『バラックシップ流離譚』 羽根なしの竜娘・6

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 リーゼルは思わず両手で目を覆った。
 頭の中では、セレスタがバラバラにされる光景が展開されている。
 しかし、いつまでたってもそれらしい気配はやってこなかった。
 誰も、ひと言も発さない。
 ど、どうなったんだろう……?
 おそるおそる、指の隙間から覗いてみる。

 セレスタは――――無事だ!

 状況を見て悟る。
 なんと彼は、ショウジョウの懐に自ら飛び込み、刀が振り下ろされるより先に相手の手首をつかまえていたのだ。
 あたりが静かだったのは、まさかの行動と早業に、皆絶句していたからにちがいない。

「セ、セレスタさん……!」
「なァに間抜け面晒してんだよリーゼル。こんくらい、ぜんぜん大したこたァねーだろう……がァ!」

 セレスタが膝蹴りを繰り出す。ショウジョウの身体が宙に浮いた。
「オラ! オラ! オラ!」とさらに三発。突き放し、よろめいたところへミドルキック。吹っ飛ぶショウジョウ。
 だが、彼は耐えた。両足と左手を地面について踏ん張り、五、六メートル後退しただけで踏みとどまった。

「うはっ!」

 セレスタが目を輝かせる。

「しぶってェな、おっさん!」
「モールソンの幹部をなめるなよ!」

 ショウジョウに、ほとんどダメージはないようすだ。
 彼は、今度は耳の横で刀を立てる八相の構えを取った。足さばきも、摺り足からボクシングのステップのような動きへとシフトする。

「なんだそりゃあ? どこの流派だよ」
「黙って見てろやボウズ」

 たたん、とステップの速度があがった。
 はったりではないと思ったのか、セレスタが表情を引き締め、身構える。

 たたん。

 さらに速くなる。

 たたん。たたん。たたたたん。たたたたたたたたたたたたん。

 リーゼルは自分の目を疑った。
 気がつけば三、四……五人? ショウジョウの姿が増えている。
 高速移動による残像。うそ。ほんとにこんなことができる人間がいるなんて。

「「「「「殺《シャア》ァッ!」」」」」

 五人のショウジョウが一斉に吼え、セレスタを左右から押し包むように展開した。
 するとセレスタは、大きく翼を広げてひと打ちした。たちまち砂塵が舞いあがり、なにも見えなくなる。

「ぬおっ!? これは……!」

 そうか――リーゼルは得心する。こうなっては、高速で動き回るのはかえって危険なので、ショウジョウは足を止めざるを得ない。
 しかも、砂塵の動きを上から見おろすことで、相手の位置も特定できる。
 案の定、セレスタは上にいた。
 天井すれすれを飛行している。ショウジョウの姿を確認した彼は、天井を蹴りつけるために身体を折り曲げた。
 ――そして、そのままの姿勢で固まる。

「えっ?」

 なにが起こったのか、リーゼルの位置からはすぐにはわからなかった。たぶん、セレスタにはもっとわからないだろう。
 目を凝らしてみると、白いモヤのような糸のようなふわふわしたものが、セレスタの身体に纏わりついている。
 その白いものに縛られたせいで動けなくなっているのだ。

「なんだか知らねえが――」

 まずい。砂塵が収まっていく。異変に気付いたショウジョウが、好機とばかりに跳躍した。

「もらった!」

 閃光のような突き。セレスタは、かろうじて動く片翼を羽ばたかせた。だが、よけきれない。大鴉の切っ先が、紙に穴をあけるように左の翼を貫いた。

「セレスタさん!」

 リーゼルは絶叫する。自分でも信じられないほどの怒りが、腹の底から湧きあがってきた。

 セレスタの翼。
 あの、きれいな翼。
 それを傷つけるなんて、絶対に許せない。

 セレスタとショウジョウのふたりが、もみ合いながら落下していく。許せない、許せない。あの猿親父、絶対にブチのめしてやる!

「バカ野郎! うかつに動くんじゃあねえ!」

 怒鳴りつけられて、リーゼルは我に返った。

「わたし……なにをしようと……」
「いいから……周りをよく見ろ……! 敵は他にもいる……っ!」

 切迫した声で、セレスタは叫んだ。

「そ、そんなこと言われても……誰が敵かなんて……もし隠れられでもしてたら、それこそ絶対にわかりませんよぅ……」
「だったら、仕掛けられてる罠を探せ……ッ! 他にもいくつかあるハズだ……!」

 罠? 仕掛けられて……?
 それはつまり、敵がこの場所でセレスタを待ち伏せていたということで……。

「わ、わたしにも戦えって言うんですか?」
「嫌ならいいぜ。どーせてめーには期待してねえ。オレひとりで……なんとかするだけだっ!」
「そんな言い方……」

 しなくたっていいではないか。
 たしかに戦うのは嫌いだけど、セレスタが傷つくのを見るよりはいい……と、思う。
 たとえ、ひどい怪我がすぐに治ってしまっても、彼が懲りない性格だとしてもだ。
 自分にできることがあるなら、なんとかしてあげたいと思ったっていいだろう。
 ――どこ?
 リーゼルは注意深くあたりを見まわした。
 自分だったらどこに仕掛ける?
 さっきは、セレスタが天井にふれようとしたところで罠が発動した。
 きっと目には見えないか、隠蔽性の高い、物にくっつけることができるタイプなのだ。
 そして、セレスタが酒場で騒動を起こし、その周辺で戦闘が行われることを想定するなら――
 遮蔽物として利用できそうな壁や、足場に使えそうな屋根……飛べるという竜人族《フォニーク》の特性を考えるなら高い建物が確実そうだが、そうなるとリーゼルでは調べられない。
 ……いや。待て待て。それなりに数を用意できる罠なら、セレスタのさわりそうなところをなるべく広くカバーしようとするはず。
 ならば、簡単に登れそうな場所にも仕掛けられている可能性は高い。
 よし――リーゼルはひらきなおることにした。
 結局候補は絞り切れなかったが、あてずっぽうでもなんでも、とにかく手当たり次第に罠を発動させてやれば、それだけ安全に動ける場所が増える。
 リーゼルは〈酔鯨〉の向かいにある鮮魚店のほうへと走り、店頭の商品を並べてある台に飛び乗った。
 そこから手をのばして建物の庇をつかみ、屋根の上によじ登る。
 周囲を確認し、目を凝らした。怪しいものは見つからない。思い切って前へ這い進んでみる。なにも起きない。
 別の方向へと進む。こっちもダメ。
 ならばこっちは――すると、きた。三度目の正直。いきなり、音もなくあの白いものがリーゼルの身体の周りに湧き出し、絡みついてきた。
 近くで見ると、それは本当に白い糸としか思えない見た目だった。
 さわっても感触がほとんどなく、そのくせ相当な粘り気と伸縮性があり、むやみに振りほどこうとするとよけいに絡まって動けなくなる。

「なんなの、これ……」

 罠の発動したところを調べてみたが、なにもない。誰かがここに来てなにかを置いていった形跡もない。

「まさか、空間に仕掛ける罠?」

 一つひとつ設置するのではなく、一定範囲の空間を丸ごと作り変え、特定の条件で発動するように設定しておく。
 そういう能力や魔法の類を使える者、あるいは装置を作り出せる技術者も、この〈幽霊船〉には暮らしている。彼らが、その力を戦闘に転用することも珍しくはない。
 どっち? 後者ならどこかにその装置があるはずだが、前者ならより厄介だ。そいつがこの場に留まり続ける限り、罠を完全に除去することはできない。
 探せ。
 人。地面。壁。建物。
 どんなに些細でもいい。違和感を見つけるんだ。
 でも、その前に。
 リーゼル自身が、この糸から脱出しないことには始まらない。破壊力はなさそうだからと甘く見たのがマズかった。まさかここまで動きにくくなる代物だったとは。
 もがいているうちに、リーゼルは足を滑らせ、屋根から転がり落ちた。

「うう……もう! なんなのよコレ!」

 受け身など取りようもないのでめちゃくちゃ痛い。涙目になりながら叫んだとき、リーゼルの背後から、ふっと影が差した。
 とっさに転がる。ずがっ、という音がして、槍のようなものが地面に突き刺さった。
 いや――
 槍と見えたものは腕だった。
 鋭くとがった爪と、節のある何本もの腕。
 さっき戦ったクワガミの親戚が復讐に現れたかと思ったが、そうではない。
「彼女」はいわば、立ちあがったクモ。蜘蛛人《アラニアン》と呼ばれる、節足動物系の亜人の女性だった。

「何者っ!?」
「私はティプサー」

 そう言って、クモ女は六本の腕をわしゃわしゃ動かしながら、次々に突きを繰り出してきた。
 どす、どす、どす、と――絡みついている糸ごと、やすやすと貫かれる。
 まさしく間一髪、だった。
 ティプサーの爪に貫かれる寸前、リーゼルは糸に絡め取られた服を脱ぎ捨てることで、その猛攻から逃れた。
 服は穴だらけになってしまったが、命には替えられない。

「いいぞ、姉ちゃん。いい脱ぎっぷりだ!」
「次は思い切って、ぱんついってみよう!」

 外野から無責任な野次が飛ぶ。
 リーゼルは尻尾と手を使って胸と股間を隠したが、これはこれで、下着が見えにくくなるせいでむしろ全裸っぽくなってしまうような気がしてちっとも安心できない。
 本当ならすぐにでも物陰に駆け込みたいところだ。しかし、目の前には臨戦態勢の蜘蛛女がいる。
 彼女の目に白い部分はなく、すべてがレンズのような、つやつやとした漆黒だった。

「放っておいてもセレスタは仕留められそうだったけれど、どうせならあなたの息の根も、確実に止めておきたいものねえ」

 じっと見つめられると足がすくむ。まさしく捕食者の目だ。こっちは竜で、向こうは虫なのに。
 彼女が罠を仕掛けた犯人――なるほど、蜘蛛人《アラニアン》であれば、糸を操る能力を持っていて当然だ。

「なんなんですか? どうしてわたしたちを襲うんですかっ!」
「おかしなことを訊くのね。〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉の一員というだけで、理由は充分じゃあないかしら?」

 艶っぽい声で、馬鹿にしたようにティプサーは返す。
 言われてみれば、たしかに。
 強大な組織に属することは抑止力として働くが、はなから敵対している相手には意味がない。
 ショウジョウのいるモールソン・ファミリーにしても、現在表立っての抗争はおこなわれていないものの仲は悪く、お互いに潜在的な敵と見なしている。
 だからこそ、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉のメンバーが個々に動いて、モールソンの勢力拡大を妨げているのだ。

「モールソンの人に手を貸したのは偶然? それとも最初から話がついていたの?」
「さあ、どうかしら。そこまで教えてあげるほど親切じゃあないわ。もっとも、あなたのことを教えてくれるなら、すこしくらい質問に答えてあげてもいいけど」
「わたしの……?」
「そう。いま、ちょっとした話題なのよ、〈竜の子ら《ドラゴニュート》〉のかわいいルーキーさん。あなたがいったい何者で、どうして卵なんかに入った状態で発見されたのか――いろんな憶測が飛び交ってるわ。いずれかの長老の隠し子説から亡国の王女説、果ては人型の秘密兵器だとか、まったく未知の世界から送り込まれた〈幽霊船〉そのものに対する刺客説まで」
「えええ……なんですか、それ」

 聞いているだけで頭が痛くなってくるような珍説だらけだが、いちばんの問題は、どの説に対しても明確に否定できる根拠をリーゼルが持っていないことだった。

「いま挙げた中に正解はあるかしら?」
「さあ……むしろ、わたしが教えて欲しいくらいですよ」
「ふぅん。どうやら、ここに来る前の記憶がないっていう噂は本当みたいね。個人的に、すごく興味があるんだけど……」

 ――ま、べつにいっか。どーせ殺すし。
 ティプサーがそう言うと同時に、彼女の爪の先から、あの白い糸が噴き出した。
 それはいったん霧のように広がってリーゼルの身体に纏わりつき、寄り集まっていく。

「罠にかかるのを待つなんてまどろっこしいことはナシ。今度は直接、念入りにね……」

 逃げようとしたときにはもう遅い。あっという間に全身を絡め取られ、リーゼルはその場にひっくり返った。
 どうしよう。まったく身動きが取れない。
 ティプサーが、挑発するように爪の先を舐めながら近づいてくる。まずい。これはまずいって!

「逃げろォ! リーゼル!」

 セレスタが叫んだ。だからぁ! それができないからピンチなんですってば!
 ひゅっ、とティプサーが腕の一本を振り下ろす。

「いぎっ!」

 背中の鱗のない部分の皮膚がやすやすと貫かれ、一瞬遅れて痛みがやってきた。
 爪が引っこ抜かれると、どくんどくんという心臓の鼓動に合わせて血が溢れてゆく。
 そのことを意識したとたん、額がすうっと冷たくなった。
 あ、これはヤバイ。意識がトぶ……。
 でも、気絶してるあいだに死ねるんだったら、苦しくなくていいなあ。

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