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「黄牛」と外貨両替

2003年、急成長を続けていた中国での、外貨両替の仕組み。それは私にとって大きな驚きでした。

中国の外貨政策と固定相場制

20年前の中国は、輸出主導の経済成長を図るために人民元を低いレートで固定し、貿易収支の改善を目指していました。このため、人民元は政府の管理下にあり、市場レートとはかけ離れたレートで取引されていました。また、資本移動にも厳しい規制が敷かれており、個人や企業が外貨を手に入れるのは簡単ではありませんでした。

中国の為替制度(2002年のレポート)

闇両替商「黄牛」

そんな中、需要に応えるために登場したのが「黄牛」と呼ばれる闇両替商たちです。彼らは街中の銀行の前で堂々と活動し、「銀行よりも良いレートで両替してあげるよ」という言葉で客を引き寄せていました。留学生仲間ののシンジも頻繁に彼らのサービスを利用していました。

シンジはいつも特定の黄牛を使って日本円を人民元に両替し、その日のランチを少し豪華にして楽しんでいました。私は偽札を掴まされるのではないかと心配していましたが、彼は「銀行内には偽札チェッカーがあるから大丈夫」と自信満々。彼が使っていた黄牛は物静かな中年女性で、手持ちの人民元が不足すると銀行口座から追加で引き出し、偽札を混ぜるようなことはしないように見えました。

一方の私は、米ドルのトラベラーズチェックを使っていたため、銀行窓口に並ばなければなりませんでした。ガラス張りの窓の外には、黄牛を使って堂々と両替をする友人たちの姿が見えました。行員たちは、黄牛が近くで活動しているのを知りながらも特に何も言わず、時には警備員と黄牛が談笑していることさえありました。その光景は、当時の中国がまだ規制の緩やかさを反映していた時代背景を物語っていたように思います。

黄牛の由来とそのリスク

「黄牛」という名称は、中国農村で荷を運ぶ働き者「老牛」に由来しています。違法両替商が一生懸命に活動し、時には強引に商売を進める姿がこの「老牛」に似ていることから、「黄牛」と呼ばれるようになったと言われています。彼らは人々のニーズに応える重要な役割を果たしていました。

そうはいっても黄牛の活動は違法。特に若者にとってはリスクが高すぎる職業でした。彼らの多くは中高年層で、若者がこの仕事に就くことは少なかったのも納得です。

現在では、外貨両替規制が強化され、黄牛のような存在は減少しました。この20年で中国がどれほど急速に発展し、制度が整備されてきたかを実感します。

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