に力がみなぎった。
まるで丹田のあたりで火が燃えさかっているかのようだ。
振り返ると、ルーティカがクロフに人差し指をつきつけていた。
彼女の能力――さっきは銃を暴発させていたが、なるほど、エネルギーの増幅がその正体か。
「支援、感謝する!」
足許からのびてくる土の刃を左右にステップしてかわしながら前進。
漫地漢がわずかに目を見開く。その瞳に宿るのは、歓喜の光だ。
お前もか。お前もこの戦いを福音ととらえるのか?
クロフの手の中で、槍が大きくしなった。
蛇のように鎌首をもたげたかと思うと、複雑な曲線を描いて漫地漢へとのびてゆく。
漫地漢は、土を壁にしてガードした。同時に、壁の下部から錐状の枝が何本も生え、おそろしい勢いで発射される。
回避するとき、嘘のように身体が軽かった。錐の軌道もはっきりと見えた。
いい能力だ。この先もずっと味方でいてくれるというなら、さぞ頼もしいことだろう。
風が追ってくる――順風陣!。
振り向きざまの一閃。だが、かわされる。さすがに高速での戦闘には一日の長がある。
打ち込まれるこぶし。手甲でさばく。反撃をと思ったときには、すでにそこに順風陣はいない。
背後から土の刃。かわす――が、かわした刃の中から透明な女の腕がのびてきた。
水潜華! 順風陣が接近したのは彼女を運ぶためか。
ふれられれば内部から肉体を破壊される。まさしく死の抱擁。間一髪で逃れる。何度か槍を突き出したが、不十分な態勢だったため当たらない。
敵は警護チームを挟撃できる優位を敢えて捨て、クロフひとりを確実に仕留めにきている。
まったく、光栄という他ない。
思わずこぼれた笑みは、傍からはさぞかし獰猛と映るにちがいなかった。
だが、そこでまたしても違和感に襲われる。
本当にクロフを倒したいなら、まずはルーティカを攻撃して能力を中断させるべきではないか?
まさか、そのための手段がべつに……?
「備えろトノヤマ、ルーティカ!」
クロフが警告を発した次の瞬間、生き残っていた傭兵たちが床にへたり込んだ。
トノヤマとルーティカも、どこか気の抜けたような表情で片膝をついている。
漫地漢のあけた床の亀裂。
そこからゆっくりとせりあがるようにして、‟それ”は現れた。
一見して人とは思えぬ、異様な風体だった。
灰色のずだ袋――いや、ちがう。
ボロボロのローブを着こんだうえに、まじない紐を何重にも巻き、とどめとばかりにまがまがしい文字の書かれた呪符をべたべたと貼りつけている。
背丈は大したことはないが、背中と思しき部分がえらく盛りあがっており、身体を丸めた姿勢を取っているのだとすると、案外大柄なのかもしれない。
そして、なにより神経を逆なでするのは、‟それ”が動くたび、ズルズルザリザリという、なにかをひきずるような音がすることだった。
「こいつは……なんだ?」
己の口から呻くような声が漏れたことに、クロフ自身が驚いた。
自分でも動じないたちだと思っていたが、この相手は異様すぎた。
「あれが……〈四大精霊《エレメンタラーズ》〉最後の一人、滅火獣《めっかじゅう》……たしか名前は……ボドクとかいったはずデス……」
滅火獣が現れたとたん、場に異常が起きていた。
多くの者が戦意を失い、クロフにかけられていたルーティカの能力も消えた。
解除されたというより、中和されたというほうが近いか?
「そうか……なんてこった……畜生……ッ!」
ルーティカの声に力がない。
壁に手をついてなんとか立ちあがった彼女は、驚愕と恐怖がないまぜになった表情を浮かべ、口許をひきつらせた。
「奴の能力……オレとは正反対の力って……ことみたいだな……」
「エネルギーを増幅させるのではなく、減らすということか?」
「ああ……そんで、しまいにゃゼロになる……まさしく火を滅するんだ……しかも、オレよりはるかに強力で……こっちの士気とか戦闘意欲まで、根こそぎ奪ってくらしいぜ……」
青い肌がさらに青ざめるという世にも珍しい光景を、クロフは目の当たりにした。