映画『運び屋』感想

 小説ばかりではなんなので、というわけではないが、劇場で観た映画の感想などもこちらに置いておこうと思う。
 これまでも twitter に時々挙げてはいたものの、あちらは文字数制限もあるし、備忘録も兼ねて今後はなるだけこちらに書くことにする。
 鑑賞直後に思ったことをつらつら書いていくので、とりとめのない内容になることが予想される。
 間違いや抜け落ちる部分も多々あるかと思うので、気になったらその都度指摘して頂けると嬉しい。

 今年21本目。鑑賞した作品は、クリント・イーストウッド監督・主演『運び屋』。
 実在した九〇歳の麻薬の運び屋から着想を得たとのことだが、一言で言えば同監督・主演の過去作『グラントリノ』のようなお話。
 つまりはマチズモのイコンであった自分にケジメをつけるような作品である。

 主人公のアール(クリント・イーストウッド)は時代に取り残された男である。
 家族を顧みず、趣味と実益を兼ねたユリの栽培で財を成したが、時代の変化についてゆけず落ちぶれる。
 妻にも一人娘にも愛想をつかされ、これからどうしようかとなったところで、ひとつの依頼を持ちかけられる。
 それは、トラックに積んだ麻薬を、アメリカ国内からメキシコへと運び出す仕事だった。

 映画『運び屋』予告編

 昔はほとんど映画を観ない人間だったので、クリント・イーストウッド作品も最近のものしか知らない。『ダーティー・ハリー』くらいは観とかなきゃな、とは思いつつも、なかなか手を出せずにいる。
 それでもまあ、これがイーストウッドの自伝的な作品なのだろうということくらいはわかる。熱心なファンであれば、彼の実人生に重なる部分も多いと感じるだろう。
 しかし、それがなくても十分楽しめる作品だった。

 特に面白く感じたのは、アールと他の登場人物たちとの距離感。
 なんか不思議な「間」があるというか。
 麻薬組織の下っ端とは妙に仲良くなってるし、最初は指示に従わないアールに対し「殺す殺す」喚いていたボスの右腕フリオも、いつの間にか敬意のようなものを抱くようになる。
 特にパーティー後のフリオの顔! ほとんど別人だから。
 ブラッドリー・クーパー演じる捜査官は、真相がわかった後もなお、アールに対する態度を変えない。
 絶対になびかないだろうと思えたアイツらまでもが最後にはああした行動を取ったのはちょっとした衝撃で、とまあ、そんなのがいちいち可笑しいのである。

 これは、妻をして「外面だけはいい」と言わしめる社交性以上に、やはり、アールがどんな相手に対しても恐怖を抱かないことが大きいだろう。
 従軍経験に加え、家族に見捨てられ、年齢的にも先がないせいで、怖がる必要がない。
 無力な老人にすぎないアールに銃をつきつけ恫喝する麻薬カルテルの構成員を動物に例えるなら、被捕食者と捕食者の関係であろうか。
 思うに、前者に対する後者の攻撃性は、前者の恐怖が感染している部分が大いにある。追いつめられた者はなにをするかわからないからだ。
 しかし恐怖を感じないアールは、どんな相手にも言いたいことを言うし、肩肘を張らず、たまに人生訓を垂れたりする。だから彼のそばにいる人々は、知らず知らずのうちに警戒心を解かれていく。
 彼は花を愛し、旅を愛する男である。犯罪の片棒を担いでいても、車の運転自体が愉しいので、彼は常に陽気だ。
 気づけば観客も、カーステレオから流れる曲を、アールといっしょに口ずさんでいる。

                             ★★★★☆

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