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"コミュニケーションゲーム"だったマーダーミステリーが、"コミュニケーションツール"となってしまった件について。

筆者は最初に小説家になる事を夢見、お話作りに加えて絵を描く事も好きになったからマンガ家を目指し、母親の影響で多くのドラマや演劇舞台を見て脚本家にも憧れた。
どいつもこいつも中途半端にやりやがって、全部を叶えたいという傲慢な夢はマーダーミステリー(以下:マダミス)に引き継がれた。
だから筆者はマダミス文化を非常に大切に思っている。
だって、お話を書く事も絵を描く事も音楽を設定する事もできる。
一人で出来る初めての”総合芸術”であるマダミスが、好きだ。
 
中途半端にやってどれもこれも挫折した結果、“自分の書く物語はつまらない”という結論に至った。
そこで出会ったのがマダミスだ。
筆者が最初に出会ったマダミスの定義は以下である。
 
・殺人事件が起こる
・犯人はプレイヤーの中におり、犯人を当てる
 
人間はミステリーが好きだ。
正体不明のもの(この場合、事件の犯人)の正体を明かしたいという願望はおそらく、本能的に備わっているのだ。
なぜなら、正体不明のものを明かして”安心”を得たいから。
安心したいから正体不明のものに触れにいくのか?だったら最初から、近づかなければいいじゃないか。
そう分析する方もいるかもしれない。
しかし面白い事に、人間は娯楽としてこのプロセスを求めるのだ。たぶん。
 
そういうわけで、「マダミスの仕組みに乗っかればいくらつまらない物語でもとりあえず”読んでもらえる”。」と考えた筆者は、マダミスの制作を始めた。
(もちろんそういった下心だけでなく、シンプルな構造に感動したのもある。詳しくは『薬瓶、遠雷、遺言、鴨』というシナリオの後書きで言い切ったので、今回は省く。)
 
前置きは以上、本題に入る。
タイトルについて正確に言いたい事は、以下の3点だ。
 
<1>
筆者の定義する“マダミス”は、現在では“マダミス”の中でも“人狼ゲームベース”というジャンルにあたる(このジャンル分けすら、説明のため今作ったものでありユーザーの多くは意識していないと思われる)。すなわち、“マダミス”と銘打つシナリオをプレイした時、この定義に当てはまらない事が増えて来た。

 
<2>
“人狼ゲームベース”ゆえ、プレイ後の満足度は陣営・選択キャラクター・プレイヤーによって差が出る事が前提である。負けたら悔しく、勝ったら楽しい。すなわち、筆者が定義する“マダミス”において、プレイヤー全員の満足度が等しくなるという状況自体が想定外である。これは意見ではなく分析結果として、ユーザーは“プレイ後の満足度が等しいシナリオ”を求めている気がする。詳しくは後述。

 
<3>
そのシナリオがコミュニケーション「ゲーム」なのか「ツール」なのか、プレイヤー側で判別できない事が諸問題の根源であり、筆者のモヤモヤの正体であり、筆者はこの現状をプレイヤーへの誠意の欠如だと考えている。“マダミス”に明確な定義が無い点について批判したいわけではない。逆に、そのあいまいさがジャンルとしての入り口を広げ、多様なシナリオが生まれたと思う。1点だけ言いたいのは、“マーダー”も“ミステリー”も無いシナリオの呼称について、決めた方がいいのではないか?という個人的な提案だ。

 
筆者が定義するマダミスは先述のものと理解頂いた上で、この先を読んで貰いたい。

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