細部に宿る神を聴け 劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想

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 2018年のテレビシリーズ開始直後から、その圧倒的な作画クオリティが話題になり(「作画カロリー」という言葉を私は本作で知りました)、シリーズ終盤にさしかかる辺りには「泣けるアニメ」としての地位を確固たるものにした京都アニメーション(以下、京アニ)作品。
 原作はKAエスマ文庫より刊行された暁佳奈の同名小説。
 本作は二本目の劇場版にしてシリーズの完結編となります。
 京アニといえば、昨年の事件の記憶も生々しく、そんな中これほどの作品を送り出してくれたこと、犠牲となった方々へのご冥福を祈るとともに、まずは感謝申し上げます。


 予告


 舞台は現実とすこし異なる異世界。
 かつて「兵器」として戦い、両腕が義手となった少女ヴァイオレットは、自動手記人形《ドール》と呼ばれる代筆の仕事を通して、人の心を学んでいく。

 本作は、神話の時代からあまたある「死と再生」の物語であり、「人未満のものが人間性を獲得していく」物語であり、かつ普遍的な「愛」の物語でもあります。
 作中で描かれる感動は我々のよく知るものであり、そういう意味では新鮮な驚きや、価値観を揺さぶられるような感覚からは遠いかもしれない。

 しかし、普遍的であるが故に強く、多くの人に「刺さる」作品であることも確かであろうとも思います。
 また、本作の重要なテーマとして「想いを伝える」というものがありますが、それは人間の根源的な欲求でもあります。
 そして、強い想いは、ときに時間的・物理的距離を超え得るのだということが、繰り返し繰り返し語られます。

 例えば、劇中に何度かある、手紙が人の手を離れ、いずこかへ飛んでいくシーン。
 あるいは、ある人物が想いを伝えるべき相手のもとへ駆けていくシーン。
 あるいは、新たな時代の到来を告げる「電話」によって会話するシーン等です。

 作風はまったく違いますが、Netflixで配信されている『デビルマン cry baby』もやはり「伝える」ことをテーマとしており、最終回の「バトンを渡す」シーンは思い出すだけで泣けてきます。
 ただし、こちらは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』以上に覚悟を要する作品ですのでご注意を。


 ストーリーもさることながら、おそろしく緻密な作画について語られることも多い本作ですが、いってみればそれは、最初に目につく樹の幹のようなもの。もちろん作品の感動を押し上げる大事な要素ではあるのですが、ここではあえて割愛します。
 では何について語るのかと問われれば、それは「音」です。
 私は「LIVE ZOUND」という音響装置のある劇場で本作を鑑賞したのですが、音響へのこだわりが凄すぎて何度も唖然とさせられました。
 いくつか例を挙げると、床を歩く足音に木製の床板が軋む音が重ねられているとか、鞄に荷物を詰めるシーンでは画面に映っていないのに何をどうしているのか全部わかるようになっているとか、死期の迫った病人の肌を撫でたときの「カサ……」という乾いた音とか、もう枚挙にいとまがないので。
 劇場版一作目のダンスシーン(正確にはダンスの練習シーン。画面には四本の脚しか映っていないが、滑るような重心移動があまりにも見事)も「アニメーションの神髄を見た!」という想いがして大好きなんですが、なんなんですかね、この異常ともいえる作り込みは……


 また、本作は明確に「死」を意識した作品であるとSNS上で指摘している方がおられたのですが、それはおそらく件の事件があったためであろうと。
 そういえば前作を観たとき、私はとても強い「生命力」を感じたんですよね。
 先のダンスシーンもそうなのですが(アニメの原義は「命を吹き込む」)、ある少女が笑うシーンで、すべての歯がきっちり描かれているのを見て驚いたんです。これは、このアニメでは極めて珍しい。
 その少女は貧しく過酷な状況にいて、それでも笑顔を見せる。生えそろった歯は、設定からすると不釣り合いなほど健康的なのですが、つまりそれは彼女の持つ命の輝きを表しているのだろうと考えた覚えがあります。
 奇しくも二本の劇場版は、あの事件を挟んで制作されており、それぞれに「生」と「死」を強く意識した内容になっている点は、記憶に留めておいていいと思うのです。


                             ★★★★☆


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