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異国で迎えるお正月

2004年1月1日、南京大学宿舎。

元旦の南京には、お正月を祝う雰囲気が全くありませんでした。
中国では、西暦の新年よりも農暦の正月である春節が重要であり、2004年の春節は1月22日。

1月1日という日付に特別な意味を感じることはなく、中国の友人たちは軽く「ハッピーニューイヤー」とは言うものの、「新年快楽」(あけましておめでとう)とは決して言いませんでした。私が春節の大切さをまだよく理解できていなかったように、彼らにも私たち日本人の、新年に寄せる清新な感覚は分からないでしょう。

そこで大晦日から元日は、日本人の仲の良い女の子たちと一緒に、日本のお正月を楽しむことにしました。私は日中別用があり、お呼ばれして食事にありついただけなのだけど、年越しそばに天ぷら、茄子やレンコンの煮物、かぼちゃの煮付けなど、日本らしいお正月の料理をできる限り揃えてくれました。まだ日本食の少ない南京で、食材探しは容易ではありませんでしたが、みんなで知恵を出し合い、懐かしい味を再現してくれました。異国の地で、日本の文化に触れるひとときは特別でした。

異国にいると、普段の当たり前のことが、特別な習慣のように感じられます。
今日はどうしても、おせち料理とまではいかなくても、日本的なものが食べたくなりました。

お屠蘇の代わりにラム酒で乾杯し、「あけましておめでとう」の一言で、新年の喜びを共有しました。積み重ねられた習慣というものは、まるで私たちの感情を呼び起こす装置のようで、この一言がふと、自分自身の中にある日本を呼び覚まします。

中国人にとっての春節とは

中国では西暦の正月ではなく、春節がこれほど大切にされるのは、農暦に根差した何世代にもわたる強い家族の絆が込められているからです。それは中国人にとって単なる年の変わり目ではなく、家族が集まる重要な時期。仕事や学業で、国内にいても外国にいるのと同じように遠く離れた距離に暮らす親戚や友人たちが一堂に会し、お正月の料理を囲み、爆竹を鳴らして悪霊を追い払いながら、新しい年を迎える特別な時間です。

時折、私は「なんでこうなの?」と、異文化の違いに対して無意識に苛立ちを感じてしまうことがあるのですが、異国での生活は、自分の固定観念を改める機会でもあり、同時にそれを乗り越えるチャンスでもあります。

それにしても、異国で暮らす女性は強いなと思います。
語学の勉強だけでなく、料理や太極拳、二胡、ジョギングと、様々なことを楽しみ、柔軟に対応しています。さらに、生活を整える術を知っていて、常に前向きに目標に向かって進んでいます。

それに比べて、と言っては失礼だけど、男性の多くはお酒で羽目を外したり、麻雀やゲーム、異性関係に没頭したり。何事も程よくならプラスだけど、のめり込みすぎて留学先で道を見失うのは、ほとんどが男性のような印象です。授業についていけないのではなく、生活のバランスを崩し、何を優先すべきかを見失ってしまう。

就職や帰国後のキャリア設計を思うと男性の方がプレッシャーを感じてしまうのかな。バックパッカー先で、気に入った場所に「沈没」しているのも男性が多いと聞きます。冷静な判断とエネルギーの使い方がうまく合わされば、鬼に金棒のような力が生まれるはずなのに。

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