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私の過去について

こんにちは。考える葦です。
本日2本目です。理由は暇だったからです笑

このアカウントでは、私が鬱になってから「鬱日記」を毎日更新しています。
それには、その日の気分や出来事をズラズラ書いています。
しかし、自己紹介的なものをしていなかったなーと思ったので、突然ではありますが、私の過去をご紹介します。
とはいえ、私は22歳なので主に子ども時代の話になります。

私は幼少期から少し精神的に問題があったのではないかと思っています。
発達障害があるのかもしれませんが、特に検査をしたことがないのでわかりません。

私は、幼稚園〜小学校ごろまで自分の思い通りにならなかったり、怒られたりすると良く癇癪を起こしていました。
ただ、大声で泣き喚くというのは、小さな子どもであれば良くあると思いますが、私は手がつけられないレベルでした。(物を破壊する、投げる、暴れるなど)
そのため、親もどうしたら良いか分からなかったのだと思います、叩かれる、蹴られる、口にティッシュを詰められるなど、もしかしたら虐待に当たるかもしれない方法で私の癇癪を止めていました。
今考えると、よく児童相談所に通報されなかったと思います。
その影響もあって、主に父のことは今だに恐怖です。
あれから何年も経っていますが、忘れることができません。

小学生時代にはカウンセリングに通っていました。
その時から人一倍繊細だった私は、学校で起こる様々なことに傷ついていたためです。
例えば、男子のちょっとした悪ふざけ、平和学習で見た戦争の写真など、、
その時受けたカウンセリングは私の人格形成に大きな影響を及ぼしました。
癇癪問題など様々な問題で親を困らせていたことに負い目を感じていた私の気持ちを受け入れてくれ、自分は生きていてもいいんだと、幼いながら思った記憶があります。

カウンセリングのおかげもあり、年齢と共に私の癇癪は無くなっていきましたが、同時に新たな問題が発生しました。
以前のnoteにも書いたことがあるのですが、自傷行為をする様になってしまいました。
その自傷行為は今も止めることができていません。

中学生になり、カウンセリングに通うのをやめてしまいましたが、比較的安定した生活を送りました。
勉強に打ち込み、所謂「自称進学校」と言われる高校に進学しました。

自称進学校というのは、「勉強しかしません。起きている時間は全て勉強します」そんな学校です笑
そんな場所に身を置き、ストレスがかからないわけありませんでした。
自傷行為が悪化するなど、中々悲惨な三年間を過ごしました。

私は中学校の教員になりたかったので当然大学受験をしましたが、過酷な三年間を過ごしたにもかかわらず、第一志望の大学には合格できず、劣等感を抱えたまま今に至ります。

長々と書きましたが、こう見るといつも何かしらの形で精神的な問題を抱えていたように思います。
自他共に認める生真面目さと、繊細さによって、今苦しんでいる鬱も発症したのかもしれません。

過去を振り返っての私の今後の目標は、鬱を治すことはもちろんですが、自傷行為をやめて、もう少し適当に生きることです。
人生は案外どうにでもなるものだと思います。
しかし、私は白黒思考というか中間色のない、こう決めればこうといった頑固な面を持っています。
それは悪いことではありませんが、私を苦しめてきたものでもあります。
もう少し楽に、自分を大切だと思えるように生きていけたら良いなと思います。

長々とありがとうございましたm(_ _)m

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