『バラックシップ流離譚』 羽根なしの竜娘・5

この話の1へ
前の話へ

 職人街でも評判の酒場〈酔鯨《すいげい》〉は、昼時ということもあってほぼ満席だった。
 店内は薄暗く、職人たちの汗と油の匂い、それにタバコの煙が充満している。
 それでもリーゼルには、この猥雑さが好ましく思えた。人々の活気という点では、これまで船内で見たどの場所よりも強く感じられたからだ。
 隅っこに残っていたテーブル席を確保すると、すぐに猫人《マオン》の女給がやってきた。

「注文は?」
「肉! とにかく肉だ。あと酒」
「雑な注文しないでくださいよ。恥ずかしい」

 同類と思われたら嫌だ。というか、竜人族《フォニーク》の一員と認められるのはまあ、嬉しいのだけれど、そういうのとはちがう。
 自分もいっしょくたにガサツな人間扱いされたくないとか、ましてやこんなのが……恋人だ、なんて思われたくないとか、そういうことだ。うん。

「今日はいい肉《の》が入ってるよ。鉄板焼きでいいかい?」
「ああ」
「酒はエールならすぐ出せるよ」
「じゃあ、とりあえずそれで」
「はいよ」

 猫人《マオン》の女給はニカッと八重歯を見せて笑うと、混雑する店内をするする歩いて厨房に注文を伝えにいった。

「なんのお肉なんですかね?」
「こういう店じゃ、そういうことは訊かねえほうがいいぜ」
「なんでです?」
「見ろよ」

 セレスタはあごをしゃくった。

「種族ごとに住み分けしてる区画とちがって、ここにゃあいろんな種族がいるだろ?」
「そういえば、そうですねえ」

 ちょっと見まわしただけでも、牛人《タウラ》や犬人《ドギーム》、熊人《ベアード》に蜥蜴人《サウラ》と、多種多様な種族がおなじ空間で飲み食いしている。
 人通りの多い道や広場ならともかく、ひとつの店でこれというのはけっこう珍しい。
 これも、職能という一点で人の集まっている場所だからなのだろう。

「もし、お前が牛人《タウラ》だったとして、隣の席のヤツが牛のステーキ食ってたらどう思うよ?」
「そりゃあ……いい気分ではないですね。人によっては烈火のごとく怒るかもしれません」
「だろ? 単純に自分に近い生き物の肉がどうこうってだけじゃなく、体質や宗教上の理由なんかで食えないモノもそれぞれにある。だから、揉め事を避けるためにも肉の種類は伏せておくほうがいいのさ」
「なるほど。でも、そうなると……」

 リーゼルは急に心配になってきた。

「大丈夫だって。店のほうで把握してっから、オレらにドラゴン・ステーキを食わせる、みてーなことはねえ」
「そ、そうですか。よかった」
「つか、そーゆーことにしとかねーと。気にしてたらキリがねえしな」
「えっ」

 真顔になったリーゼルに、セレスタは「冗談に決まってんだろ」と馬鹿にしたように返した。ええと、どこからどこまでが?

「お待たせしましたー!」

 しばらくすると、今度は朱色の冠羽が素敵な鳥人《バーディアン》の女給がひらりひらりとやってきて、料理と飲み物を置いていった。
 この店は女給がみんな愉しそうに働いていて、それがたぶん、いい雰囲気を作る要因のひとつになっている。

「んじゃ、乾杯。オメーは働いてねーけど」
「わたしの仕事は、セレスタさんの見張りですから」
「まったく、口の減らねえ女だな」

 木製のマグを打ち合わせてから、リーゼルとセレスタは同時に泡立つ液体を喉に流し込んだ。エールはほどよく冷えており、シュワシュワと弾けながら食道を通っていく感覚がたまらない。

「うわ、美味しい。というか、冷たい飲み物自体が珍しいですよね」
「それはな、嬢ちゃん。この店の地下にはでっかい冷蔵室があって、そこで食材を保存してるからだよ」

 隣の席の、店の常連らしい男が教えてくれた。

「なにを隠そう、その冷蔵室を作ったのがウチの親方なんだぜ」

 さすがは職人街。どんなものでも作ってしまうらしい。
 喉も潤ったところで、お次はメインの鉄板焼きだ。
 熱く焼けた鉄皿の上に厚さ二センチもある謎の肉がデンと置かれている。
 ジュウジュウと、溢れ出した肉汁が激しく音をたてながら香りを立ち昇らせ、視覚、聴覚、嗅覚の三方向から容赦なく食欲中枢に攻め入ってきた。

「うう……謎なのに……謎の肉なのに……っ!」

 欲望に抗えず、リーゼルは肉にフォークとナイフを突き立てた。
 ひと口分を切り分けて頬張る。しっかりとした噛みごたえだが、けっしてかたすぎず、口中を満たす旨味はとろけるようだった。

「んん~……! 美味しいです! 塩コショウをふっただけのシンプルな味付けですけど、そこがまた肉の味をひきたてていて、正直たまんないですぅ!」
「おなじモン食ってんだから、いちいち教えてくれなくていいぜ」
「え~? この喜びを分かち合いましょうよぅ。セレスタさんだって、ごちそうした相手が美味しいと思って、それで感謝を示してくれたほうが嬉しいでしょう?」
「バカヤロウ。いまはテメーに金がないから仕方なく奢ってやってんだ。義務だよ義務」
「むぅ。かわいくないです」

 どうしてこうひねくれているのか。クールぶっているつもりなのだとしたら、ぜんぜん的を外している。
 おなじ竜人族《フォニーク》の男の人でも、グラナートはもっと紳士的で、なんというか、大人だ。

「それより、どうなってんだよ」
「なにがですか?」
「これだよこれ! ぜんぜん治ってねーじゃあねーか」

 セレスタは、リーゼルの頭をがっしとつかんだ。

「もぉ~、やめてくださいよ」

 菜園を出てから一時間はたっていたが、リーゼルの額の傷は、まだふさがっていなかった。
 セレスタならば一分もあれば跡形もなくなるのに、どうしたわけだろう。
 傷を気にするセレスタのさわりかたは、意外にも優しかった。
 指の腹でなでるような感じで、痛いというよりはむしろ痛痒く、なんならちょっと気持ちがよかった。
 さわられ続けているとおなかのあたりがむずむずしてくるので、これはこれでやめてほしいのだが。

「どーゆーこった。竜の血の力が弱いのか?」
「さあ……? わたしに訊かれても……」

 まいったな、とセレスタは困ったような顔をした。
 こんなんでもいちおう女だしな、とか、残んのかな? 前髪で隠せるか? というようなことをぶつぶつ呟いている。

「あれ~? ひょっとして責任とか感じちゃってます?」

 そう言ったらげんこつを落とされた。かなり本気っぽいやつを。

「なんでテメーはそういうことをいちいち口に出すんだよ」
「だからってぶたないでくださいよぅ。バカになっちゃいます」
「テメーはもとから大バカだろが」

 そう言ったあとで、セレスタは素早く視線を左右に走らせた。それから、周りから隠すようにして自分の牙を親指に突き立てる。
 指の先に、ぷくっと血が溢れたのをたしかめると、それをリーゼルの傷になすりつけた。

「なっ! なにするんですか!?」

 狼狽えるリーゼルの口を、セレスタは手でふさいだ。

「黙ってろ。騒ぐんじゃあねえ」
「だ、だって……! 毒だって――」
「オレの血は特別なんだ。自分以外も治せる」

 本当に?
 おしぼりで傷をぬぐい、そっとふれてみる。鏡で見てみないとはっきりとしたことは言えないが、たしかに傷は治りつつあるようだ。
 なにより、傷口に毒を塗りつけられたはずなのに、身体になにも起こっていない。

「なんか、特異体質とか、そういうのらしい。こういう力は利用したがる奴も多いから、なるべく秘密にしてんだ。特にムハナあたりにはぜったい言うんじゃあねえぞ? もし知られたらあの女、狂喜乱舞してカラッカラになるまでオレから血を絞り取ろうとしかねねーからな」

 リーゼルはコクコクとうなずいた。
 それにしても、他人を癒せる特異体質とか、似合わないにもほどがある。
 なにそれ。
 短気で、乱暴で、口が悪くて、野蛮が服を着て歩いているような性格のクセに。

「変、ですね」
「ああ?」

 セレスタが怪訝な顔をしたが、リーゼルはそれ以上なにもいわず、黙々と肉を口に運んだ。
 なぜだかわからないが、頬のあたりが熱かった。


 異変が起きたのは、食事をはじめて三十分ほどたった頃だった。
 酔った客同士が口論をはじめ、やがて椅子を蹴飛ばしたり、皿の割れる音が響くようになる――と、ここまでは、べつに珍しくもなんともない。
〈酔鯨〉以外でも、リーゼルが何度も目にしてきた光景だ。
 問題なのは、相手が強そうと見るや、たとえ無関係であってもセレスタがそれに加わろうとすることだった。
 もちろんリーゼルは止めようとする。しかし、それが成功したためしはただの一度としてない。
 前提条件。ここは職人街である。
 繊細な芸術家タイプもいるにはいるが、その大半は槌をふるったり硬い石を加工したりするのを生業とする屈強な男たちである。
 口ではトラブルを避けるべきだというようなことを言っておきつつ、戦いをなにより好むセレスタが、きっかけを待ち構えていたであろうことは想像に難くない。
 追加で注文した料理を、彼は大急ぎで口に詰め込んだ。
 ゆっくりと席を立ち、むぐむぐと口を動かしながら、騒ぎの起きているほうへと歩いてゆく。
 はじめはふたりの男が言い争っていたようだが、止めようとする連れ、加勢しようとする取り巻きが加わり、すでに総勢十人ほどの睨み合いになっている。
 下手をすれば、店全体を巻き込む大乱闘に発展しかねない雰囲気だった。

「ちょっと、よそでやっとくれよ」

 さっきの女給たちが騒ぎを収めようとしているが、かたちばかりだ。
 店のマスターも、こんなことは慣れっこなのか、カウンターに置かれている食器や花瓶を、壊れやすそうな物から片付けている。

「おい」

 そう声をかけたセレスタは本当に嬉しそうで、リーゼルとしては複雑な気分だった。
 彼女がいくら暴力を嫌っても、日常にそれは溢れていて、セレスタにとっては娯楽なのだ。
 取りあげようとするのは、もしかしたらとても残酷なことなのかもしれない。

「オレも混ぜてくれよ。どっちかに助太刀するんでも、みんなまとめて相手するんでもいいぜ」
「なんだテメェ! 関係ねえ奴はすっこんでろ!」
「嫌だと言ったら?」

 うわ、これだ。相手がどう答えてもやることはひとつ。血を見ないことには収まらないのだ。
 相手も相手で、セレスタが竜人族《フォニーク》だからといって退こうなどとは考えない。

「セレスタさん! せめて外で!」

 リーゼルの叫びが聞こえたのかどうか。
 セレスタは、いきなり殴りかかってきたひとりの首根っこをつかむと、窓に向かって放り投げた。
 盛大な音とともに男の身体が窓をぶち破り、それを追ってセレスタも外に出る。

「さあ、来いや!」
「野郎ッ!」

 男の仲間たちが我先に店から飛び出してゆき、彼らと対峙していた連中が後に続く。
 リーゼルが外に出たときには、もうはじまっていた。
 セレスタに投げられた男のほうのグループには山羊人《ガラドリン》が多いので山羊組、もう一方は犬人族《ドギーム》のグループだったので犬組と呼ぶことにする。
 山羊組の男三人が、セレスタを囲んで同時にタックルをしかけた。そうして動きを封じておき、もうひとりが角材で殴って仕留めようという作戦だ。
 ところが、セレスタは腰に三人の男をぶら下げたまま、その場でぐるりと回転した。
 不用意に近づいた角材の男は、吹っ飛ばされて防火用の桶に突っ込む。ついでに腰につかまっていた男たちのうち、ふたりもあらぬ彼方へと飛んでいった。
 そこへ、いつの間にか建物の屋根にのぼっていた犬組の男ふたりが、頭上からセレスタに襲いかかった。セレスタはこれも、両腕をのばして空中で足首をとらえ、力任せに建物の壁に投げつける。

「ハッハァ!」

 セレスタが哄笑しながら、まだ腰につかまっている男にひじ打ちをかまそうとしたが、男は死角にまわってそれをかわす。
 肘が届かないと見るや、セレスタは尻尾を何度か跳ねあげて男をふりほどこうとし、なおも男が粘ると、今度は首に尻尾を巻きつけてひきはがした。

「そいやぁぁぁぁッ!」

 そこへ、犬組の男たちがそれぞれに大八車を押して突っ込んできた。うかつに近づくと怪力による反撃が危険と判断したのだろう。
 だが、この程度のことではセレスタは怯まない。
 余裕の笑みを浮かべつつ山羊組の男を一台に向けてぶん投げ、自分はべつの一台にふわりと飛び乗る。
 そのまま、押していた男のあごをひざで蹴りあげ、翼をはためかせつつ着地した。
 残る大八車は一台。犬組の男が雄叫びをあげつつ方向転換し、ヤケクソ気味に突進する。
 セレスタが片足をあげた。
 真正面から受け止める。たったそれだけで、大岩にでもぶつかったかのように、車は一歩も進めなくなる。

「この……ッ! 化け物ッ!」
「逃げねえ勇気は褒めてやるけど、もうちっと頑張って欲しかったな」

 あげていた足を降ろす。大八車の反対側が跳ねあがり、男が宙を舞った。
 セレスタは落下地点に移動し、落ちてくる男の背中に拳を放つ。
 男はものすごい勢いで、その先にある小道へすっ飛んでいった。
 山羊組と犬組の男たちはまだ何人か残っていたが、これほどの力の差を見せつけられて、さすがに戦意を喪失したらしい。
 気絶した仲間を担ぎあげつつ、脅えた表情でセレスタを見る。
 セレスタに追い打ちをかけるつもりがないと悟るや、彼らは捨て台詞さえ残すことなく逃げていった。
 やれやれ、これで終わりか――他の客や見物人のあいだに、ほっとした空気が流れかけた、そのとき。

「どこのどいつだァァァアア!? コイツを投げてよこした馬鹿は!」

 怒号とともに、さっきの小道から新たな一団が現れた。
 中心にいるのは着流し姿の猿人《エイブン》の男で、赤茶色の頬髯を生やし、額と右目にかけて刃物によるものらしき傷が走っている。
 他の男たちも、目つきや身ごなしに、明らかにカタギではない雰囲気が漂っていた。

「おい、あいつらモールソン・ファミリーじゃあねえか?」
「なんでモールソンの奴らが職人街に……?」

 誰かの呟きがリーゼルの耳に届いた。
 モールソン・ファミリーといえば〈幽霊船〉内でも数少ない、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉に対抗しうると言われる武装組織である。
 たしか、縄張りはここよりも船尾寄りの区画だったはずだ。
「あァン? テメェは……」

 猿人《エイブン》の男がセレスタに気づいて、その太い眉を持ちあげた。

「〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉のセレスタ・チュードか」
「そういうアンタは誰だい、おっさん」
「モールソン・ファミリー第十八支部長のショウジョウ・バキタだ。テメェ、こないだフォルモーザ組の助っ人としてウチの小猿どもとやりあったらしいな。あそこはなあ、俺がファルタンのオヤジから任されてたシマなんだよ」
「へぇー、そうかい。ま、オレの知ったこっちゃねーけど」
「ああ、わかってるぜ。テメェはあくまで、個人的に請われて力を貸しただけ。〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の看板を背負ってのことじゃあねえ……だからコレも、俺ひとりの気分とメンツの問題だ」

 ショウジョウは手下のひとりから漆黒の鞘に収められた刀を受け取り、抜き放った。

「俺の愛刀、大鴉だ。コイツを研ぎ師から受け取った帰りに出くわしたのは、テメェにとっちゃ不幸だったな」

 さがってろ、と手下に命じると、ショウジョウは腰を深く落とし、肩に担ぐようにして大鴉を構えた――次の瞬間。
 ざざっ、という地を擦る音。恐るべき速度で、ショウジョウがセレスタとの間合いを詰める。
 立て続けに三撃。まるで暴風のような攻撃だった。
 ショウジョウの背丈はセレスタと比べてもかなり高いが、大鴉の刃渡りもそれに匹敵するほどに長い。
 常人には持ちあげることすら困難な鉄の塊を、彼は小枝のように振り回している。
 セレスタは跳び退ってこれをよけたが、左腕から血が滴っていた。スカイブルーの鱗が、ざっくりと裂けている。

「へえ……コイツは、受けるのは無理っぽいな」

 竜人族《フォニーク》の鱗をものともしないなんて、なんという切れ味。
 それに、リーチもたぶん、ここの道幅いっぱいよりさらにある。
 なるほど、手下をさがらせたのは巻き込まないようにするためか。
 さすがにこれはまずいのではないか、とリーゼルはセレスタのほうを見た。

「いいねえ。面白くなってきやがった」

 ……そうですか。やっぱりね。
 無用の心配でした――諦めの気持ちでため息をつく。
 さっきの職人たちとのケンカでは、相手を殺さないよう手加減していたのはリーゼルにもわかった。
 セレスタにしてみれば、不完全燃焼といったところだったのだろう。
 そこへ、こんな強敵が現れたのだから、嬉しくないはずがない。

「我らモンモン!」

 突然、ショウジョウが声を張りあげた。すると間髪を入れず、手下たちが「「「モールソン!」」」と唱和する。
 モールソン・ファミリーオリジナルの掛け声らしい。

「やっちゃえ兄貴!」
「竜の膾だ!」
「みんなでポン酢につけて食いやしょう!」

 手下たちが囃したてた。
 モールソン・ファミリーは敵に対してとことん容赦ないが、一方でアットホームと言っていいほどメンバー同士の関係は良好だという話もある。ちょっと愉しそうだ。

「殺《シャア》ァ!》」

 気合とともに、あの尋常でない速度でショウジョウが突っ込んできた。
 またしても真正面から。
 きっと小細工が嫌いなタイプなのだろう。
 セレスタは――突っ立っている。
 なぜか今度はよけようとしない。うそでしょ。だめ。無茶です、斬られちゃいますって!
 ふぉん、と大鴉が唸りをあげた。

この話の1へ
次の話へ


いいなと思ったら応援しよう!