The Memory Laneという軌道
『The Memory Lane』という映像がある。ぴあフィルムフェスティバル2022で審査員特別賞を受賞した宇治田峻監督による作品である。「The Memory Lane」という言葉は、Wiktionaryによると次のような意味である。
すなわち、「見返すことのできる一連の回想、特に、ノスタルジーの感情を伴うもの」を示す熟語である。だがこの熟語は同時に思い出のレーンあるいは思い出というレーン、とも読める。どこかへと切り結ばれ、あるいはどこかから切り離される線のイメージ。スケートボードの轍のようだ。わたしもこの映画に魅惑されたもののひとりであるが、まずは禁欲的に、場所の写真をその同じ場所に貼る、という方法論から見ていくことにしよう。
写真をその同じ場所に貼る
ベンヤミンによれば、写真とは無意識を現出させるものだ。いつもは無意識的に、というよりは非意識的に見ているものを写真は圧倒的な説得力でもって提示する。すると見慣れていたはずのものは、決して見慣れてなどいなかったのだと気づく。こんなものを見ていたのか、と距離が生まれる、「見ること」ができる。見ることとは距離に他ならない。
このような試みはおそらく映像では真新しいものだが、写真においては斎藤智の写真に見出すことができる。斎藤智の《無題》シリーズは、写真を撮り、その写真をその現場に重ね、さらにそれを写真に収めた作品だ。重ねられる写真の枚数はときに2枚、3枚…となり、被写体は二重化、三重化される。
写真が、(括弧つきでしかないのだが)当の「現実」に置かれることで、わたしたちは「同じもの」に対して同時に二つ、あるいはそれ以上の距離の取り方を強いられる。ブレやズレを孕みながら重なっている被写体のあいだを縫うようにして鑑賞する欲求に駆られる。
ではこの二重化がどのようにして可能になるのか、といえば、それは鑑賞者の存在をまってである。私が斎藤智の《無題》シリーズを見たのは兵庫県立美術館であったが、わたしが額の前に立って画を眺めることで、わたしを起点にその景色が幾重にもブレていく。
だが、The Memory Laneでは、同じようにはいかない。まず第一に鑑賞者の位置ははじめから排除されているということが挙げられる。鑑賞者の位置が排除されているというのは、The Memory Laneの舞台となった大阪大学箕面キャンパスは2023年2月現在では既に封鎖されているということによる。わたしたちはそこに入ることはできないし、入れたところで見つかるのは、わたしたちが思い描いているThe Memory Laneの「舞台」ではないだろう。あらゆる映像はドキュメンタリーでもあり、「今から」彼らに加わることはできないからだ。
第二に、二重化の起点となる、定点としての視覚は映像とともに流れていくということがある。写真作品では、カメラの位置は不動で、二重化が可能になる位置で視点が静止している。が、映像でそれを収めるとき、映るのは「行為」であって、その過程である。たしかに「現場に貼られた写真」を見ることはできるが、画面に比してそれは小さく、また、じっくりその写真に見入るほどの時間は映像を停止でもしない限りは与えられない。
以上のことを踏まえるとつまり、こちらからはノスタルジーの宛先につながる道がないということだ。わたしたちの方からレーンを辿ることができないということだ。
ある種の「批判」
そこで、一部の批評者(あるいは、だれもがレビュワーとなれる今日における一部の「レビュワー」たち)は、自己満足だの、自己顕示欲だのという「批評」を重ねることになる。だがこれは批評ではない。なぜなら、どの作品にも言えてしまう文言であり、結局のところ意味するのは「楽しそうにしているが、自分にはついていけなかった」という吐露でしかないからだ。映画に限らずこのような「感想」は数えきれないほどある。読書の記録サイトを見れば、「よくわからなかったが、いつか再読したい。」という感想がどれほどあることか。そこで「自己満足」や「自己顕示欲」というややネガティブな文脈で用いられる言葉を使うかどうかというのは、これはディスってもいい、ディスるべきではない、という判断の違いなのではないだろうか。権威のある古典に対してならそれが読めない、わからない己をへりくだらせ、あらを探しやすい新しい作品については強い表現で「批評」をする。なんと凡庸なことか。じぶんがあまり馴染みのないものを前にして、それに今回ノっていくことができなかったというだけではないか。
だがそのような評価を受けるのは、魅惑するものの定めでもある。己がまずはノる。そうして次に誰かをそこへと誘う。結果的に相手もノってきてくれたなら最初のダンスがどれほど無様なものでも成功である。あるいは逆に結果的に相手が誘いに応じない場合は何一人舞台で盛り上がっているんだ、ということになる。だから、上記のようなコメントを引き出したということは無数の「観客」を相手に踊りえた、滑りえたということだ。愉しそうだということは伝わっている、でもそこに参加することができない。そこで仲間外れにされたような悔しさからディスる。だが同様に、たしかに魅惑されたひとたちがいる。
弔い
The Memory Laneは魅惑の映像だ。だが、ただ魅惑の映像でしかないわけではない。彼らは通っていた大学のキャンパスが移転に伴い閉鎖されるという事実を承けて、キャンパスに「バイバイ」を言いに行ったのだった。そしてこれはフィクションのなかの出来事ではなく、実際に閉鎖される大阪大学箕面キャンパスでの出来事だった。
自分にとって馴染みのある場所がなくなるときにどのようにしてその事実を受け入れるか。わたしの例を挙げると、近くのお気に入りのまぜそば屋が閉まるということを知ってどうしようと思ったかというと、残り少ない日にちをそこに行くのに充てようということだった。そして叶うなら、そこに来たことの、そこにいたことの記録を刻みたいと思ったのだった。それは閉店するまぜそば屋への「弔い」のようなものである。それは、わたしの存在をアピールしようなどという意図とはほど遠く、つつましやかに終わりを迎えたいという思いである。
The Memory Laneもまた、旧キャンパスへの思いをうたっている。ただ目立ちたいだけならHIPHOPの文脈で、派手なグラフィティをあちこちに描いてもよかった。わかりやすく破壊行為でもよかった。だがそうではなく、それよりもずっとささやかな弔いであり、その記録、ドキュメンタリーであった。消えゆくキャンパスのあちこちに写真を貼っていくのは死にゆくものへの儀礼のようにも見える。だが暗くはない、通夜の朗らかさであり、彼らは明るくも世闇に紛れている。
ミイラ取りがミイラになる
だが写真によって現実を二重化する、あるいは現実と虚構との境を曖昧にするというのは危険なことでもあった。旧キャンパス封鎖の喪の作業をしていた彼らは最後には写真のなかに閉じこめられてしまう(ここからはフィクションの話)。
写真とは現実を切り取って別の場所で再現する媒体だとすれば、その写真を現実の同じ場所で再現することで、現実がダブってしまう。それは、現実を二重にするということであるが、それは同時に現実とはフィクションに他ならないし、無数のフィクションが乱立している中から当面の現実を一旦引き出しているということをも明らかにする。
彼らは現実と虚構の間を溶解させた。だから、地縛霊のような存在を呼び出してしまったのだし、彼らもまた写真へと封じ込まれてしまったのだ。
一体、これは誰のThe Memory Laneなのか、誰の思い出なのか、誰のノスタルジーなのか。上で見たようにこれを「作者と登場人物たちの」メモリーレーンだとしか見れないひとには、この作品は自己満足以上のものとして味わうのは難しいだろう。あるいは、これは「キャンパスの」メモリーレーンかもしれない。閉鎖されるキャンパスに意思のようなものがあるとして、そのメモリーレーンなのだ、と。
このレーンはどこにつながっているのか。この映画はスケートビデオという歴史に接続されている。あるいは、そのもう一端を映画史に接続しようとしているのかもしれない。少なくともぴあフィルムフェスティバルはそれを認めたと言える。この作品は映画ではない、と否定したいものは否定すればよいだろう。だが、またも後続がこの間をつなぐかもしれないし、そのレーンもまたズレを含みながら繰り返しなぞられ、より太くなっていくかもしれない。The Memory Laneはそうわたしたちを招いている。
魅惑
The Memory Laneは魅惑する。内容はさることながら、鑑賞しているときに聞く快楽、見る快楽がある。音としての、光としての快楽だ。スケートボードの車輪がアスファルトとぶつかって転がる音。椅子、コンクリート、看板、雨、衣服、タイルの凸凹……。機能を付与された道具というよりは、素材そのものの音がする。いつかは崩れる者同士、物同士が相互にぶつかりあっては束の間の出会いを確かめているかのようでもある。廃キャンパスに持ち込むのはスケートボードだけ。あとはあるもの、ある地形を使って「あそぶ」のみ。あらかじめ精緻を極めたスケートビデオを作ろうと企てるのでもなく、フィクションの結末を予想してそこに向かっていくのでもなく、いま、ここにあるものを使うという。それを「あそび」に過ぎないと一蹴するのは簡単だが、そうやって簡単に放言してしまうひとはやはり「あそび」がないということになる。「あそび」の両義性。大学から捨てられた土地、という「あそび」の場で「あそび」ながらThe Memory Laneは魅惑をしてくる。
素直に魅せられることができたら、わたしたちにもThe Memory Laneの延長線を引くことができるかもしれない。少なくとも、もう辿ることのできない閉ざされたノスタルジーの方向を向いて僻むのではなく、いつかノスタルジックな気持ちで思い出すかもしれない「今」の方向へ。
たとえば、道端に落ちているプリクラ、あれを前にしたときの切なさを思い出す。SNS上にアップロードされた知らない人の写真を見るのとはまったく印象が異なる。たしかにここに人がいたことをそのプリクラは告げる。そしてその人がおそらくはこのプリクラに写っている本人であるということを。映っているひとやもののアウラは消失したかもしれないが、アウラが消失したそのひとがこのプリクラを持っていて、ここに意図せず落としてしまったということ自体には生生しさがある。
わたしたちも写真を貼ってみてはどうだろうか。旅先から思い出を持ち帰るようにして飾る写真ではなく、見慣れた街を異邦の地と化してしまうような写真を。貼った写真は風化していくだろう。それとも、誰かが取り去ってしまうかもしれない。だが、そうして貼られた写真を誰かが見るかもしれない。見る人が多くなればそのとき本当に「風景は変わる」かもしれない。
おわりに
作品を味わう、作品「と」味わうということを考える。作品と出会うときに初めからこの程度のものだろうと見限ってしまうのはもったいないことだ。映画かくあるべし。フィクションかくあるべし。それよりは、ここに映っているものを恬淡とした態度で受け取ってみたい。どう楽しめるか、どう生かせるか、どう生きることができるか。
3月からはU-NEXTで再び配信されるらしい。気になった方は是非。