『バラックシップ流離譚』 見習い魔女さんはトカゲ男に恋をする・3

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ウィスキア緑洞の冒険


 大丈夫――そういわれたところで、オレはにわかに信じる気にはなれなかった。
 人族の十四歳といえば、まだ半分子供だと聞いている。しかも蜥蜴人《サウラ》とはちがい、メスの筋力はオスよりもだいぶ劣るものらしい。
 もちろん彼女は魔女だから、前に出て敵と直接殴り合ったりはしない。後ろにさがって、魔法でオレを援護するのが役目ではある。
 しかし、見習いというからには、過剰な期待は禁物だろう。
 高度な魔法は扱えず、経験不足で判断も甘いから、使いどころを誤って要らぬ危険を招くこともあり得る。
 幸い、ここに棲む生物はさして強くないか、強くても大人しいものがほとんどだ。ここはオレが踏ん張って、彼女を無事地上に送り届けるしかない。

「わー、さすがザーフィ君。頼もしいです」

 子犬ほどもあるジバチの群れの、最後の一匹をハンマーで叩き潰すと、フィリアはぱちぱちと手を叩いた。
 オレは肩で息をしていた。さすがに数が多いとしんどい。
 一方で、フィリアは元気いっぱいだった。彼女が魔法を使う隙も与えないくらい、近づく敵を片っ端から倒しているのだから当然だ。

「ジバチの毒も、強壮剤になるから需要はあるんですよね。まあ、依頼があったときでいいですけど」
「お前、怖くはないのカ?」
「えー? だってもう死んじゃってるんですよ。安全じゃあないですか」

 ジバチの死骸が散乱するこの状況にも、フィリアは平然としていた。
 見慣れているのだろう。こういうところは、さすが魔女だと感心する。
 そういえば、差し入れにネズミを持ってきたことがあった。しかも、オレが食べるところを嬉しそうに眺めていたな……
 ウィスキア緑洞は、一風変わった成立過程を持つダンジョンだ。
 鵬大樹《ほうたいじゅ》という、とてつもなく大きな樹が地殻変動で土に埋まり、幹の部分にできた‟うろ”が、そのままダンジョンになった。
 そんな状態になっても鵬大樹は死んだわけではなく、最下層まで降りれば、新たに芽吹いた若木が順調に育っているようすを目にすることができる。
 若木といっても居住区にあるどの建物よりもすでに大きく、その威容はさながら天を支える柱といったところだ。

「せっかくだから、見ていきましょうか」

 並んで歩きながら、フィリアはいった。

「次の翠玉の泉で水を汲んだら、材料はすべてそろいます。そこからなら、最下層は目と鼻の先ですからね」
「……結構、降りて来たナ」
「はい! ザーフィ君が頑張ってくれたおかげです!」

 戦闘の連続でだいぶ疲れてはいたが、あとすこしなら寄り道しても構わないだろう。
 そう思ったとき、前方から男の二人組が近づいてきた。
 一見して死骸漁り《スカベンジャー》と判る、薄汚れた装備と鋭い目つき。オレはフィリアの盾となれるよう、彼女の前に移動した。

「お? どっかで見た顔だと思ったら、ルビア婆さんとこの嬢ちゃんじゃあねえか」
「こんなところまでお使いかい? えらいねぇ~」
「どうも。お久しぶりです」

 フィリアはオレの背中からひょこっと顔を出して挨拶した。

「知り合いカ?」
「ええ。酒場でたまに顔を合わせる死骸漁り《スカベンジャー》さんです」

 右の男が〈釘の手〉のゾラ。長身で撫で肩。身につけているのは革鎧だが、右の籠手《ガントレット》だけは鋼鉄製で、そこに色々仕込んでいそうな雰囲気。
 左の男は〈灰熊〉のドーア。髭面で固太り。身長を超える両手斧を背負い、腰には鉤付きの鉄鎖を巻きつけている。

「今日は、護衛はひとりなのかい?」
「たまには俺たちも雇ってくれよ」
「えー? でもぉ、おふたりって腕は立つみたいですけどぉ、素行があんまりよくないらしいじゃあないですか。かえって私の身が危険、みたいな?」
「はっはっは。可愛い顔して辛辣だなあ」

 一見和やかだが、フィリアはさっきからオレの背中に手をあてたまま、前に出てこようとしない。
 心なしか――否、明らかにこの二人を警戒している。
 フィリアに向ける彼らの視線にも、粘つくようなものを感じた。

「そんなトカゲ野郎なんかより、よっぽど頼りになるぜぇ?」
「結構でーす。間に合ってまーす」

 会話をしながら、二人はじりじりとこちらとの距離を詰めてきた。

「止まレ。其れ以上近づくト……」

 オレは、腰のベルトに提げているハンマーに手を添えた。

「近づくと? どうなるってんだ、このトカゲ野郎」
「聞いてるぜ。フィリア嬢ちゃんに最近男ができたってな」

 死骸漁り《スカベンジャー》たちは野卑な笑い声をあげた。

「同族のメスと交尾できる見込みがないからっつって、人族に手を出すとか、とんだ変態だな」
「嬢ちゃんもよくOKしたもんだぜ。そんなにコイツのアレは凄いのか?」

 フィリアの息を飲む気配が伝わってきた。
 コイツら……少々お喋りが過ぎる。

「おイ。オレだけならともかク、彼女を悪く云うのは許さン」
「恰好つけんなよ。トカゲの分際で!」

 鼻で笑いながら、ドーアがオレを突き飛ばそうとする。
 オレがその腕をつかんで捻りあげると、彼は情けない悲鳴をあげた。

「野郎ッ!」

 ゾラが籠手を嵌めたほうの拳を此方《こちら》に向けた。オレが左手でそれを払うと、籠手からなにかが飛び出して後ろの壁に穴をあけた。おそらくは釘状のものを、ばね仕掛けで発射する細工だろう。

「フィリア、退がレ!」

 二人の動きを封じつつ振り返ると、フィリアは両手を頬に当て、目を輝かせていた。

「感激! ザーフィ君が、はじめて名前を呼んでくれました!」

 ……はあ?
 そう……だったか?
 たしかに、思い返してみれば、いつも彼女のことは「お前」と呼んでいた気もする。
 だが、いまいうことか?
 一瞬の思考の空白。
 動きの止まったオレのあごに、ドーアの拳がヒットした。
 クラクラとなり、よろけたところへ、ゾラが蹴りを放つ。爪先がみぞおちに突き刺さり、思わず尻餅をついた。

「へへっ。あんたほどの器量だ。高値をつける変態じじいはごまんといるだろうよ」

 舌なめずりしながら、ドーアがフィリアに手をのばす。
 まずい。
 身体が動かない。
 このままでは、彼女が。
 氷の手で胃の腑を掴まれるような心地。これは、恐怖か?
 オレは、彼女が傷つくのを恐れている――?

「ザーフィ君!」

 フィリアが叫んだ。
 ここ一か月ほど、ずっと顔をつきあわせていたおかげで、人族の表情もかなり判るようになった。
 彼女は顔を歪ませていた。
 てっきり怯えているものと思いきや、そうではなかった。
 彼女が浮かべていたのは、怒りの表情だった。

「よくもザーフィ君を!!」

 今日、はじめて――フィリアは自分の杖を振りあげた。
 もちろん、歩行の補助ではなく、魔女が魔法を行使するために用いる道具としての、杖だ。

「首領《ドン・》、暴流漢《ボルカン》!!」

 杖の先に嵌められた宝石を中心にして、渦状に空気が歪んだ。
 圧縮された空気は、たちまち灼熱の炎へと変じ、先ほどの渦とは逆向きに回転しながら迸った。
 火山の爆発と見紛う炎の奔流はたちまちゾラとドーアを呑み込み、ダンジョンの天井を突き破って上の階層へと雪崩れ込む。
 凄まじい熱風が顔に吹きつけ、オレはまともに目もあけられない有り様だった。
 そのうちに静寂が訪れた。冷たい空気が吹き込み、焼け焦げた木のクズがパラパラと落ちる。
 茫然自失の体から脱したオレは、ゆっくりとフィリアに目を向けた。

「おイ……死んだんじゃあないカ……?」
「さあ、どうでしょう? 即死はしてないはずですから、上層で回復魔法を使える人に見つけてもらえば助かるとは思いますけど」
「見習いト、聞いていたガ……」
「いまの魔法ですか? 威力はまあ、凄いほうだと思いますが、よく暴走させちゃうんですよね。先生からは、攻撃魔法は使うなといわれてるんですけど、さっきは我を忘れて……」

 てへ、とフィリアは舌を出した。照れている場合か。
 たまたま低い姿勢になっていたからよかったが、でなければオレまで巻き込まれていたかも知れない。
 差しのばされたフィリアの手を取り、立ちあがる。

「……済まんナ。お前を護る筈ガ、此のざまダ。失望したのではないカ?」
「そんなことはないです。ザーフィ君はずっと私を守って疲れていましたし、さっきやられちゃったのだって、私に気を取られたからでしょう?」

 自覚はあったのか。
 フィリアは初歩的な回復魔法をオレにかけ、治りきらなかった傷には湿布を貼った。
 もっと上位の回復魔法も修得しているが、やはり暴走が怖いのだという。

「残念ですけど、最下層にいくのはまた今度にしましょう。水を汲んだらさっさともどって、ゆっくり休みましょう」
「うム」
「ごめんなさい。私のせいで怪我を……」
「気にするナ」

 ぽんと頭に手をおくと、フィリアは笑っているのか泣きそうになっているのか、よく判らない顔になった。

「其う云えバ、此れは何の材料なのダ?」
「あれ? いってませんでしたっけ」

 聞いていないと答えると、フィリアはうっかりしてましたと謝罪した

「なんか、説明したつもりになってました。割とよくある注文だからですかね」

 言い訳がましく述べてから、彼女はこう続けた。


 惚れ薬――ですよ。


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