『バラックシップ流離譚』 羽根なしの竜娘・3

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 竜人族《フォニーク》なら自分のところで引き取るのがスジだろう、というセレスタの主張はあっさりと受け容れられた。
 強者の発言力はさすがというべきか、それとも長い物には巻かれる主義がここの住人に浸透しているのか。
 とにかく、そういったわけで、リーゼルは彼についていくことになった。
 畑にいた連中からシャツと靴を借り、土を踏み固めただけの道を歩いてゆく。
 セレスタによると、さっきの畑もいま歩いている街中も、〈幽霊船〉の甲板上に作られた『居住区』という部分とのことだった。
 しかし、にわかには信じがたい。ここは本当に船の中なのか?
 上を向いても岩か金属でできた天井に妨げられて空は見えず、むしろ地下都市のような趣きがあった。
 狭い通りを大勢の人々が行き交い、露店や地面に布を敷いて品物を並べただけの「店」から盛んに呼び込みの声があがっている。
 照明は主に、ライト・クリスタルなる発光する石を管理する施設から、鏡を用いて各所に届けているらしい。
 おかげで歩き回るのに不自由はしないが、場所によって光量に差があったり、陰影がかなり濃くなっているところはある。

「あの……セレスタ、さん」
「あン?」

 先を歩く彼は、首だけを後ろに向けてリーゼルを睨みつけた。

「す……すすすすすすいません……っ!」
「ンだよ、ビビってんじゃねーよ! べつに怒ったわけじゃねーし」
「そ……そうなんですか?」
「そうだよ! 傷つくじゃあねーか!」
「だって、怖い顔するから……」
「元々そーゆー顔なんだよ! 気にすんな!」
「こ、声も大きいし……喋り方も……」
「だから元々なんだって! 悪かったな!」

 鬼のような形相で怒鳴られたが、その言葉からは必死さが滲み出ていた。
 嘘をついているようではない。本当に、怖い人ではないのだろうか?

「で、なんだよ?」
「えっと……さっきは、ありがとうございました」

 リーゼルがそう言うと、セレスタは「はあ?」と首をかしげた。

「なんの話だ?」
「助けてくれたことです。あのまま、あそこにいる誰かに連れていかれたら、わたし、どうなっていたか……」
「べつに……おなじ竜人族《フォニーク》のよしみってヤツだよ」

 おなじ竜人族《フォニーク》――その言葉に、胸がじわりと熱くなる。
 リーゼルが自分の名前だと認識したときとおなじような感覚。
 右も左もわからない状況で、自分以外の誰かから何者であるか認められたことが、無性に嬉しかったのだ。
 セレスタが急に歩調を速めたので、リーゼルは慌てて後を追った。

「ま、待ってください……!」
「うるせー」

 ぶっきらぼうな口調だったが、突き放されたようには感じなかった。

「まだわかんねーだろ」
「は?」
「オレについてきて、本当によかったかどうかだよ。だから、礼なんて言う必要ねーんだよ」
「でも……」

 こういうことは、きっちりしておかないと気がすまない、というか気持ち悪い。

「うるせー! 必要ねーったらねーんだ!」
「いいじゃないですか。わたしが言いたいんですから」
「お前、意外と強情なんだな」

 セレスタはリーゼルの肩をつかむと、乱暴に壁に押しつけた。

「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ――」

 殴られる――と思ったが、彼は愉しげに口許を歪めていた。

「改めなくてもいいぜ。お前は竜人族《フォニーク》なんだ。他の弱っちい種族みてーに振舞う必要なんざねえ」
「そ……そうですか」
「ただし、だ」
「はい」
「オレのいうことは聞けよ?」

 言ってから、セレスタはニヤリと笑った。

「お前は今日から、オレの舎弟になるんだからな」
「舎弟ってなんですかそれ。拒否権はないんですか?」
「嫌なら出てってもいいんだぜ? どうやって暮らしてくか知んねーけど」

 理不尽だとは思ったが、ここで意地を張っても野垂れ死ぬ未来しか浮かばない。

「うう……かわいがってくださいね?」

 渋々リーゼルはうなずいた。

「ところで、女の子相手に舎弟はないと思います」
「んじゃ舎妹? そんな言葉はねーぞ」
「賢妹、もしくはマイ・リトル・シスターとか」
「調子に乗んな。てめーなんざてめーで充分だ」
「格下げされた!? 名前すら呼ばれないとか!」
「名前で呼んでもらえるよう、せいぜい頑張るんだな」
「ふつーに妹分とかでいいじゃないですか!」


 ドラゴンの末裔たる竜人族《フォニーク》と人竜族《ツイニーク》に共通する特徴のひとつは、繁殖力が弱いことだ。
 個体の寿命が異常なほど長く、きわめて頑健かつ高い戦闘力を持つことと、おそらくは関係している。
 要するに、せっせと子作りに励まなくても、充分に種を繁栄させられるということらしい。
 セレスタは竜人族《フォニーク》もっとも若い世代のひとりであり、いっしょに住んでいる仲間の中でもいちばん年下だった。
 彼らは同世代の数人と共同生活を営むことが多い。
 やんちゃな末っ子ポジションなのかと思いきや、血の繋がりがない分、上下関係には厳しいのか、あまりわがままが許される雰囲気ではなかった。
 それで、自分の命令に従う下の世代の登場を待ち望んでいたらしい。
 実際に生活を始めてみると、セレスタは思ったより悪くない兄貴分だった。
 喧嘩っ早いし、、文句は多いし、なにかあるとすぐに尻尾で頭をはたいてくるが、総合的に判断して面倒見はよいほうだった。
 わからないことも、彼の知識の範囲内でありさえすれば、すぐに教えてくれる。

「見ろよ」

 はじめて〈虚無の海〉を見たのも、セレスタにくっついて甲板に出たときだった。

「気ィつけろよ。落ちたら骨も残さず分解されちまうからな」
「はえー……」

 船縁から下を覗くと、鈍色の液体を巨大な金属の塊が押し分けて進んでいるのがわかった。

「本当に船だったんですね」
「なんだよ、疑ってたのか?」
「そりゃそうでしょ」

 なにしろ〈幽霊船〉の居住区は広い。とてつもなく広い。
 端から端までいくのにも丸一日かかるうえ、そんなものが何十層と積み重なっている。住んでいる人の数だけでも、どれほどになるか想像もつかない。
 これらの人々は、〈幽霊船〉が辿り着いた先々の世界から乗り込んできたのだという。
 様々な世界の、様々な種族。
 獣と人の混じったような姿のもの。外骨格を持つもの。無数の手足や触手を持つもの。機械にしか見えないもの――
 異形という言葉が虚しくなるほど、多様な人々がここでは暮らしている。
 彼らは力を合わせて、〈幽霊船〉の甲板に自分たちの住む巨大な「都市」を作り上げた。
 はじめは、そこら辺にある材料を使って、ほったて小屋のようなものを建てていたが、空きスペースがなくなると、縦に住居を積み上げていった。
 もちろん、最初からそのことを想定して家を建てていたわけではないので、耐久力にはかなり問題があり、初期に建てられた住居はほとんど潰れてしまったらしい。
 古い住居の残骸の上にまた家が建てられ、それも潰れると、またさらに上に新しい家が建てられる――ちょうど、サンゴがサンゴ礁を形成していくように増築と改築を繰り返し、居住区は成長していった。
 潰れた区画も無駄にはされない。圧縮され、充分な強度が確認されると、トンネルを掘って再び居住スペースとして利用する。
 レアな鋼材が使われていた区画などは、一種の鉱山となることもある。
 また、どういう理屈か、トンネルを掘り進めていると以前はなかった空間に突然繋がったりすることもあるそうだ。
 どんなことでも起こり得る、どんな不思議も不思議ではない――トブラックとかいう会社組織の男がそんなことを言っていたが、さもありなんと思わせる雰囲気がここにはある。

「ひとりで見にこようとか思うなよ」

 鈍色の波濤を眺めながめていると、セレスタが言った。

「骨も残らねーってことは、死体とかヤバいモンの処理にこれ以上ないってくらい便利だからな。そういうことをしに来てる連中に見つかったら、お前も放り込まれちまうぞ」
「うええ……」

〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉のような強勢力を相手に、あえて虎の尾を踏もうという――竜だけど――命知らずはめったにいない。
 しかし、リーゼルはまだ顔も名前もほとんど知られていないから、はずみで「そういう」ことになってしまう危険性は高い。
 その後、セレスタや組織が報復してくれたところで、死んだ者にとってはどうでもいいことだ。
 ぬるり、とした風がリーゼルの頬を撫でる。
 屋外だというのに、心地よさは皆無だった。空を見あげても、海よりは多少明るい程度の、やはり鈍色をした雲と、時折走る稲光が見えるだけで、陰々滅々とした気分になるばかりだ。
〈虚無の海〉のある次元の狭間は、どこもこんな感じだという。

「今日はマシなほうだぜ。たまに次元嵐に出くわすこともあるけど、そんときゃ居住区もしっちゃかめっちゃかになる」
「えー……これよりまだ下があるんですか」

 聞けば聞くほど気分が滅入ってくる。

「これを訊いたら失礼かもですけど、こんなところで暮らしてて愉しいんですか?」
「ほんとに失礼だな、オイ」

 セレスタは大口をあけて笑った。

「ま、そのうちわかるさ」


 居住区にもどると、セレスタは腹は減っていないかとリーゼルに訊いた。
 リーゼルがうなずくと、広場の屋台でヤキトリを奢ってくれた。
 材料はグリムス鳥という、〈幽霊船〉ではポピュラーな食用動物だった。

「ボールみたいにまんまるでさ、いろんな色のヤツがいるんだ。けっこうかわいいぞ」
「へー。どんなふうに鳴くんですか?」
「えっと、くきーとか、ふぉろろろって感じかな」
「真似してもらってもいいですか?」
「えっ」

 セレスタは不味いモノでも飲み込んだような、なんとも言えない表情になった。
 あれ? これ、もうちょっと押したらやってくれる的な?

「み、見たいのか?」
「えっと、できたらでいいんで。できたらで」

 リーゼルのこの態度を、セレスタは「下手だからやりたくないと思われている」と解釈したらしい。
 なめんじゃねーぞ! と彼はヤケクソ気味に叫び、天に向かって声をはりあげた。

「ク……クキーッ! クキィィィィーッ! フォロロロロロロロ……フォロロローッ!」

 ご丁寧に動きまでつけて、まさかの本気モードだった。
 通行人がぎょっとして足を止め、獣人の子供たちが集まってきて「あ、セレスタ兄ちゃんがまたなんかやってる」などと囃したてる。
 リーゼルは他人のフリをしたかったが、無理そうなので苦笑いを浮かべて突っ立っているしかなかった。

「ど、どうだ……満足したか?」

 セレスタが、はぁはぁと息を切らしながら訊ねた。
 よほど恥ずかしかったのか、とがった耳の先まで赤くなっていたが、どこかすっきりとした表情だった。

「は、はい。ありがとうございます」

 うかつなことを言うものではないな、とリーゼルは思った。
 たぶんこの人、なにかするときに立ち止まって考えるタイプではない。
 若手グループのリーダーであるグラナートが、リーゼルを連れまわすことをセレスタに許しているのは、もしものときの歯止めになることを期待してのことなのかもしれない。

「この近くにも飼育場があるから、今度見にいくか」

 べつにそこまで興味はないのだが。
 あと、簡単に本物が見られるのなら、こんなことしなくてもいいのにとは、さすがに言えなかった。


 甘辛く煮たタレがセレスタの好みらしく、手渡されたヤキトリからは濃厚な香りが漂っていた。
 くくぅ、と腹が鳴り、口中には唾液があふれてくる。
 落ち着いて食事ができる場所は……とあたりを見まわす。
 広場の隅にベンチがわりに丸太が置いてあったので、そこに腰をかけた。

「あれ?」

 妙にやわらかい感触。

「ひっ」

 隣にいきなり人が現れたので、リーゼルはヤキトリを落っことしそうになった。
 人――といっても、アゴには吸盤のある触手が何本も生えており、肌はやわらかそうにも硬そう見える妙な質感がある。

「なんだ、タコじいじゃあねーか」
「……おー……おぉー……? なんじゃあ……セレスタ……かぁ……」

 やたらとのんびりした口調で、その男(?)は言った。

「し、知り合いなんですか?」
「頭足人の一種、蛸人《プルップン》のダコタだ。みんなタコじいって呼んでる」

 リーゼルを見てタコじいは、ぐんにょりと頭のような部分を折り曲げた。挨拶のつもりらしい。

「ど、ども」
「……なんじゃあ……えろう、かわえらしい……竜人族《フォニーク》……じゃのぉ……セレスタも……色気づいて……きおったぁ……かぁ……?」
「そんなんじゃあねーよ。誰がこんなケツに殻くっつけたガキに」

 セレスタは本気で嫌そうな顔をする。失礼な。

「にしても、びっくりしました。どこから出てきたんですか?」
「蛸人《プルップン》は擬態が得意で、いろんなものに化けられるんだ」
「えっ、じゃあ他にも……?」

 リーゼルは辺りを見まわした。

「さあ、どうだろ? 割と縄張り意識の強い種族だからな。どうなんだ? タコじい」
「……さあー……どうじゃろぉ……なぁー……」
「オメーもわかんねーのかよ」

 タコじいは、いつもこの辺りにあるなにかに擬態して人を観察しているという。あんまりいい趣味とはいえない。

「……べつに……ただ……見てる……だけ……」
「悪いことしてるワケじゃねーし、いいんじゃあねーの?」

 そうだろうか。
 リーゼルとしては、ちょっと気持ち悪いのだが。
 それとも、タコじいの見た目がアレだから、そんなふうに感じるのか?
 言いたいことはいろいろあったが、とりあえずヤキトリを食べてみた。
 ぱくりとひと口。肉はとてもやわらかく、歯で噛み切ると肉汁があふれだして口いっぱいに広がる。

「何コレ!? おいしい!」

 肉汁は口中で甘辛のタレと混ざり合い、庶民向けの食べ物とは思えない芳醇な味を醸し出す。
 なんということだ。こんな旨いものがこの世にあったなんて。

「だろ? ここの屋台はオススメなんだ」
「わたし、生まれてきてよかったです」

 あまりのことに涙が出てきた。幸せを噛みしめるとはこういうことだろうか。
 このまま食べ終わってしまうのはもったいないと思ったが、刺激された胃袋は、激しく次のひと口を要求した。
 その誘惑には逆らいがたく、リーゼルはむさぼるように残りの肉を頬張った。

「あんまがっつくなよ。まあ、オレ的には嬉しいけどな」

 にししっ、とセレスタは笑った。

「竜人族《フォニーク》って、みんなこうなんですか?」
「ん? なにがだ?」
「上の人が、下の人の世話をするのが当たり前なのかな――って」
「そんなの、どこもだいたいおなじだろ」
「ええっと……そういうことじゃなくって……」

 様々な種族のごった煮であるこの場所は、身内以外は皆、潜在的な敵と見なし得る。
 だから、同族意識や組織の結束力が重んじられ、結果、より身内に優しくなるということはありそうな話だ。
 しかし、それならばなおのこと、自分が彼らに受け容れられたことが信じられなくなってくる。

 自分は本当に竜人族《フォニーク》なのだろうか?

 なぜ、土の中に埋まっていたのか。なぜ、いきなり成長した姿で卵から出てきたのか。

(あれ以来、誰からもそのへんツッコまれたことがないんですけど……)

 セレスタはともかく、聡明そうなグラナートやアウインでさえなにも言わない。
 あまりにもみんな気にしなさすぎなので、うっかり忘れそうになるくらいだ。

 なにより、リーゼルには翼がないのに。
 セレスタのような美しい翼が。
 しなやかで力強い曲線。
 風を孕んでふくらむ皮膜。

 あのとき――セレスタが現れた瞬間、目が離せなかったのは、彼の姿そのものではなく、その翼のせいだった。

(どうしてあのとき、あなたはわたしを連れていこうと思ったの?)

 まるで嵐のように、セレスタはリーゼルを攫っていった。
 なぜ、そんなことができたのか。
 危険だとは思わなかったのか。
 訊ねたら、きっと彼はこう答えるだろう。

 ――はあ? てめーオレを舐めてんのか? てめーごときが、オレにかすり傷ひとつでもつけられるわけねーだろ。自惚れんなボケ。

 はい。脳内再生余裕でした。
 まったく。どうしてこの人は。
 こんなにきれいで。リーゼルがいくら望んでも決して手に入れられないくらいきれいで。
 なのに、そんなことはまったく意に介さず生きている。
 どうして、そんなふうに生きられるのだろう。
 それとも、そんなふうに生きているから、きれいなのだろうか。

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