思い出から経験へ。
若者が識る「経験」のフォーク・ソング
わたしたちは現代に生きていて、四六時中音楽が耳に入る生活の中にある。
テレビ番組もそう、Youtubeもそう。
Instagramも、TikTokも、映画でも、ポッドキャストやSpotify。
スマートフォンで、タブレットで、PCで、駅のホームで、街中で。
洞窟で暮らしでもしない限り、音楽が耳に入らない日なんかないだろう。
フォーク・ソングというジャンルがある。
耳馴染みのあるだろうものを挙げてみよう。
2016年の映画「この世界の片隅に」では、コトリンゴ氏が歌う「悲しくてやりきれない」という歌が、オープニング・テーマに使われた。
透明感のある声で、素朴に、滔々と歌い上げたコトリンゴ氏のカバーは現代の若者に受け入れられ、2023年現在、Youtubeにアップされている同曲は(違法アップロードであろうが)540万再生されているものもある。
7年が経った今、多くの新曲に埋没しているとはいえ、若者の中に「ああ、この世界の片隅にの曲ね」としてでも未だ認識されているのは、リバイバル・ヒットと言って差し支えないだろう。
若者が識る「経験」のフォーク・ソングとして、「悲しくてやりきれない」をまず、挙げてみた。
当時を生きていたひとの「思い出」のフォーク・ソング
「悲しくてやりきれない」
これは1968年に発表されたフォーク・ソングである。
1968年と言えば、沖縄はまだアメリカのものだった。
この曲を歌ったザ・フォーク・クルセダーズの面々は、当時せいぜい20代前半。
若者の歌は同じく若者を感化し、1968年のヒット曲を調べたサイトには「帰ってきたヨッパライ」とともに、「悲しくてやりきれない」がランクインしている。
イタイイタイ病が公害病として認定され、三億円事件が起こり、アメリカではケネディが暗殺された事象が、テレビや新聞の一面を飾っていた。
そんな時分に若者をしていた人間は、今いくつだろう。
1968年生まれの人間は2023年に55歳になるのだから、少なくともそれ以上になる。
現代に至るまで、さまざまなことがあった。
社会への反抗、挫折、結婚、昇進。
出産、育児、旅行、老いていく体……。
数えきれないほど、耳から溢れるほどのフォーク・ソングを聴いた。
数えきれないほど、散らかり過ぎるほどの思い出を積み重ねてきた。
ラジオで、テレビで、レコードで、ライブで。
一人で、友だちと、恋人と。
曲を聞けば、当時の光景を思い出すことができる。
子どもや孫から「古い」とか「説教臭い」と言われようが、そこには人生のひとかけらがある。
当時を若者として過ごしてきたひとにとっての「思い出」のフォーク・ソングとは、そういったものなのかもしれない。
経験から思い出へ。思い出から経験へ。
イタイイタイ病があり、三億円事件があり、ケネディが暗殺された事象が、テレビや新聞の一面を飾っていた。
現代に生まれたわたしたちは、これらのことを、教科書で学ぶ。
現実問題としてではない。歴史としてだ。
言ってしまえば昔のこと。連続した現実にあるのに、わたしたちは生まれる以前のことを識っているはずがないのだから、歴史として学ぶのだ。
そんな時分に若者の心に漣を立てた歌が、現代にリバイバルされ、再び若者の心に漣を立てる。
実に48年。発表から48年も経って、かのフォーク・ソングは再び、若者の耳に染みた。
つまり、フォーク・ソングは現代で通用する。
かの時代、若者たちの心を囃し立てたフォーク・ソングは、現代の若者の心をも囃し立てる力がある。
――これが良いことか悪いことか、それは後に記事にしよう。
しかしフォーク・ソングを「聴くだけ」で済ますのは勿体ない。
「昔流行ってたっけなあ」で済ますのは、勿体ない。
「自分はこう感じたから」で終わってしまうのは、勿体ない。
その歌には何があるのか、何があったのか。
どのような思想で、どのような文化があって発生した曲なのか。
娯楽があふれかえっている時代、一つの曲一つのグループを掘り下げて考えてみるということは、まったく面倒くさいと思われるだろう。
タイパが悪いとも言われるに違いない。
けれど、だからこそ見えてくるものがある。
感じられる味がある。
せっかくの料理を「しょっぱい」とか「甘い」しか言えないのは、勿体ない。
だろう?
かといってまず、「フォーク・ソングとはどういう歌なのか?」という大枠を理解しようとして、検索をかけてはいけない。
それは多大な誤解を生み、偏見の目を養うことに他ならないからだ。
アコースティックギター一本で弾き語ればフォークというわけじゃない。
「フォーク」という言葉には、非常に多彩な味付けが仕込まれている。
フォーク・シンガー/マイク真木氏はこう言った。
わたしは「フォーク・ソングとはこれこれこういう定義の曲である」など論じるつもりはないけれど、考えることをやめるつもりもない。
記事を書くのは、わたしの脳内整理にも大いに役立つはずだ。
経験は養分であり、良い果実を実らせる。
果実がやがて地に落ちても、次の世代の養分になる。
「経験から思い出へ。思い出から経験へ」とは、そういうことだ。
経験を積み重ねていった先に、なにかしらがあるのだと、わたしは信じている。
経験へつなげるために
世にフォーク・ソングについての本や随筆は多数あれど、「フォーク・ソングってなによ」という人に対して敷居が高いと感じるし、そもそも事前知識がある人向けの本が多い気がする。
「フォークの名曲一覧!」
フォーク・ソングの味を識るには、聴いているだけで勿体ないというのは、上述の通り。
学生運動? 黒人解放運動? べ平連?
音楽の話を調べているのに、なんでこんな文言が出てくるのか。
「○○年、○○のときにあった○○の一件で、○○や○○が○○と一緒になって○○会社のもと……(解説なし)」
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これでは「経験」につなげにくいし、下手をすればつながらない。
思い出を経験にするにはどうすれば良いか。
過去から現代につなげるにはどうすれば良いか。
同じ歴史は二度起きない。安倍晋三は二回死ねない。
当時を生きていたとしても、知らないものは知らない。
ならば、追体験をすればいい。
情報を得て、追体験をし、経験に繋げればいい。
そうすれば、思い出を経験に変えることができるに違いない。
過去と現代をつなげられるに違いない。
フォーク・ソングは過去の若者たちだけのものか。
違うだろう。
受け継がれるからこそ、フォーク・ソングと言えるのだ。
七面倒な話になったが、早い話が、
「いろいろ語るよ!」
ということ。
できるだけわかりやすく、易しく、けれどマニアックに。
歴史のお話になってしまうのは避けられないけれど、わたしの能力の許す範囲で、時系列をわかりやすく、流れを思い浮かべやすいよう、努力する。
わかりにくいだろう固有名詞の連打も、その記事内ではここだけ抑えればいい! というのがわかれば、リソースも割きやすくなるはずだ。
背景を知ることはきっと、もっと味わい深い、「経験」に裏打ちされた感想を持てるはず。
興味のあるひとにも、ないひとにも、当時を生きていた人にも、生きていない人にも、
できるだけ分かりやすいような書き方を目指す所存。
多くの人の目に触れれば、わたしが知らない情報を提供してくれる人だって増えるだろう。というかそれが狙いなところもある。
自分の情報整理な部分も多分にある。
先人はたくさん居る。その末席を汚すというだけのこと。
と言ったところで最後に、
明治時代の思想家である幸徳秋水の言葉を、一部改変して締めさせていただく。
予、浅識寡聞、学に於て、フォーク・ソングに於て、全く門外漢たり。しかして、此の大事を企つ。
古より盲蛇怖るゝ所なきの嘲りあるを知る。
しかもまた別に聊か信ずる所もあって、敢て隗より始む。
有心の士、試みに不才の饒舌を聞け。
まず初めに書くのは、この記事でも取り上げた
「悲しくてやりきれない」。
この曲がどのようにして世に出たのか、その流れを、ザ・フォーク・クルセダーズの歴史を追いながら、解説してみようと思う。
もし、フォークソングに興味を持ったら、YoutubeやSpotifyでもいいから聞いてみてほしい。
で、さらによければ、わたしをフォローしておくれ。