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日本に思いを馳せて/神奈川へ降り立つ

 ときが経つのは早いもので私はあと半年で神奈川へ帰る。今いるこの国で、教室という箱かバスという箱、部屋という箱。わたしはたいていの場合その3つの箱のいずれかに閉じ込められていた。部活で空腹になったときに食べるごはんが美味しい!みたいな感覚で、そこからしばらく離れてから感じる日本は素晴らしい。自転車を風切り走れる喜びとか、湿っぽい夕方の公園、梅雨のペトリコールだとか友達と夜に入るコンビニ、ラクトアイスの陳列と車窓をびゅんびゅんと横切る景色、車窓から流れ込む四角い光。私は感性を今までの人生の平均値から5倍にして日本の地を遊歩する。

 今住んでいる国には雨季と乾季しかないから、枕草子がこの国に生まれていたら「春はあけぼの」じゃなくて「雷ゴロゴロ」から始まるはずだ。四季がないというのはなんとも淋しいもので、申し訳程度のクリスマスツリーをショッピングモールで見たら、一年は単調に過ぎていく。私は二年間春を、秋を冬をtwitterで感じた。

 ふらふらと東京あたりを散歩したいなあ、と思う。なんとなく、わたしは「閉じ込められている」と日々感じているのだ。このまちでは選択肢がとても少ない。ショッピングモールはマンションに直結しているからすぐ出かけに行けるが、もう20回以上通ったそこには拡張の余地も無いしやはりそこだってただの「箱」になってしまう。

 この二年間、私はどう変わったのだろう。成績は伸びて英語も喋れるようになった。少しつまらなくなったかもしれない。それでもこちらの友達に"I love your chaoticness." と言われてすごく安心したし嬉しかった。絵もたくさん描いたなあ。こちらの絵の授業は、いろんなことをやらせてくれたから。あれだけ日本が好きと言いながら将来は海外と転々としながら暮らしていきたい。

 恵まれてる、と思う。私立の大学へ奨学金も使わず行けるわけだし、こうしてインターナショナル・スクールにも通わせて頂いてる。だけど一方でより開放されたい、恋をしたい、海に行きたい季節を感じたい。ずっと求めている。今のままじゃ全然不満足なのだ。これはわがままか?しかし求めるものがなくなったら生きる意味などないんじゃないか。求めながら行きたい。わがままに、貪欲に。

 私はもうすぐで神奈川に戻る。二年越しの春は、秋は冬は私にどう映るだろう。それらの空気を思いっきり全身に吸い込んで、その新鮮な感覚をいつまでも覚えておきたい。


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