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孤独と右脳左脳、人間関係

最近のワードてんこもり。
わたしも混乱しかける。

この3つがでてきたエピソードとともに自分が感じていることを考えたい。


1, 孤独


Thredsで、自営業ネタを呟いたからか「個人事業主の孤独」というつぶやきが散見されるようになった。
深く頷く。ただ共感とは少し違うような気がした。
プロフィールをみてみると、なるほど事業体が全然違うし起業のフェーズも違う。

移住してから2年、と同時に様々なコミュニティから離れ2年、初めて「さみしい」と思った。
遠くの場所にパートナーや友達はいるけど、仲間をつくろう。


2, 右脳と左脳


「かなり左脳ですね」と言われた。それは人と話している時で、実際には時期により全く違う。非論理を実行して、困ったら論理に頼る。

基本的には右脳人間がすき。もっと好きなのは右脳と左脳が極端に混在しているひと。
脳の使い方が同じひとには好感を抱くけど、
その人が自分と話す時には左脳全開だったりする。


3, 人間関係


コミュニケーションというか外交スキルの講座を開こうと思った。
友人に「言いたいけど言えない場面はある?」と聞いていたら自然と人間関係の話になる。
まずはスキルより信頼関係、信頼を得るには時間とギブ。最もな話だ。

ただ、コミュニティに所属しているときと、無所属だと多少違う。無所属の場合は”うまくやらなきゃいけないひと”がいなくて、繋がり方は”共鳴”から始まる。


どの「足りない」と付き合うのか


「人間関係の悩みは全て対人関係の悩みである」


というアドラーの言葉を頻繁に思い出す。
パートナーの悩みも、友人の悩みも、私の悩みも、一見違うようにみえてそこに行き着くように感じる。
この点においてはみんな仲間とも言える。

とはいえ、仕事がうまくいったり、コミュニティや家庭で楽しくやったり、右脳左脳をうまく使いこなせるようになったり、それが終着といえばそうでもない。

とても充実していた高一の夏、大学生の頃に、「楽しくてうまくいっていることからは学びにくい」と悟った。
今の自分の言葉で言うと、「満足して創造性に欠ける」ということになる。

ただそれは、精神的にも金銭的に自立していなかった頃の話で、
自分の人生を生きてみると永遠に全ての実現なんか手に入らないことがわかる。
手に入りそうなものを手にいれて満足するのと、
苦労して手に入れた(共存した)先にうまくいかなさと付き合うのは違う。

何を選択して、何を受容するのか。
少なくともいろんなものを「選べる」と思っている自分の脳はまだ若くて右脳的なんだろう。

さみしいけど、考えるのは楽しい。



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