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香水というベールについて
香水。
毎日つけるというひともいれば、ここぞというときにだけつけるひともいるかもしれない。かくいうわたしは毎日香水をつけている。気分やシチュエーション、時間帯によって使い分けているが、香りひとつで気分が変わったりするのはとてもおもしろい。このnoteでは、香水について書いてみよう。
ひとむかし前、瑛人さんの「香水」が流行った。恋人がつけていたドルチェ&ガッバーナの香水のせいで未練を断ち切ることができないという歌詞だけれども、それほどに香りというのは記憶と深く結びついているものらしい。特定の匂いを嗅いだときに、その匂いと結びついた記憶が思い出される現象のことをプルースト効果というそうだ。マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の「スワン家のほうへ」で出てくる、マドレーヌを紅茶に浸したときの匂いで幼少時代を思い出すシーンに由来するらしい。たしかにわたしも経験がある。祖父母の家の匂いによって幼年期を思い出したり、昔使っていた香水の香りを嗅いでみて、当時の記憶が蘇ったりする。としたら、今身につける香水は、いつか将来、自分のことを思い出してもらうための時限爆弾のようなものではないか。いつかあなたはわたしを思い出すのだろう。
何の香水をつけているの?と聞かれることがある。別に意地悪はしたくないので基本的には使っている香水を教えることにしているけれども、わたしはひとに何の香水をつけているかは訊ねない。なぜか。それは、なんの香水を使っているかが分かった途端、そのひとの纏っていたベールが剥がれてしまうように思えるからだ。物理的なベールと同じである。エロティシズムが最大化するのは、ベールを剥ぐ瞬間だけであって、剥いだ後のベールほど邪魔なものはない。ヌードは「ヌードという衣服」を纏っているのであり、「本当の裸」みたいなものは幻想だ。衣服を脱ぎ捨てる瞬間にだけかろうじてその影を垣間見ることができるにすぎないものである。だから、悪意もないのにひとの纏っている香水を突き止め、それが醸す幻想を砕いてしまおうなどという気は起きないのである。わたしは騙されていたい。小林秀雄は次のように言う。
見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
これにならっていえば、言葉は眼のみならず、鼻の邪魔にもなる。あるひとからいい香りがして、それに陶然とすることがある。そしてそのひとになんの香水をつけているのですか、と尋ね、結果、どこどこの何という香水だとわかる。すると次の瞬間には、そのブランドの印象や、香水の名といったものが意味として浸食してきて、その香りを味わうことをやめてしまうようになるのだ。
香水はたしかにそれ自体でいい香りがするけれども、実際につけてみると印象が変わることがある。香水も服と一緒である。誰が着ても同じような姿かたちにならないように、香水を使ったときに匂いたつ香りも、香水とそのひとの肌の環境との組み合わせから成っている。だから香水はおもしろい。そして香水の香りは、つけてからの経過時間によってトップノート、ミドルノート、ラストノートとわけられている。もちろんこれらの間はグラデーションになっているわけだが、店先でわたしたちが知ることができるのは、トップノートのさらにトップノートだけである。先端の先端。だから買って使ってみないと香水はわからない。いわば賭けだ。だから、メルカリなんかでほとんど使っていない香水が売られているのも納得できる。使ってみないことには自分の肌との相性もわからないし、トップノート以降の匂いを確かめることができないからだ。
日本ではあまり香水が使われないという傾向があるらしい。ひとつには、西洋人よりも体臭が少ないからということや、香りがない、ということに「きれいさ」を見出してきたということがあるのだろうが、それでも街に繰り出せばいろんなひとからいろんな香りが漂ってくる。わたしはもっと香水を使うひとが増えたらいいのに、と思う。衣服に他者を愉しませる側面があるように、香水にも他者を愉しませる側面がある。いい匂いを嗅ぐことができてうれしい、だけであれば、部屋に籠って窓を閉めて、香水をばらまいていればいい。香水の喜びとは、他ならぬこの自分からいい匂いがする、ということであって、なんならいい匂いのする自分を他者に認めてもらいたいという承認の喜びも含まれているはずだ。
そして香水の香りは享受するのにいやらしさがない。と書くのは、視覚と比較しているからなのだけれども、ひとを見ることは基本的に「いやらしい」ものである。ジロジロ見るにせよ、チラチラ見るにせよ、相手からのまなざし返しというのを期待しない限りにおいて、ひとを「見る」ことは可能になるものだ。つまり、ひとを見ることは盗み見としてしかありえない、ということである。しかしながら他方の香りはそうはいかない。いい匂いがするからといっても、基本的にはその場でいい匂いだと感じて終わりである。鼻でひとを追いかけることはできない。嗅覚は、すれ違いざまに漂ってくる香りを嗅ぐということに限っていえば、きわめてさっぱりとしており、迷惑をかけないものだと思う。
今日もわたしはベールを纏う。
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