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年末最後にラムサール条約

女子旅の最終日。
昨日の朝に行った、阿蘇くじゅう国立公園内にあるタデ原湿原。

こちらは、2005年にラムサール条約に登録されました。

ラムサール条約の正式名称は
「特に水鳥の生息地として
国際的に重要な湿地に関する条約」

ラムサール条約とは、湿地の保存に関する国際条約。
水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年2月2日に制定されたものです

おお〜、と反応!!
なぜかというと千葉県出身者としては
この条約馴染みがあるからです。
まだ、雪が残ってます!
不思議な太陽☀️
不思議な空
美しい!!
ベンチにねっ転がって写真を撮ってみました!
神秘的な風景!


タデ原湿原で、千葉県のラムサール条約の地に思いを馳せます!

干潟としては全国発の登録地、谷津干潟には、すてきなストーリーがあるんですよ!

元々谷津干潟は1970年代、造成地計画が拡大、最後に残された市川から稲毛までの海岸線25キロの埋め立て計画が発表されていました。

漁師は反対していましたが、補償金など目当てで賛成派も増えていました。
さらに、ゴミ投棄などで衛生面に問題があり、埋め立ててしまえ!!という流れになっていたのです。

しかし、1974年、
たった一人で、 一周3.5kmにも及ぶ長方形の護岸の前にうずたかく積み上げられたゴミに立ち向かう決意をした青年がいました。

森田三郎さんです。新聞配達の合間をぬって、市川市からバイクでゴミ拾いに通い始めました。
しかし、彼に好意的な目を向ける人はほとんどいませんでした。
悪臭に悩まされ、早期埋め立てを望んでいた地元住民の中には、彼をよそ者だとし、目の前でゴミを捨てて行く者までいました。

また、行政には干潟のゴミの引き取りを拒否される、そんな状況のなか、たった一人で谷津干潟愛護研究会を設立し、雨の日も雪の日もゴミ拾いを続けたのです。

そして5年後、ようやく手伝ってくれる主婦が出てきます。さらに、1980年には 県が干潟の保存の希望を表明しました。
また、地域住民らによるクリーン作戦も始まりました。

埋め立てが回避されたのは彼の行動のみが理由ではありませんが、現在のラムサール条約登録の動きの一つにはなったはずです。

このお話し、千葉県の道徳の教科書にも乗っているんですよ!

タデ原湿原にもきっとこの条約登録にあたっては、さまざまな方の想いと行動があるはずです。

水鳥をはじめとする自然を守り、活かし、交流の場とするラムサール条約の地。
タデ原湿原と千葉県の谷津干潟💚

人の思いの大きさとパワーにあらためて感動!
年の終わりに。。。ラムサール条約でした💕

今年も皆さんとの交流に感謝!
ありがとうございました😆
来年もよろしくお願いします🌟

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