TSUTAYAでの経験あれこれ
TSUTAYAはわたしが青春を過ごした場である。最も長いこと勤めたアルバイト先でもあって、思い入れはひとしおである。そこでのエピソードをここに書き記す。約4,700字と長めだが、サブスクの蔓延る今日に懐かしい気持ちになりながら読んでいただけたら幸いである。
Hydrangea
眠れなかったので、音楽を聴くことにした。a crowd of rebellionの『Hydrangea』(2012)だ。聴いているとこのアルバムを借りた日のことを思い出す。初夏、まさしく紫陽花(ハイドランジア)の咲き乱れる季節だ。
高校生のとき、当時はまだサブスクリプションサービスなんて(流行って)なかった時代だから、TSUTAYAでCDを借りて、いろんな音楽を聴いていた。わたしのよく行った店舗は、5枚で1,000円という価格設定だったと思う。友人とお金を出し合ってよく借りたものだった。この日も、ひとりの友人とTSUTAYAを訪れて、好みの合うアルバムを4枚は選ぶことができた。最後の1枚をどうしようか、ということになって、なんとなく当時好きだったスクリーモが並んでいる棚から探して、目に止まったのがこのアルバムだった。a crowd of rebellionのインディーズ1stミニアルバム。小林亮輔のクリーンボイスと宮田大作のスクリームが絡み合う様は唯一無二の情感を歌う。当時はこんなかっこいい歌誰が歌っているのだろうかと気になって、公式にメールを飛ばして、クリーンボイスを歌われているのは小林亮輔さんで、シャウト部分は宮田大作さんですか、と訊ねた記憶がある。それくらい、当時のわたしには衝撃だった。このバンドは間違いなく大きくなる。そう感じていた。
今聴き返してみてもかっこいい。文学ではよくあることだが、最初の作品にそのあとの作品の萌芽が垣間見えることがある。このミニアルバム『Hydrangea』にも、リベリオンのそのあとの進化、深化があらかじめ刻み込まれているように思える。ヘヴィな部分とクリーンな部分の対比や、コーラスを重ねる部分、それから少し奇妙なリズムを刻む部分など。あらあらしさはあるものの、それゆえにこそリベリオンの潜在性をこれでもかというほど湛えているかのようだ。
1thフルアルバム『Xanthium』(2016)になると洗練されており、ひとつの到達点を見る思いだが、その鋭さも『Hydrangea』の頃にはすでに胚胎されていたのだと思う。にしても、当時TSUTAYAはどうしてこのバンドのこのアルバムを置こうと思ったのか。当時は各店舗の責任者にCDを選んで仕入れる権利が一任されていたのだろうか。素晴らしい選択だったと思う。
アルバイトをする
大学生になって、このTSUTAYAのアルバイトに申し込んだ。レジで面接に来た旨を伝えたら、事務所に通される。入ると、信じられないくらいの巨漢が鎮座している。緊張よりも、あまりの大きさに椅子が潰れないか心配になる。どうやら彼が店長らしい。巨漢とはいうが、筋骨隆々というよりはぷよぷよしているタイプの巨漢で、話しぶりは威圧感を与えるような感じではない。履歴書を提出して、あとは簡単な質問を受ける。どのくらいの頻度でいつまで働けるかというような、よくある内容だ。当時は黒髪の長髪だったけれども、それについても特に指摘されることもなく、無事面接は終了した。後日連絡があって、採用が決まる。こうして、わたしにとって一番長く勤めることになるバイト先が決まった。
TSUTAYAの業務は大きく3つに分けることができると思う。レジ業務と、棚づくりと、マスターバックである。その間に清掃やお客さん対応も入るが、メインはこの3つである。ところで、レジ業務や棚づくりは想像がつくと思うが、マスターバックというのは聞きなれない言葉だと思うので少し説明する。マスターというのがそれぞれのCDやコミック、DVDを指しており、返却されたそれらを棚のしかるべき場所に戻す(バックする)のがマスターバックである。マスターバックを繰り返しているとだんだん商品の場所がわかるようになるので、お客さんに商品の場所を尋ねられたときにもすぐに案内できるようになる。話しかけられない限りは、ひたすら戻していくだけなのでわたしはマスターバックの作業が好きだった。そして特に好きだったのが、アダルトビデオのマスターバックである。なぜかといえば、18禁の暖簾をくぐれば、その先には静謐な空間があるからだ。お客さんも息を潜めており、なるべく目立たないようにそそくさと物色している。店員に商品の場所を尋ねたりはしない。だから、お互いに関心を抱き合わない距離感で、お客さんはおかずを探すし、わたしはマスターバックに勤しむことができた。
アル中のIさん
困った客というのはどんなアルバイトをしていても出会うことがある。もちろん客を選ぶような商売ではそのような可能性は増減するはずだが、TSUTAYAはひとに安く「暇つぶし」を与えるビジネスだということで、変な客は少なくない。あるとき、Iさんというアルコール中毒の出入り禁止の客がやってきた。彼は大声で喚くわ他の客にしつこく絡むわの迷惑客だった。このひとが来たときは問答無用で追い返してください、とのことが言われていたが、わたしとしてはどこか放って置けないところがあった。店員として接する以上、店から追放しなければならなかったが、酒と、他人に悪態をつくこと(あるいはその結果返ってくる反応)にしか逃げ道を見出せないIさんのことを不憫に思っていた。いつかこのひととゆっくり話せないだろうかと思っていた。そしてその機会は遠くない将来やってくる。後述することになるだろう。
DIR EN GREYをハミングするおばあさん
ある日のことである。レジに立っていると、白髪をきれいに伸ばしたおばあさんに声をかけられる。「ラジオでたまたま聴いてね、こんな美しいメロディーがあるのかと思って借りようと思ったんです。こんなふうな曲なの。」と言って、ハミングを始めた。なんと、DIR EN GREYの「SUSTEIN THE UNTRUTH」である。たまたまディルが大好きなわたしに話しかけたからよかったものの、そうじゃなかったら困った客で終わっていたかもしれない。そう思うと、あのときわたしがレジに立っていてほんとうによかった。
思わずわたしは返す。「えっ、それってDIR EN GREYのSUSTAIN THE UNTRUTHですよね、わたしもこのバンド大好きで、まさかこうして尋ねられるとは思いませんでした。」
ディルの他のアルバムも聴きたいということだったので、それからはわたしの持てる限りの知識を尽くしておすすめと提案をした。いい出会いがあるものだ。「UROBOROS」は気に入ってくれたかな。
店長交代
店長が変わった。巨漢のAさんが店長をしていた時代に副店長をしていたSさんが新しい店長となった。彼女は副店長時代から厳しいことで有名だった。Aさんはよく「Sさんは怖いから気ぃつけや」と言っていた。そんなSさんが店長になってからはTSUTAYA〇〇店には厳罰化の波が押し寄せることになる。ちなみに前の巨漢店長がどこに行ったかはわからない。
バンドマン狩り
Sさんの圧政のひとつは、バンドマン狩りという形で現れた。おそらく世間のイメージと一致すると思うが、TSUTAYAではバンドをやっているひとが多く働いている。アルバイトの同僚にも4人ほどバンドをやっているひとがいたが、それぞれが何らかの口実をつけられてクビになっていった。なかには、かなりのベテランアルバイトもいて、彼を解雇するのは店にとっても望ましい判断ではないだろうと思ったりもしたが、Sさんは嫌煙家でバンドマン嫌いであった。そしてそれが判断のすべてだった。煙草をよく吸うバンド人間はそれだけで疎ましかったのだろう。そうして、同期のHくん、先輩のTさん、後輩のOくん、Kくんがクビになった。皆、勤務態度は悪くなかったし、しっかり働いていたひとたちばかりだ。だから、店長は細かい理由づけをしなければならなかった。彼女は自分ルールでアルバイトをクビにしていった。そして、そのバンドマン狩りの最後の標的がわたしだった。
「葦田くん、髪長いやんな。一応会社の規定では短くしてもらわなあかんねん。今まで目、瞑ってたけど、もうあかん。前のA店長(巨漢店長)のときに採用されてるからわたしは何にも言われへんかったけど、今から1ヶ月以内に切ってこんかったら辞めてもらうわ。」
そうしてちょうど1ヶ月経った日。出勤して制服に着替えようとすると、「葦田くん、帰ってください。」と言われた。そうして、1年半におよぶわたしのTSUTAYA勤務に幕が下ろされた。
クビになった帰り
クビになったのは休日だったと記憶している。夕方ごろに店を後にして駅前を歩いていると、なんとアル中のIさんがベンチに座って酒を飲んでいる。わたしはいまやTSUTAYAの軛から解放されているので、やっとひとりの市民としてIさんと出会うことができる。コンビニで缶ビールを2本買ってIさんの横に腰掛ける。よかったら一緒に飲みませんか。
「お前TSUTAYAのやつやんけ。」
「いやさっきクビになったんですよ。」
Iさんはいつも前後不覚で記憶も曖昧だけれども、TSUTAYAのことはよく覚えている。Sさんには散々いじめられたのなんのと、次から次へと愚痴が出てくる。聞く方のわたしも楽だ。もう店員として耳を貸すことは(あるいは店員として耳を貸さないことは)ないのだから。追加でもう1本ずつお酒を買って、音楽の話をする。Iさんの話には脈絡らしい脈絡はないが、Linkin Parkが好きだったらしいということはわかるし、それでわたしも興が乗る。楽しい解雇祝いだった。
後日譚
クビになった話には後日譚がある。解雇されてからしばらく経ったある日、TSUTAYAを覗くと、後輩がレジに立っている。彼はバンドマンではなかったから、バンドマン狩りを逃れられていた。だが、見れば髪がロングもロングで、クビになった時分のわたしよりもずっと長いではないか。わたしがいない間に随分と髪を伸ばしたようだ。聞くと店長は変わっていない(Sさんのまま)ということである。あれ、社内規定はどうなったの? 今更TSUTAYAに未練はないけれど、自分勝手なものだよSさん。自分ルールでスタッフを解雇するひとは、自分ルールでスタッフの規定違反にも目を瞑るということか。スタッフを削るだけ削っておいて、それで人手が足りなくなったらルールに違反しているはずのひとの雇用は継続するということか。ルールを自分にとって望ましいときにだけ運用し、望ましくないときには無視する、という法を蔑したような態度。ある意味、クビになってよかったと思った。あのひとは一見テキパキしていて規律に厳しいようなひとだったけれど、一緒に働くべきひとではなかった。
おわりに
今はサブスクリプションサービスの跋扈とともに、TSUTAYAのようなレンタルショップは激減している。この先も減っていくだろうし、いつかはなくなるのだろう。わたし自身も、サブスクでは扱われていないような作品を借りるくらいでしか店舗型のレンタルサービスは利用していない(タルコフスキーの映画や、中島みゆきのCD等)。数十年先の読者がこの文章を読んだら、過去の遺物を前にしているように思うだろう。マスターバックをしているわたしの背中も滑稽に映るのだろう。それでよい。そうして時代は変わっていく。どんな時代にも働いているひとはいたし、そこには大きかったり小さかったりする「戦い」があったし、わたしもその中のひとりとして青春時代をTSUTAYAで過ごした。そのわずかな欠片を、ここに書き記しておいた。どうか未来のあなたよ、ご笑覧ください。