狩猟免許合宿7,8日目──生類
7日目
座学
この日の午前中は座学である。公民館の一室に机と椅子を出して、テキストから狩猟免許試験に出そうなポイントを教わる。一般社団法人「大日本猟友会」からは狩猟のテキストである『狩猟読本』と『狩猟免許試験例題集』が出版されており、これらを元に狩猟免許試験の勉強をする。内容は、狩猟に関する法令から、狩猟する対象である鳥獣類の知識、あるいは猟具や狩猟の方法など多岐にわたる。
ジュウコウナイジッポウナシイブツナシ
耳の奥で残響するこの呪文。正確には「銃腔内、実包なし、異物なし」である。猟銃に触るときや身体から離すときには、都度、銃腔内に実包や異物が入っていないかを声に出して確認するのである。午後は、実技試験を想定して、ひたすら銃の点検や分解、組立、弾の装填、銃の受け渡し等を練習した。
また、絵を見て、それが狩猟可能な種類の動物か否かを判別する、という試験もある。何枚もの絵を見て、わずかな特徴の違いを押さえて、それを瞬時に答えられなければならない。図鑑のページを繰っては生き物の名前を覚えていた子どもの頃の淡い記憶が蘇ってくる。昔はただ好きで生き物を覚えていた。今は生き物を殺すため、あるいは殺さないために。
8日目
ベテランハンターK氏の話
午前はベテランハンタ─の方の話を聞いた。三百頭を超える鹿や八十数頭の熊を狩ったという話もある一方で、鹿の脂身は融点が高いから人間が食べると下痢をするというような実際的な話も伺った。22歳で銃を持って、今76歳になるというからハンター歴54年である。
印象的だったのが、「山を知る」という話である。
曰く山を知るとは、餌の場所を知るということであり、獣の通り道や寝場所を知るということであり、自分が安全に帰れるルートを知るということである。同じ地点を違う方向から目指して「動くことで覚える」そうだ。罠や銃というのは第二であって、まずは山を知ることが第一だという言葉は肝に銘じておきたい。
くくり罠を作る
午後の最初はくくり罠を作らせてもらった。くくり罠とは、特定の場所を獣が踏むと、バネによって張り詰められたワイヤーの輪がその脚をくくってしまうという種類の罠だ。ワイヤーを撓めたり、金具を通したりして、一から作るという経験をすることができた。
実際、罠は購入することもできるが、今回のような罠だと買って2,000円するものが材料費1,000円でできてしまうという。また、自作の罠であればこそ、そのメンテナンスも自分でできるので、長期間使うことができる。ハンターとはただ狩猟をするだけではなくて、使用するアイテムの手入れもできねばならないという学びである。もちろん、罠に限った話ではない。ナイフを研ぐこともハンターの重要な仕事である。
熊の手とわたしの手は陥入しあう
狩猟免許の受講生で、熊の手から爪を剥ぐという経験をした。小熊の手が用意されており、それぞれの受講生が爪を1枚ずつ剥がしていくのである。指を片手で触りながら関節の位置にあたりをつけて、そこに刃を滑らせていく。うまくいくとほとんど抵抗なく刃は反対側へと抜けるが、そうでないと骨に当たってしまう。
わたしがは右手の中指であったが、一発で関節を当てて切ることができた。切った爪は湯で煮て、不要な部分を包丁で削いだら、記念品になる。とはいえそれは簡単な作業ではなく、軟骨のようなコリコリした部分が爪の根にはこびりついている。きりのない作業だ。
ひととおり終えるが、手には熊の臭いが残っている。どことなく塩気のある磯のような臭みである。石鹸で洗ってもなかなか臭いは落ちないが、そのことはまるで、わたしたちの生が、熊の生あるいは死と陥入しあっているかのようである。
そう簡単に「余分な」肉はこそぐことができないし、臭いも落ちることがない。他者の死のうえにわたしの生が成り立っているということ、わたしの生から他者の死をきれいに取り除くことは決してできないということが即物的に感じられる瞬間であった。もしこの熊が、自分で手を下した熊であったらなおのことこの迫真感は増すであろう。
明日から
夜は近所の温泉に行く。浴槽は1つで、ぬるめの湯が滔々と流れている。浸かりながら考えるのは明日以降のことだ。明日からは農作業に復帰するのである。気温は先週よりは少しマシになっているとはいえ、厳しい作業であることに変わりはないだろう。でんぷん色の日々が再び始まる。
また、明日からは女性1名、男性3名の4名が新たに宿舎のメンバーに加わるというから、また違った風が吹きはじめるかもしれない。全員学生だという。少し緊張感を伴いながら、今日は筆を擱く。