『バラックシップ流離譚』 キミの血が美味しいから・3

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 皆、一様に渋い顔をしていた。
 最年長のエルガードなどは、禿頭をゆであがったように赤く染め、こめかみをひくつかせていた。

「正気ですか?」

 マーカスが口をひらく。まったくいつもの調子なのだが、あまり辛辣とも思えないのは、ウィルも含めたこの場にいる全員の総意だったからだ。

「もちろん正気だし、掛け値なしに本気だよ。いったい、なにが問題なんだい? 外出日の前倒しはたしかにはじめてだが、だからこうして相談しているわけだし、規定通り、他の仕事は前もってすべて片づけると約束する」
「〈億万の書《イル・ビリオーネ》〉もあなた自身も、この世にふたつとない貴重な存在だという認識はおありですか? 外ではなにが起こるかわからないのですよ」
「それは船内でもおなじことだよ。むしろ、腕利きの探索組と同行する分、安全とさえいえる」
「そんなにいきたいですか」
「いきたい! こればかりは譲れない!」

 ニーニヤの要求は、来週と再来週の外出日を前倒しし、その二日間を使って船外を見てまわることだった。
 ウィルの予想通り、司書やエルガードたちからの猛反対にあった。もともと、いつもの外出だっていい顔はされていなかったのだ。
 反発を抑え込むため、ニーニヤはあくまで正規の手続きを踏み、規定に則ったうえでの説得を試みた。
 外出日を前倒しにしても、一日でいってもどってこれない場所にでかけるといった事態を想定して、あらかじめ条件が定められていたもので、それ自体突飛な発想というわけではない。
 やはり、ネックとなるのは彼女の身の安全なのだ。
 いくらニーニヤが大丈夫だと主張しようが異世界は異世界。想定外の事態は起こるものだし、むしろ、そういうことしか起こらないと思ったほうがいい。なにかを想定することで思考を狭め、かえって危険を呼び込む可能性すらある。
 しかし実のところ、幾分かはニーニヤの尊大な態度が原因な気もした。

「そもそも〈図書館〉とはいかなる場所か。ここは〈幽霊船〉における知の殿堂ではないのか? キミらにはその担い手たる自覚はないのかい? 危険を恐れ、探究の心を忘れてしまえば、先に待つのは堕落と惨めな滅びしかない」

 こんなふうに、上から目線で正論をぶつけるばかりでは、彼らの態度は頑なになるばかりだった。
 ウィルはうんざりしてきた。いったい何時間やるつもりだ。いいかげん疲れてきたし、腹も立ってきた。要するに〈図書館〉の連中は、ウィルではニーニヤを守りきれないと思っているのだ。
 それはそれで正しい。
 しかし、そもそもウィルがニーニヤの外出に付き添わなければならないのは、エルガードが〈図書館〉から出られないせいである。
 より正確には、〈図書館〉の外では、彼らは力を発揮できないからだ。
 エルガードの大半は、戦闘訓練を受けておらず、特殊能力も持っていない、ふつうの人間にすぎない。
 にもかかわらず、彼らが外部の無法者たちでも敢えて手を出さないほど恐れられているのは、その装備に理由がある。
 エルガードの使う武器や甲冑には、古代魔道帝国の流れを汲む特殊な術式が施されており、〈図書館〉に張られた結界と連動して使用者の戦闘力を飛躍的に向上させる。
〈図書館〉から一歩出ればただの人とはいえ、敷地内での彼らは、端的にいって、おそろしく強い。
 人の築きあげた叡智を守り、伝えるという名目で発足した図書委員会――さらにその中から有志を募って結成されたのがエルガードである。
 完全に内向きの力。書物とその入れ物である〈図書館〉を守ることのみに特化した戦力といえる。
 結成までの経緯がそうしたものだったからなのか、それとも外の連中を知識の価値を解さない野蛮人と見なしているからなのか知らないが、彼らは外部の力を頼るということを極度に嫌う。
 ニーニヤがウィルを専属の護衛にしたいといいだしたとき、わざわざ正式な職員として雇ったのも、そのあたりの事情が絡んでいるらしい。
 そうした融通の利かなさは、ウィルからすれば滑稽に映るし、怠慢だとも思う。それで責任だけはウィルに押しつけてくるのだからたまらない。〈図書館〉を追い出されたらどこにも行き場がないウィルとしては、文句を言いつつも従うしかないのである。

「ところで、探索組の隊長は誰でしたかな?」

 司書のひとりが、そんなことを言った。

「たしか、レムト・リューヒだったはずですが」
「レムトというと、あの死骸漁り《スカベンジャー》か」

 金で危険を請け負う仕事というと、主に傭兵、荒事師、死骸漁り《スカベンジャー》の三つがよく挙げられる。
 傭兵はもっとも組織がしっかりしており、荒事師は一匹狼が多い等、それぞれに特色はあるが、中でも死骸漁り《スカベンジャー》は、食っていくためならどんな汚い仕事でも請け負うとして、忌み嫌われる存在だった。
 おそらくは、レムトとかいう男の名を出すことで話を収束させるつもりだったのだろう。埒があかず、イライラしていたのは向こうもおなじだ。
 しかし、「腕はいいらしいですね」とリミュアが発言したことで、空気に微妙な変化が現れた。

「そうだな。死骸漁り《スカベンジャー》といっても、彼はクルーをはじめ、各所から一目置かれている。新しい世界が見つかると、まず彼に声がかかるくらいには」

 ここぞとばかりに、ニーニヤが言葉をかぶせた。

「ううむ……心強いという意味では、そうなのでしょうが」
「では、こうしてはいかがか。そのレムトとやらが動向を許したなら、こちらも外出を許可するということで」

 現場を素人に荒らされる行為は、どこの業界でも嫌がられる。
 ましてや危険の多い異世界探索ともなればなおさらだ――〈図書館〉の連中は、そう踏んだに違いない。
 死骸漁り《スカベンジャー》と言えば、プライドとも倫理観とも無縁の無法者の代名詞で、それでいて各々が独自の流儀に従って動くというような扱いにくさがある。
 そこへ、傍目には酔狂としか思われないような理由で同行を申し入れられても、にべもなく断られるに決まっている――ウィルでさえ、ほとんどそう確信していた。


 ところが案に相違して、レムトの返答は「YES」だった。
 使いに出たリミュアから報告を受けたときの彼らの慌てふためきぶりは、ちょっとした見ものだった。
 最初にレムトの名前を出した司書は、散々上司からなじられたようだったが、すべては後の祭りだった。

「うっふっふ。うっふっふぅ」

 己の希望が通ったことで、ニーニヤはこれまで見たことがないほどの上機嫌になり、気味の悪い笑みをだだ漏れさせていた。

「いったいどんな魔法を使ったんだよ……」
「べつにボクは、なにもしちゃあいないよ。レムトという人が、皆の予想を超えていただけのことさ」

 ウィルはすこしげんなりした。これでまた面倒を背負い込むことになる。
 そんなはめに自分を陥れてくれたレムト・リューヒとは、いったいいかなる人物なのか。
 気にはなったが、あまり関わり合いになりたくない気もする。
 それからの数日間、二回分も外出日を前借りするとあって、それはもうニーニヤは懸命に働いた。
 昼も夜もひたすらに書物を書き写し、さすがにウィルも心配になるほどだった。

「ほら、もう明日なんだしさ。今夜はゆっくり休まないと」
「興奮して眠れない!」
「子供か」

 子供かもしれない。
 身体は疲れているのに頭は冴えている状態のようだ。本来、蝙蝠人《バッティスト》は夜行性ということもあり、大人しく寝つかせるのは困難だと判断し、いっしょに中庭をぐるぐる走った。
 疲れ果ててベッドに倒れ込んだときには、なんでこんなことしてるんだっけ、とわけがわからなくなっていた。

「楽しみだね、ウィル」

 闇の中で、ニーニヤが囁いた。まるで誰かをはばかるように声をひそめている。どうせ、聞いている者など他にはいないのに。

「船内ならあちこち歩きまわったけれど、船の外ははじめてだ。しかも、二日かけての遠出なんて」
「いいから、自分の部屋にもどれよ」
「もうすこしくらい、いいじゃあないか」

 ニーニヤは二度、寝返りをうった。二の腕に、少女の肩がふれた。吐息が近い。

「ねえ、ウィル」
「……なんだよ」
「ボクのこと……しっかり、守ってくれたまえよ?」
「そんなの……わかってるって」

 護衛という役目を厭うてはいても、役目自体を投げ出すとか、おざなりにするといった発想はなかった。
 役立たずだとは思われたくない。力不足を自覚したうえで、やるべきことはやりとげたい。
 しかし、それをニーニヤに伝えようとは思わなかった。そんなことをすれば、きっとますます調子に乗る。
 妙に静かなので隣を見ると、少女はすやすやと寝息をたてていた。
 かすかに上下する背中。窓から差し込む微弱な光が、なめらかな少女の首筋と、折れそうなほどに細い腕を、青白く照らしている。
 こんなところで寝るなという言葉を、ウィルは飲み下した。
 起こすのはかわいそう――いやいや。せっかく静かになったのだから、このままそっとしておこう。
 ウィルは毛布を身体に巻きつけ、床の上に転がった。
 静寂がゆっくりと身体に沁み込んできて、いつの間にか、意識は闇に溶けていた。

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