
【フォーク・ソング】ドリンキン・グァード①【ザ・フォーク・クルセイダーズ】
はじめに
第一次ザ・フォーク・クルセイダーズが残した唯一のアルバム。
ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ(以下、ハレンチ)。
ザ・フォーク・クルセ(イ)ダーズはフォーク・ソングというジャンルの中でも、”カレッジ・フォーク”と言われるカテゴリに属されます。
「民謡をもう一度若者の手に」というアメリカ中心の――フォーク・リバイバルという運動がありました。
日本でもこの理念は、若者=大学生に広がります。
大学生の間で流行ったから「カレッジ・フォーク」というわけです。
「カレッジ・フォーク」という言葉は、日本特有の名称なんですね。
さて、第一次フォークルは「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトのグループでした。
その集大成となるアルバム”ハレンチ”に収録されている12曲のうち、帰って来たヨッパライを除く11曲が、国内外の民謡や流行歌です。
このアルバムは様々な顔を持つフォーク・ソングというジャンルを識るのに優れた題材です。
フォーク・ソングは民謡だという解釈もありますが、それは暴論です。
ですがもちろん、民謡としての顔も、フォーク・ソングは持っているのです。
ここではアルバムに収められた曲を1曲1曲解体し、フォーク・ソングへの理解をさらに深めて行こうと思います。
今回はハレンチ3曲目にあたるアメリカ民謡、『ドリンキン・グァード』について語りましょう。
▼ライナーノーツで見る『ドリンキン・グァード』
3.ドリンキン・グァード
題意は北斗七星のことを指し、原曲は黒人霊歌である。南北戦争当時奴隷に同情した北部の白人たちが逃がしてやり、北斗七星を目指して北へ、北へと逃亡していく有様を歌ったもの。
現代、自由の国アメリカでは、黒人差別に対するデモ運動が盛んにおこなわれています。
運動の影響力は昨今のディズニー映画に見られるように、「黒人を主役に据えろ! 据えなければ差別だ!」 という少々ぶっ飛んだ主義・主張に移り変わり、また違った根深い問題になっています。
自由とはなんぞ。
アリエル、お前やぞ。
もちろん法律の上では差別は犯罪となりますし、その昔に比べたら黒人の生活状況は格段に良くなっていることは間違いないでしょう。
ドリンキン・グァードは、そんな運動が生まれるに至った時代を背景に持っています。
星で位置を知り海を渡った航海士たちのように、
この歌もまた、
不条理から逃げ出そうとして星を目指した黒人の歴史を見ることができるのです。
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・北斗七星と柄杓
ライナーノーツはまず、
題意は北斗七星のことを指し、
と始まります。
ドリンキン・グァードはDrinkin’ Gourd”と書き、それぞれ
Drinkin’ = 飲む
Gourd = ひょうたん
という意味になります。
これはネイティブアメリカン(今こう言っちゃいけないんでしたっけ)やアフリカ人の間で使用されていた、ひょうたんをくりぬいた水ひしゃくのことを指すようです。

この形が北斗七星の形に似ているので、Drinkin’ Gourdは
題意は北斗七星のことを指し、
となるわけですね。
人種のるつぼと呼ばれるアメリカには「アフリカ系アメリカ人」という人々が居ます。
彼らは白人がアフリカから奴隷として連れて来た黒人たちをルーツに持っていました。
労働力として連れて来られた黒人奴隷たちはリンチや処刑までを白人のさじ加減で決められるような生活をしていました。
首に縄を掛けられ吊るされたり、馬で引き摺られたり、火あぶりされたり。
彼らは法的にも人間としてではなく、白人の所有物として生きることを余儀なくされていたのです。
そして奴隷の身分は一生変えることはできず、奴隷として生まれれば死ぬまで奴隷として生きることを強要されるのです。
とある映画では動物園の檻の中に黒人が入れられているというエピソードを見たことがあります。
これはフィクションではなく、人間動物園といわれる娯楽興行の一つとして実際に行われていたと知ったとき、おったまげたげたものです。
ありえんろ、そんなんディストピアSFの世界やぞ。
そういった孤立したコミュニティの中で、黒人たちは自分の文化と白人たちの文化を融合させ、独自の文化を形成していくことになるのです。
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・黒人霊歌
原曲は黒人霊歌である。
今世において、黒人音楽――ブラック・ミュージックというのは主権を握っていると言っても過言ではありません。
ジャズやロックを含め、ブルースから派生したジャンルは数知れず。他にR&BやHIPHOPなどなど。ポップスも既存ジャンルをほぼほぼ踏襲していますし、おおよそ街中で流れる音楽の源流をたどると、大体黒人音楽に繋がるかもしれません。
黒人霊歌と説明される音楽は、誤解を招く言い方かもしれませんが、それら黒人音楽の源流――ルーツとも言えるものです。
霊歌という言葉を辞書で引くと以下のように説明されます。
■黒人
「――霊歌」[=(主に旧約聖書に基づく)黒人の宗教歌]
黒人霊歌は宗教歌です。
アフリカ文化と白人のキリスト教会音楽が結びつき、独自の形態となった宗教歌なのです。
18~19世紀に起った「信仰覚醒運動」といったものがありました。
教会が商業主義に走ったことに反発する運動らしいのですが、すさまじい熱気だったとあります。
教会には収まりきらないほど多くの信者が押し寄せ、
中に入れない信者は野外にテントを張ってまで集会を行っていました。
この野外集会には黒人たちも、同じ席でとはいかないまでも聴衆になることを許されていました。
そこでは即席の教壇で声を張り上げる説教者もいれば、信者全員で讃美歌を合唱するなども行われます。
ですがいくら敬虔な信者とはいえ、知らない歌をいきなり歌えと言われても歌えません。
ではどうするか。
歌を先導する人がいて、みんなその人を真似して歌うのです。
学校やライブで経験された方も居るでしょう。
ライブでやるのはやめて欲しいですね。正直。
黒人たちはこうして聴き憶えた讃美歌から、自らアレンジを入れて歌を作り始めたのです。
讃美歌。Hymnというのは、初期のモダン・フォーク・ソングにも大いに活用されています。
カーターファミリーのCan the circle be unblokenやWhen the world's on fireもそうですね。
それぞれ"Will the circle be Unbloken""Oh My Lovin’Brother"という讃美歌が元だと言われています。
(When the world's on fire=This Land is Your Land……)
誰もが知っている/歌えるメロディに詩を乗せ換えるというのは、仕事歌である”ソーラン節”と思想を同じくしていると言えるでしょう。
あちらも決まったメロディに7・7・7・5の詩を各々作っていましたから。
この黒人がアレンジした讃美歌というのは、ラテンのリズムとでも言いましょうか。
コール&レスポンスがあったり、白人の持たない独特なリズムを持っていたり、有り体に言ってしまえば「ノれる」曲になりました。
これは白人たちの間でも評判がよく、「褒められたものではないものの」としつつも、黒人に混じって一緒に歌ったりしたそうです。
どこかで聞いたような話ですね。
はい、「天使にラブソングを」のシーンのようです。
あれは実際に起りうる(起きていた)光景なのです。
そしてこの白人の文化に自分たちアフリカの文化をミックスさせた黒人霊歌は、いつか黒人たちの”武器”となっていきます。
文字の中に情報を隠す。
歌の中に情報を隠す。
暗号化です。
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・地下鉄道の歌
南北戦争当時奴隷に同情した北部の白人たちが逃がしてやり、北斗七星を目指して北へ、北へと逃亡していく有様を歌ったもの。
とライナーノーツは締められます。
この歌はSongs of the Underground Railroad――地下鉄の歌と呼ばれる、暗号の歌と言われています。
この地下鉄というのは言葉通りのものでなく、黒人奴隷の逃亡ルートやそれを手助けする人などを表す隠語でした。
差別の激しいアメリカ南部から北部へと逃亡する暗号を、霊歌という讃美歌の中に隠したのです。
ゆえに細かいところをつつくのならば、逃亡していく有様を歌ったものではなく、逃亡ルートを指し示す歌なのです。
Drinkin’ Gourd。
原題「Follow the Drinkin' Gourd」。
長くなってしまったので分割させていただきますが、
次回は歌詞を踏まえてこの部分を深く解説していきます。