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バイク免許合宿3日目──露見

朝7時起床。朝食を食べて、本を読む。読んでいたのは近藤康太郎さんの『アロハで田植え、してみました』と、東千茅さんの『つち式』。これらは、農家を始めるという友人に貸すために初読/再読していた本だ。再読はまだしも、友人に貸すのに初読とは変だと思う向きもあるかもしれない。だが、本は読まなくても読める。ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』ではないが、本は読んでも読めないものであり、読んでいなくても読めるものである。何も逆説を弄しているのではない。一冊の本が読める、そしてそれについて十全な理解を得られる、ということ自体が幻想だということだ。だから、読む前からこの本が友人に合うということはわかっていたし、今回「読了」(あえてこの表現を用いる)してみても、やはりこの本をその友人に貸すという選択は変わらなかった。

さて、バイクの免許合宿である。今日は昼食を食べたのち、昨日知り合ったAさんRさんと食後のお茶をした。教習所近くの蕎麦屋で、蕎麦味のプリンとコーヒーのセットを嗜みながら、話はそれぞれのひとの来歴に向かう。Rさんの学んでいた哲学や、書いた論文についての話(大阪から遠く離れてなお、こういった話が私は好きなんだなあ)。あるいは、わたしが詩人をしている話、Amazonで購入できる詩集を出している話(これがのちにAさんがこのnoteを見つけるきっかけとなる!)。

話もそこそこに、集合時間の早かった私は先に教習へ向かう。今日の1コマ目はシミュレーションだ。アーケードゲームみたいなバイクのシミュレータに乗って、急停止や、さまざまな路面での走行を練習する。結果は惨憺たる有様で、私は終始ローギアのままで街を走り抜けて、残りの2人は濡れた路面(の設定)で、転倒して終了だった。このような結末に終わる受講生が多いのだろう、教官も、気まずそうに「生徒さんからよくこれはおもちゃみたいなものだ、ゲーセンみたいなものだという声を聞きますが……」なんて言っている。なんだか拍子抜けのする1コマだ。受講生と苦笑しながらシミュレータ室を後にした。

2コマ目は実機(待ってました!)。スラロームの練習をする。はじめは慣れなかったが、だんだんアクセルを入れるタイミングや曲がるタイミングに触れられるようになってくる。実は、四輪自動車の免許を取ったときから遠目ながら「アレかっこいいな」と思っていたのがスラロームである。まだまだもっと上達はできそうだと思う。

今晩はさすがにひとりで過ごすことになるかな、と思いながら、教習後にはラーメンに行く。そして、味噌ラーメンに付いていた辛味噌のおかげてレインコート着用での教習よりも遥かに多量の汗をかいたので、帰宅早々風呂である。風呂→飯→睡眠のコンボを決められるかと思いきや、風呂後の夕食(ラーメンとは別に宿舎で用意してくれるご飯)中に、Aさんから連絡が来る。

「いっぱいいける口?ちょこっとビールでも」

二つ返事で「是非行きましょう!」

わたしと同じく風呂と食事を済ませたAさんが先に待っている。他の若い連中も一緒にいたんだけど高くつくから、と私だけを誘ってくれたらしい。男前め。待ち合わせた店はおしゃれなカフェ風の店で、なぜかジムビームやジャックダニエルがないのにラフロイグがあったりして、せっかくなのでと2人呷った。幾人かの哲学者の名前が挙がった。デカルト、カント、サルトル、ハイデガー、フーコー……。原典を読むということが大事だという話が印象に残っている。そして、このnoteを見つけたということを教えてくれる。赤面。Amazonで詩集を探そうとこのペンネームで検索したら出てきたということだが、誰にもバレることはないだろうと思い思い綴っていたこの小文が見つかってしまうなんて。もちろん恥ずべきことは書いていない。

3,4杯飲んで、帰路に就く。今日も楽しい晩だった。お酒のせいか、恥ずかしさのせいか、今日は少し赤い自分が鏡に映っている。

今日はハイデガーの話を少ししたので、今日読んだ部分からハイデガー的な一節を。

自分とは、まだ自分でない「なにものか」になろうとしているから、自分であり得るのだ。世間が決めた「だいたいこんなところ」という存在で居続けるのなら、それは自分ではない。世人だ。燃えて燃えて燃え尽きて、骨さえ真っ白な灰になってしまうように生きて、死ぬ。実存とは、つまり「あしたのジョー」なんだ。

近藤康太郎『アロハで田植え、はじめました』(河出書房新社)

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