バイク免許合宿8日目──帰投
7日目の晩は流石に緊張して眠れなかったし、朝食もなかなか喉を通らなかった。朝9:00には検定の説明が始まる。検定が行われるのは、Hさん(今回初登場のキャンパー)、わたし、Bさん(デヴィッド・ボウイ似の男前)の順である。今までも何回も一緒に教習を受けてきた面子である。発着点に集合して、ひとりずつ順番に検定を受ける。後ろにいくほど見ていてくれる仲間も減り、また、通常の教習も始まって同じ教習所内のコースを使うために道路が混み合ってくるので、走るのが困難になる。ちなみに、昨日検定に落ちてしまったYさんは、別の検定員のもとで検定を受けている。
わたしの検定は特にエンストすることもなく、スラロームや一本橋でもたつくこともなく、ルートを間違えることもなく、無事終了することができた。検定後、検定員の方から「ウインカーを出しっぱなしにしていることが多くて、これは事故につながるから、戻ったら注意するんだよ」とのコメントをもらう。たしかに今までも緊張するほどウインカーを消すのを忘れてしまったいたので、気をつけなければならない。そして、検定員は「戻ったら」と言った。戻ったあとのことを伝えてくれたこのコメントが合格通知のようなものである。わたしは帰れるのだ。
他の受検者の結果は、というと、本日の受けたひとは全員合格とのこと。帰ってからの免許取得/書き換え等の手続きの説明を受けると、すぐにバスが出発するとの校内放送。名残惜しさや合格の嬉しさを共有する間もほとんど与えられないまま、わたしは仙台方面のバスに乗せられる。道中、同じドライビングスクールの別の校舎を2箇所経由した。どちらも、慣れていないからか(おそらくそうではない気がする)、殺伐とした印象を受けたのを覚えている。本当にわたしはいい校舎を選んだものだ。緊張がほぐれると、やってくるのは眠気で、あとは仙台までほとんど意識がない。
仙台駅に着いて最初に向かったのは喫煙可能の喫茶店だ。熱いコーヒーを飲みながらMさんにもらった最後のマルボロに火を点けて、免許合宿が終わったのだという事実を噛み締める。そのあとは、模範的仙台観光者のように、牛タンを食べ、お土産のずんだ餅を買い、さらにもう一回喫茶店を挟んで、夜行バスに乗った。大阪まで12時間弱。乗客はわたしの他には1人のおじさんだけで、随分とリラックスして過ごすことができた。
大阪に着いて、洗濯と風呂を済ませる。冷房をガンガンにかけて仮眠を取り終えた今、長い夢を見ていたような気持ちで、どこか放心したようになっている。わたしは帰ってきたのだ。
明日は免許センターに行って、免許証の併記をしに行く予定だ。それから、最初のバイクは30万円くらいの250ccを中古で買って乗りつぶすくらいがいいよ、というアドバイスをしてくれたTさん(初登場。今回の大型バイクで免許証をコンプリートした運転強者)の言うように、中古のバイクを探したい。カワサキのZ250に気持ちが惹かれている。宇治田兄弟(バイク乗りでもあり、バンドマンでもある)のライブが終わったら、ふたりと近所の川崎プラザに行きたいと思う。トライアンフは大型バイクの免許を取得するまでの楽しみとしよう。そして、大型バイクの免許を取るときにはまたここの教習所に来よう。
バイクやバイク関連グッズを買うのにはお金がいるし、そのためのお金を稼がないといけない。整備のことも勉強したい。やることがいっぱいあるが、今はそのことにもとても前向きになっていると感じる。出発前のnoteでは、次のように書いていた。
毎日適度な運動をしながら、ほぼ3食しっかりと食べ、本を読んでは毎日の感想文をnoteにしたためていた。おおむね思った通りに過ごすことができたと思っている。想定外で嬉しかったのは、素晴らしい友人たちと教習生活を共にできたことだ(お酒もこんなに飲むとは思わなかった!)。その大部分は忘れてしまうだろうが、忘れてしまえるからこそ、それは地となって、これからのわたしを受け容れる器となるだろう。もしかしたら、「仕事を辞めてバイク旅をする」かもしれない。もしかしたら、「そこで運命的な出会いがあって天職に就く」かもしれない。だが、出会いはいつも「外」からやってくる。今から仮定していても仕方がない。ただ気の向く方向へ、風の指し示す方向へ、「彷徨」するまでである。
今日からはまた「休職生活」が始まる。このバイク免許合宿のマガジンは一旦はこれで終了となるが、これからも日々の出来事を徒然なるまま書いていこうと思う。さあ、大阪に帰ってきたので、自宅にある本から今日は引用して締めよう。
これをバイクに読み替えてみよう。
バイクという祝祭は、人々に祝祭が行われているという意識を持続させる。しかしこの用途には、隠された魔術が存在する。バイクに乗る者は、周囲の事物と一体になる。空、雲、光などの事物と一体になるのだ。ライダーがそのことを知っているかどうかは重要ではない。エンジンをふかすことで、人は一瞬だけ、行動する必要性から解放される。バイクに乗ることで、人は仕事をしながらでも〈生きる〉ことを味わうのである。マフラーからゆるやかに漏れるガスは人々の生活に、雲と同じような自由と怠惰をあたえるのだ。
これにて葦田不見の、普通自動二輪車免許取得合宿、了!